霜の針、 蝋燭のしみ

――『アンナ・カレーニナ』 を読み直す――



若 島  正



わたしは先日、『乱視読者の新冒険』(研究社)という評論集を刊行しましたが、その冒頭に、「蛾の思想――『アンナ・カレーニナ』を読む」というエッセイを収めています。 そして、 今日お話させていただく「霜の針、蝋燭のしみ――『アンナ・カレーニナ』を読み直す」は、そのエッセイのいわばコンパニオン・ピースのつもりです。

「蛾の思想」を書いた大きな理由の一つは、今から半世紀以上も前、一九五〇年に岩波新書から出た、桑原武夫さんの 『文学入門』という本でした。今なお読むに耐える、あるいは「文学」が所与のものではなくなった今だからこそよけいに読む価値のある、この『文学入門』の書き出しで、桑原さんはこう書いておられます。

文学は、はたして人生に必要なものであろうか?この問いはいまの私には、なにか無意味のように思われる。私はいま、二日前からトルストイの『アンナ・カレーニナ』を読んでいるからだ。・・・文学は人生に必要か、などということは問題にならない。もしこのような面白い作品が人生に必要でないとしたら、その人生とは一たいどういう人生だろう!

この本の最終章で、桑原さんは一般読者と一緒に『アンナ・カレーニナ』の読書会をやっておられます。それに倣って、わたしも桑原さんと同じように『アンナ・カレーニナ』を読んでみたい。つまり、わたしが『アンナ・カレーニナ』について語るのは、桑原さんの跡を継いで「文学再入門」をやってみたいということなのです。

トルストイという作家は、人生を生きるとはどういうことかを考えるモラリストとしてのトルストイと、小説芸術家としてのトルストイ、という二面性を持っています。ただ、一九世紀ロシア小説における民衆文学的な側面に目を向けると、誰にでもわかる素朴で力強い物語を書いたトルストイという理解のされ方が一般的で、モラリストとしてのトルストイが注目されるあまりに、小説芸術家としてのトルストイが軽視される傾向にあります。そこで、今日の話では、そちらのほうに焦点を当てて『アンナ・カレーニナ』 を読み直しながら、最終的には、小説とはどういうものか、小説を読むことはどういう行為なのかを考えてみたいと思っています。

まず最初に、当たり前のことですが「小説芸術家としてのトルストイ」を再確認しておきます。『アンナ・カレーニナ』は、読んだことがない人でも知っているとおり、アンナという女性が不倫をして鉄道自殺をする物語です。そこで、しばしば議論になるのが、なぜトルストイはアンナを鉄道自殺という形で殺さなければならなかったのか、という問題です。アンナの鉄道自殺は実は結末ではなく、小説はその後も続きますが、 この自殺という一つのクライマックスに至るまでに、小説の最初から伏線が張られていることが読んでみるとわかります。もともとトルストイは、実際にある男性の愛人が鉄道自殺をしたという事件からインスピレーションを得て書き出したそうです。つまり、トルストイにとって、アンナの鉄道自殺は最初から前提としてあったわけで、登場人物を自由に動かしているうちにそうなった、というようなものではありません。トルストイが丹念に張りめぐらしている、鉄道自殺につながる伏線のわかりやすい例を次にご覧いただきます。

 
(第一編十八章)
 小間使は手さげと小犬をかかえ、執事と赤帽はほかの荷物を持った。ヴロンスキーは母親の手を取った。ところが、彼らがもう車から出ようとしたとき、とつぜん、五、六人の人がびっくりしたような顔つきをして、そばを駆けぬけて行った。一風変わった色の制帽をかぶった駅長も、同じように駆け出して行った。なにか容易ならぬことが起ったのは明らかであった。汽車から出て来た連中も、うしろのほうへ駆けだして行った。
 「なんだ?・・・なんだ?・・・どこで?・・・飛びこんだ!轢かれた!」 そばを駆けだして行く人々のあいだから聞えた。
 妹のアンナと腕をくんでいたオブロンスキーも、やはりびっくりしたような顔つきをして引き返し、群集をよけながら、車の出口のところに足を止めた。

ここはアンナと不倫相手のヴロンスキーが初めてモスクワ駅で出会う、大変重要な場面です。『アンナ・カレーニナ』の序奏では、まず狂言回しのオブロンスキーが女家庭教師に手を出して、妻との仲がすっかり悪くなり、その仲介役としてオブロンスキーの妹アンナがペテルブルグからやってくるわけですが、このきわめて印象的な場面で、小説の構図としても非常に重要なことが起きます。それは、線路夫が誤って列車に轢き殺されるという事故です。これはどんな読者でも見逃すことのできない出来事であり、もし『アンナ・カレーニナ』を読んだことがあって、この事故のことを思い出せない読者がいるとしたら、それは小説読者としていささか問題ではないかなと思うほどです。

この場面は、ある意味で『アンナ・カレーニナ』という小説全体が集約されている場面でもあり、当然ながら『文学入門』の桑原武夫さんも見逃しませんでした。一般読者との読書会で、こことアンナの鉄道自殺の照応が「フィクションだ」、つまりわざとらしい、自然ではないと感想を述べたある出席者に対して、桑原さんはこんなことを言っています。「鮮やかなフィクションですが、その前後照応がこの小説にかすがいを入れてぐっと引き締めている。私たちは引き締められておればいいのです」

これは実におもしろい言い方で、思わず笑ってしまいますが、この前後照応が小説の「かすがい」だというのは、今どきの人間にはなかなか使えない言葉ですね。 わたしたちだとどうしても「構造」といった言葉を持ち出してしまうところです。「かすがい」とはつまり、作品が一つの建築物だとすれば、この前後照応はその補強材になっている、ということです。ですから、それはわかっていても、「引き締められておればいい」。これも大変おもしろい表現です。ここはうまくできているということさえわかっていればいいので、それはわかったうえで、頭の隅のどこかにしまっておけばいい、ということでしょう。これはなかなか言い得て妙だと思います。

 ただ、桑原さんがおっしゃっていないことを言いますと、実はそのもっと前、ほとんど書き出しに近い部分にもすでに伏線が張ってあります。

(第一編三章)
 ふたりの子供の声が(オブロンスキーは末の男の子グリーシャと長女のターニャの声を聞きわけた)戸の外で聞えた。ふたりはなにかをひきずって来て、落としたところだった。
 「だから、いったでしょう。屋根の上にお客さまをのせてはいけないって」 女の子は英語で叫んだ。「さあ、 早く拾いなさいよ」

オブロンスキー家はたくさんの子持ちの家庭ですが、その子供たちのうちの二人、ターニャとグリーシャが、箱を列車に見立てた鉄道ごっこをしている場面です。どうやら箱の上に人形らしきものを乗せていて、それを落としてしまったらしい。そこにかすかな鉄道事故のイメージがあり、もう小説の最初からトルストイが周到な準備をしていたことがうかがえるのです。

これでひとまず、小説芸術家としてのトルストイを再確認したことにして、次に、わたしが専門にしているウラジーミル・ナボコフが、『アンナ・カレーニナ』をどう読んだかをお話しします。

ナボコフは一九四〇年にアメリカに渡り、翌年大学に勤め口を見つけるまでのあいだに、ロシア文学を講義する原稿を用意していました。彼の『ロシア文学講義』の中に収められている「『アンナ・カレーニナ』論」では、この作品の最初の部分にかなり詳しい注釈が付けられています。ここで取り上げるのは、そのなかでもわたしがいちばん好きな注釈についてです。

『アンナ・カレーニナ』は、「アンナが不倫をして鉄道自殺をする」というプロットの他にもう一つ、知識人リョーヴィンがキチイという女性に出逢い、いろいろあった末にようやく結婚までたどりつき、そして子供が生まれて・・・という、リョーヴィンの結婚物語があります。つまり、アンナの物語とリョーヴィンの物語は一種のダブル・プロットになっています。次に引用するのは、リョーヴィンがキチイとモスクワのスケート場で出逢う場面です。

(第一編九章)
 四時に、リョーヴィンは胸をどきどきさせながら、動物園の前で辻馬車をおり、小道づたいに、手橇すべりの山とスケート場のあるほうへ向かって歩いて行った。彼は車寄せにシチェルバツキー家の馬車を見かけたので、今すぐてっきり彼女に会えるものと思っていた。
 それはからりと晴れあがった、凍てのきびしい日だった。車寄せに馬車や、橇や、辻馬車や、憲兵たちが列をなして並んでいた。こざっぱりした身なりの人びとが、明るい日の光に帽子をきらきらさせながら、入口のところや、棟木に木彫りの飾りをつけたロシア式の小屋のあいだの、きれいに掃き清められた小道に群がっていた。雪の重みで、巻毛のような枝をすべてたらしている、庭園の白樺の老樹は、まるで新しい荘重な袈裟で飾りたてられたみたいであった。

  (中略)

 「あなたにほめていただくなんて、光栄ですわ。だって、こちらでは今でも、あなたがすばらしいスケーターでいらしたという評判ですもの」黒い手袋をはめた、かわいい手で、マフにおちた霜の針を払いおとしながら、キチイはいった。

この場面についてナボコフは、「トルストイの文体は実用的な比喩がふんだんに出てくる一方で、主に読者の芸術的感覚に訴える直喩や隠喩が奇妙なほどに見当たらないが、この白樺は例外である。この老樹はやがてキチイのマフの毛皮の上に祝福するような霜の針を落とすことになるだろう」と言っています。ただし、引用で中略とした部分は実際には文庫版で三、四ページほどの、かなり長い間隔があいています。ここを読む読者は、「黒い手袋をはめた、かわいい手で、マフにおちた霜の針を払いおとしながら、キチイはいった」という箇所にやってきても、そういえば白樺に雪が積もっていたな、なんてことはたぶん忘れているのではないでしょうか。少なくともわたしは忘れていました。ところがナボコフは、じつにいとおしそうな手つきで、その霜の針を拾い上げているのです。これはつまり、トルストイの筆先にきわめて細やかな神経が行き届いていて、そのトルストイの筆先を、ナボコフが小説家としての直感で、さらには優れた読者としての感性で、見逃さなかったということなのでしょう。わたしは二人のこの細やかな神経に見とれてしまうわけです。

さてそれでは本題に入って、『アンナ・カレーニナ』における小説芸術家としてのトルストイという問題を考えてみます。モラリストとしてのトルストイは、 明らかに知識人リョーヴィンの人物造形に投影されています。つまり、リョーヴィンの悩みは多くの部分でトルストイの悩みでもあり、さらに言い換えれば、リョーヴィンは人生に悩む人間としてトルストイの自画像になっています。それでは、小説芸術家としてのトルストイの自画像は、この小説のどこに描き込まれているのか。

小説の中盤、いわば社会から追放された形になったアンナとヴロンスキーは、ヨーロッパを旅行する途中に、イタリアのある町に滞在します。そこでロシア人画家のミハイロフに会って、彼にアンナの肖像画を描いてもらうというシークエンスがあります。ここに登場する画家ミハイロフに、わたしは芸術家としてのトルストイの自画像を見出せるように思うのです。

ミハイロフについて書かれた部分は、話題としては絵画についてですが、この「絵画」を「小説」に置き換えて読んでもさほど間違いではなく、トルストイの芸術観および小説観をうかがい知ることができます。

ここで大切なのは、絵画に対する態度という点で、ヴロンスキーとミハイロフがきわめて対照的であることです。ヴロンスキーは以前から絵を描くのが好きで、社会から追放同然となって、時間を潰すために絵を描いてみようとします。

(第五編八章)
 彼には絵画を理解する能力があり、正確に、しかもじょうずに作品を模倣する能力があったので、自分で画家としての素質があると思いこみ、自分はどんな流派の絵を選ぶべきか、宗教画か、歴史画か、風俗画か、それとも写実画か、としばらく思い迷ったあげく、とにかく描きはじめてみた。彼はあらゆる流派の絵画を理解し、そのいずれにも感動することができた。ところが、彼は絵画にはどんな流派があるかということを、まるっきり知らなくても、また自分の描くものがどんな流派に属するか、そんなことは気にかけなくても、自分の心にあるものから、じかに霊感を受けることができるのだとは想像してみることもできなかった。 彼はそれを知らなかったので、直接に人生そのものからではなく、すでに絵画によって具現化された間接的な人生から霊感を受けた。したがって、彼はきわめてすみやかに容易に霊感を覚え、それと同時に、きわめてすみやかにかつ容易に得られた結果は、彼の描いたものが、彼の模倣しようと思った流派に、きわめてよく似てきたことであった。

ヴロンスキーが持っているのは、他人の作品を模倣する才能です。彼にとっての霊感とは間接的なもの、つまり他人が描いた絵画から受けるものです。これを小説に置き換えて今風に言えば、小説とは一種のインターテクスチュアリティであるという概念になるでしょう。「小説は小説から生まれる」というのは比較的現代的な発想です。それはヴロンスキーの絵画に対する考え方とかなり通じるところがあります。それに対して、トルストイはいかにも一九世紀的で、直接に自分の心の中から、あるいは人生からインスピレーションを受けるわけです。このヴロンスキーとトルストイの考え方は、おそらく対極にあると言えるでしょう。

今引用した箇所のすぐ後で、ヴロンスキーはアンナの肖像画を描きます。彼は「優雅なフランス流派の絵画を真似て」、「アンナにイタリア風の服装をつけさせ」た。それが周りから褒められて、自分でもなかなかよく描けたと思い込んでしまうのです。このヴロンスキーの態度は、後にトルストイから処罰を受けることになります。

次に、 ミハイロフの創作態度ですが、次の引用部分はデッサンをしている最中のミハイロフをみごとに活写しています。

(第五編十章)
 彼は、生活状態が悪いときほど、とくに妻と口論したときほど、仕事に熱中し、しかも順調にはかどるのだった。
 《畜生っ!どこへでも消えうせろ!》彼は仕事をつづけながら考えた。彼は、憤激の発作にかられた男のデッサンをしていたのである。このデッサンは、以前にも描いたことがあるのだが、彼はそれに不満だった。《いや、あのほうがよかったかな・・・あれはどこにやったかな?》彼は妻のところへ行き、しかめ面をしながら、妻のほうは見ないで、上の女の子に、 前にやった紙はどこにあるか、とたずねた。描き捨てたデッサンの紙は、見つかるには見つかったが、ひどくよごれて、ろうそくのしみがいっぱいついていた。それでも、彼はそのデッサンを持って来て、自分の机の上に置き、 少し離れたところから、目を細くして、じっとながめた。と、不意に、彼はにっこり笑って、うれしそうに両手を振りまわした。
 「そうだ、そうだ!」彼はいって、いきなり鉛筆をにぎると、素早く描きはじめた。ろうそくのしみが、その絵の人物に新しいポーズを与えていたのである。
 彼はその新しいポーズを描き出したが、不意に、自分がいつも葉巻を買う店の主人の、あごの突き出た、精力的な顔を思い出して、その顔を、デッサンの人物の中に描き加えた。彼はうれしさのあまり、大声で笑いだした。今まで生気のない、死んだつくりもののような人物が、急に、生気があふれて、もう変更の余地のないものとなったからである。その人物は生命の息吹が感じられ、一点の疑いもなく明瞭に決定されていた。その人物の要求に応じて、デッサンを修正することができた。 両足のひろげ方をなおし、左手の位置をすっかり変え、髪をうしろへなでつけることができるばかりでなく、そうする必要があった。しかも、こうした修正を行いながらも、人物そのものには手を加えず、ただその人物の真の姿を隠しているものを取り去っただけであった。それはちょうど、全体を見ることを妨げていたおおいを、画面から取り除くようなぐあいであった。新しい線を一つ加えるだけで、精力的な、力にあふれた人物そのものが、いよいよ明瞭に現れてくるのだった。それはろうそくのしみのために、いきなり彼の目の前に現れたものであった。名刺が届いたのは、彼が慎重に人物の仕上げをしていたときであった。

このパッセージで特に注目していただきたいのは、「ろうそくのしみ」です。それともう一つ、これもぜひ記憶に留めていただきたいのは、「葉巻屋の店主のあご」 です。

「ろうそくのしみ」という取るに足らないものが、ミハイロフのインスピレーションの源泉になり、今まで自分が描いていた、まるで死んでいるような対象が、この「しみ」によって突然生き返ったように見えたわけです。 創作行為における霊感という、言ってみれば神秘的なものをあざやかに具象化して見せたのが、この「ろうそくのしみ」であるようにわたしには思われます。 一般には取るに足らない、些細なもの、わたしに言わせれば「細部」ですが、それが実は芸術作品の源泉になっている、ということをこのエピソードは教えてくれるのではないでしょうか。

すでに引き合いに出した、ナボコフがいとおしい手つきで拾い上げた「霜の針」もその例外ではありません。トルストイの『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』 には、物語とは直接関係ないように見える、小さなエピソードや細部が豊穣すぎるほどにあります。これはしばしば批判されるところですが、わたしにはそれこそが作品に生命を与えているのではないかと思えるのです。

これに続いて、ミハイロフが自分のアトリエにやってきたアンナを初めて見る場面を読んでみましょう。

(第五編十章)
 彼は足速にアトリエのドアに近づいた。と、彼はかなり興奮していたにもかかわらず、車寄せの陰に立って、なにやら熱心にしゃべっているゴレニーシチェフの話に耳を傾けながら、それと同時に、近づいてくる画家を振り返って見ようとしているらしいアンナの姿の柔らかな輝きに、思わずはっとした。彼は自分でもそれと気づかずに、一行に近づきながら、この印象をとらえて、それをのみこんでしまった。それはちょうど、あの葉巻を売っている商人のあごと同様、どこか頭の中へ隠しておいて、他日必要なときにそこから引き出すためであった。

ここで画家ミハイロフは、アンナから受けた第一印象を、将来いつか使うときのために記憶の片隅に留めておきます。こうした、生活の一瞬一瞬に受けた印象を素材として記憶に残すという習慣は、小説家トルストイの日常的な習慣でもあったはずだとわたしは想像します。ここで、なぜか連想するのはまたもやナボコフです。

ナボコフがアメリカに渡る前、ベルリンで暮らしていた時期にロシア語で書いた作品群のうち、一般に最高傑作と評価されている長篇小説『賜物』の中には、おそらく 『アンナ・カレーニナ』のこの箇所に対するオマージュを捧げているのではないかと思われる一節があります。ベルリンで亡命生活を送っている、文学を志す主人公の青年フョードルが、煙草屋に煙草を買いに行って、 たまたま好みのロシア製の紙巻煙草が切れていたので、手ぶらで帰る代わりに、煙草屋の主人が着ているチョッキや禿げている頭などを記憶に留めて、それを将来の素材としてとっておく、という場面がそれです。トルストイの場合は葉巻屋であり、そのあごだったわけですが、ナボコフの場合は煙草屋であり、その禿げた頭で、これはおそらく偶然の暗合ではないはずです。

さて、 アンナとヴロンスキーはミハイロフのアトリエで彼の絵を見て、さまざまな反応を語ります。それに対するミハイロフの考えを述べた次の引用は、彼の芸術観をはっきりと表しています。

(第五章十一章)
 彼は今の賛辞でもそうだが、技法というものを内面的な価値に対立するものとして、 つまらないものでも巧みに描く才能としていることに、しばしば気づいていた。彼は、真の対象を隠しているおおいを取るとき、作品そのものをそこなわないためには、また、そのおおいをすっかり取り除くためには、ひじょうな注意と細心の心づかいが必要なことを知っていた。しかし、そこには描くための技術、つまり、技法とかいったものはなにひとつないのだ。もし幼い子供や台所女中に、彼の見たのと同じものが啓示されたなら、彼らもまた自分の目に映ったものの真の姿をちゃんと表わして見せるにちがいない。ところが、どんなに経験に富んだ巧妙な技巧派の画家でも、描くべき内容の限界があらかじめ啓示されない以上、単にその機械的な能力だけでは、なにひとつ描くことはできないにちがいない。いや、そればかりか、技法ということを云々する以上、彼はもうその点では自分がほめられる資格がないのを、ちゃんと知っていた。彼は自分の描きつつあるもの、またすでに描きあげたもののすべてに、一見して目につく幾多の欠点を認めていた。それらは、真実を隠すおおいを取り除くときの不注意から生まれたもので、もう今となっては、作品全体をそこなわずに、それを修正することはできなかった。ほとんどすべての姿や顔に、まだ完全におおいが取り除かれてない痕跡があり、それが画面をそこねているのを、見てとった。

ミハイロフ、 あるいはトルストイにとって、人が「技法」と呼ぶものは、実は「細心の心づかい」 と呼ぶしかないもので、けっして機械的な操作ではなかったのです。すでに見た鉄道自殺に至る伏線なども、「技法」ではなくて「細心の心づかい」なのです。

おそらくそれと同じことが、ナボコフを含むこの系列の作家についても言えるような気がします。 わたしたちがトルストイやナボコフの作品の仕掛けや細部について論じるのは、けっして作品のメカニズムを解剖し分析するということではなく、むしろ隅々にまで細やかな神経が行き届いている、作品の生きた姿をそのまま掴みたいからなのです。

さらに、この引用部分でもう一つ注目すべき点は、ミハイロフが自分の描いた絵について欠点を認めていることです。これはすなわち、トルストイが自作に対してきわめて批評的な眼を持っていたことを暗示しています。もし『アンナ・カレーニナ』がトルストイによるアンナという人物の肖像画であるとするなら、トルストイはその肖像画を描くに際して、きわめて批評的な姿勢を取っていたはずです。アンナをその内面から描くだけではなく、さまざまな人物の眼に映る印象を通して、いわば複合的に描いているのも、そうした批評的な意識の現れであると考えられます。

こうしてミハイロフは、ヴロンスキーに頼まれて、アンナの肖像画を描くことになります。

(第五編十三章)
 その肖像は、五回めあたりから、みんなを、とりわけヴロンスキーを驚かした。それは、ただよく似ているからだけではなく、その一種特別な美しさのためであった。ミハイロフがどうしてアンナ特有の美しさを見いだすことができたか、ふしぎなくらいであった。《あれのこうした美しい精神的な表情を発見するためには、おれと同じように、あれを知り、あれを愛さなければならないはずだが》ヴロンスキーは考えた。 そのくせ、彼はこの肖像画によって、アンナのそうした美しい精神的は表情を、はじめて知ったのであった。しかし、その表情があまりにも真実味にあふれていたので、彼にしても、ほかの人びとにしても、もうずっと前からそれを知っているような気がしたのであった。
 「ぼくなんかもう長いこと苦心しているのに、なにひとつできやしない」彼は自分の肖像画についていった。「それなのにあの男ときたら、ちょっとながめて、すぐ描いてしまった。これがつまり技法ということなんだな」

ここで強調したいのはミハイロフとヴロンスキーの違いです。ミハイロフが短時間のうちに見出したアンナの美しさを、「技法」のせいだと片付けてしまったヴロンスキーは、それだけでトルストイから処罰される運命にあるのです。

 自分の描いている絵も、結局のところミハイロフの絵に比べれば大したことがない、と悟ってしまったヴロンスキーは、そこでどうしたか。

(第五編十三章)
 ところが、こうした仕事がなくなると、イタリアの町におけるヴロンスキーとアンナの生活は、まったく退屈きわまりないものに思われてきた。ヴロンスキーはアンナもあきれるほど退屈していた。邸宅(パラッツォ)はとつぜん、いかにも古ぼけてきたなく感じられ、カーテンのしみや、床の割れ目や、蛇腹の漆喰の剥げたところが、ひどく不愉快になってきた。そして、相も変わらぬゴレニーシチェフや、イタリア人の教授や、ドイツ人の旅行者などがどうにも鼻についてきたので、生活を一変する必要に迫られた。ふたりはロシアの田舎へ帰ることにきめた。

退屈しのぎで絵画に逃避しようと思ったのに、そこでも逃避場所を奪われたヴロンスキーとアンナはふたたび退屈な生活に戻ります。これが画家ミハイロフとの出会いをめぐるシークエンスの結末ですが、ここでも注目すべきは、カーテンの「しみ」です。このパラッツォを借りたとき、 花緞子をあしらった黄色い古めかしいカーテンは、ヴロンスキーに世を捨てた芸術家というきわめて心地よい幻想を与えてくれました。そのとき彼は、カーテンのしみには気づいていませんでした。ところが今見ると、そのしみが非常に不愉快なものに思えたわけです。もちろんわたしはここで、この「カーテンのしみ」をミハイロフの「ろうそくのしみ」と比べていただきたいのです。カーテンのしみが不愉快なものにしか見えないということが、ヴロンスキーに芸術家の資格がない、さらにはアンナの美しさを理解する資格がない、ということを証明しています。これがトルストイによってヴロンスキーに与えられた罰なのです。

ここまで、『アンナ・カレーニナ』に読み取れる、トルストイの細やかな心づかいについてお話ししてきましたが、最後にヴァージニア・ウルフの長篇小説『灯台へ』 について、少しだけお話したいと思います。次の引用は、『灯台へ』第一部の最後の部分で、小説の主要人物の一人であるラムジー夫人が夫のそばで靴下を編みながら、夫と心が通い合わずに非常なもどかしさを感じている場面です。ここではわたしの試訳を掲げます。

そしてそれからどうなる? というのも夫はまだこちらを見ているが、表情が変化したのを彼女は感じたからだ。夫は何かを望んでいる――彼女が与えようとしてもどうしても与えられないものを望んでいる、つまり、「愛してる」と口に出すことを望んでいるのだ。しかしそれは、どうしても、できない。夫のほうが彼女よりずっと話すことに慣れている。夫は話すことができるのに、彼女にはできたためしがない。だから、 自然としゃべるのはいつでも夫のほうになり、そしてどういうわけか夫はそれを突然気にして、彼女を責めているのだ。薄情な女だと夫は言う。愛してるなんて言ったためしがないと。しかしそうじゃない――それは本当じゃない。ただ、感じていることを口に出せないだけ。上着にパン屑が付いていないだろうか? できることは何もないのだろうか?

社会と政治にたえず関心を持ち続けた、ユダヤ系の左翼知識人であり文芸批評家のアーヴィング・ハウは、死後出版された『批評家のノート』という評論集の中に、彼が最晩年に愛読したトルストイについてのエッセイを数篇収めています。編集に携わった息子のニコラス・ハウが序文で語るエピソードによれば、アーヴィング・ハウはこのウルフの『灯台へ』のパン屑の話をよく持ち出したとか。このパン屑が理解できる人間が良い読者なのだ、というのが口癖だったそうです。

社会問題への関心が強い、たとえば桑原武夫、そしてアーヴィング・ハウ、さらにはトルストイといった人々は、大きな問題を論じるのが好きで、小説の細部にはこだわらなさそうなタイプだと錯覚される傾向にあります。しかし、事実はまったくその逆なのです。アーヴィング・ハウは、『批評家のノート』を読めばよくわかるように、無類の小説好きであり、また小説の細部を愛する人でした。序文でニコラス・ハウが語るところによれば、「小説を読んでいるときの父親は、まるで恋をしている男のようだった」とのことです。わたしも一度でいいから、そんなことを言われてみたいものです。

ラムジー夫人は、もし夫の上着にパン屑が付いていたら、それを取ってあげたいと思っています。そのささやかな願いとふるまいは、「愛してる」という言葉を口に出せないラムジー夫人が、夫に対して示すことのできる、彼女にとっては最大の愛情表現なのです。

それと同じように、わたしたちもまた、テクストの表面に付着している 「霜の針」や「ろうそくのしみ」や「パン屑」を、ナボコフがそうしたように、いとおしい手つきでそっと拾い上げなければなりません。それこそ、読者としてわたしたちが、小説に対して示すことのできる、最大の愛情の証だとわたしは信じています。

【『アンナ・カレーニナ』 からの引用は、すべて新潮文庫版の木村浩訳を使わせていただいた。】

The Chukyo University Society of English Language and Literature

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