パソ様とエイ爺のあいだ

織田  まゆみ


 最近の機器の進化の目まぐるしさ。PHSを予約で、しかも3万円払って買ったのはいつのことか・・・ 10年経っていないはずだ。 今は影もない。興奮して買ったパソコンもすっかり日常化してしまった。当初こそ、「パソ様」と呼び、動かなくなった、 やり方がわかった、と大騒ぎしていたが、最近は aging のエイ爺になり、年寄りだから早くやるとついていけない、などと悪口をいわれている。自分用のノートパソを持ったので、 最初のパソの比重が相対的に小さくなったのかもしれない。

 私にとってのパソコンの効用は、平凡なものだ。まず、本の注文。 amazon.com におずおずアクセスして、はじめてカード番号を登録した時の気持ちを覚えている。カード番号を、知らない国の誰かに悪用されても、 それを追跡するのが難しいと聞いていたから不安があった。「幾重にもガードしていますが、それでも心配なら電話を」という アマゾンの表示にしばし悩んだが、電話しても別の問題がででくるだろうと判断し、えいっとばかりに打ち込んだ。幸い、 現在まで問題はなく、古本探索もできるし、amazon.co.jp も発足したりで、手紙やらファックスでの問い合わせを考えたら夢のようである。図書館などの所蔵本の探索が自宅でできるのも 本当にうれしい。愛知県、名古屋市図書館も一日も早くこのサービスを実現してほしい。

 次は連絡。日程変更などの事務連絡が、発信時刻を問わず、しかも大勢の人に同時にできるのは、電話に比べ本当に便利だ。 意外だったのは、ローマ字の効能である。末っ子が11歳の時、交流プログラムで、コスタリカに1ヶ月行ったことがあった。 どこにあるのかさえ知らなかった国だったのだが、一週間に一度ローマ字でのメイルが来て、兄たちの時の「便りのないのは無事な証拠」 状態とは明らかに様変わりしたなと思ったものである。地球が小さくなったことを実感した。

 しかし、いいことづくめでもない。それほど親しくもない人から、毎日短歌が一句送られてきた時は閉口した。ちょうど、 子どもからの便りを待っていた時だったので、メイル着信ボタンが点滅するたびに勇んでパソを開けると短歌一句、 という状態にはまいった。10数日我慢したが、ついに丁重なお断り文を書いた。やたらとアドレスをばらまいてはいけないことを 肝に銘じた。したがって、宮部みゆきの『R.P.G.』を読むまでもなくチャットには危険がいっぱいだと思う。中には匿名性を意識的に用いて、 出会い系サイトでの男性意識のあぶりだしを試みた「ネットオカマ」(ネカマという)の報告もある。 (佐々木由香「「ネカマ」のすすめ」斎藤美奈子編『男女という制度』所収)私の友人には、バツイチ、2人の子持ちにもかかわらず、 超有名大学院を修了したばかりの15年下の男性と結婚した豪傑がいるが、彼女たちの出会いはインターネットだった。 このおめでたいケースの場合も、視点を変えてみれば「危険!」と言えるのかもしれない。もちろん、私は友人の幸福を願っているのだが・・・

 チャットには二の足を踏んでいるが、ホームページを作ってみたいとはずっと思っている。所属している会の会誌を公開したいのである。 ホームページビルダーもスキャナーも買ったのに、もう3年も願っているだけで過ぎてしまった。スキャナーの処理がよくわかっていないのが 問題だろうと思うのだが、その解決のために泥沼に浸る時間がない、というより浸るのが怖いのが正直なところなのかもしれない。 ターミナルアダプターとパソとの接続、メイル着信ボタンの接続で、一週間費やしたあの日々を思うと、どうしても腰が重くなるのである。

 ところで、先週、私のマンネリ化したパソ環境に激震?が走った。ウイルスの到来である。ホンコン風邪じゃないけれど、無意識に、 悪いものは外国から来ると思っていた自分の愚かさがよくわかった。ウイルス・バスターが守ってくれたが、不安で不安で、 何度もウイルス調査をした、と同時に、改めてエイ爺の大切さを再認識したのである。

                                                        (大学院学生)



The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last Updated: Monday June 3, 2002

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