加藤くに子
現代の便利且つ快適な都会生活においては、自然の脅威を体感することはあまりない。しかし、先日の東海豪雨では、大自然の猛威と、己の無力さと不甲斐なさを痛感した。多大な物的損失を蒙ったものの、文明の利器に囲まれた怠惰な生活への戒めと謙虚に受け止め、今後の我が人生への教訓としていきたい。
当日を振りかえって見ると、時問的観念がすっぽり消えていることが、 まず大きな驚きだ。もちろん、物理的時間は誰にしても平等に経過するも
のである。しかし、こと命に関わる瞬間は、一秒が十秒にも感じられものだといわれるように、決して等間隔で時が流れるものと思われない。時計は常に規則正しく時を刻んでいながら、異質の時間がこの世には存在しているとさえ考えられる。今振り返ってみても、何時頃に水が上がり、何時頃に水が引いたのか思い出せない。考える間もなく停電し、文字通り暗中模索の状況だったためか、単に老化現象で私がボケていたためなのかはさだかではないが。
具体的な話しに戻すと、よく降る雨だといった感覚で二階でのんびり一人で雑用をしていると、「ゴボゴボ、ゴボゴボ」という何か異様な低い音が耳に入る。そこで階段を駆け下りると、すでに玄関に水が浸入してきている。さあ大変だ、と慌てて作業着に着替え、一階の荷物を少しでも二階に運ばなければ、と思っている矢先に部屋に水が入り、見る見るうちに水位が上がっていく。そして、何と停電。懐中電灯は、蝋燭はと手探りで探す。必死で懐中電灯のスイッチを入れ、階段に蝋燭の灯りをできるだけたくさん燈す。パニックをおこしているためかこんな簡単なことが意外に手間取る。下にある大切なものを二階へ上げなければと思うが、どんな重要なものが下にあるのか思いつかない。停電のため、状況が全く掴めず、異 様に静まり返った部屋の中で、時たま聞こえてくるのは、「ゴボゴボ、ゴ ボゴボ」という水音のみ。その音に恐怖心を募らせ、懐中電灯を差し向けると、その部分があわ立ち、水位が音も無く上がってくる。まてよ、落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせ、この泥水の中、いくら必死でがんばったところで、たかだか一人で二階に運べるものは限られている。もしここで転倒でもしようものなら、助けに来てくれる人はいないし、電話すらかけられなくなる。では、一階のものはあきらめよう、そうすれば命だけは助かるだろう、二階まで水が上がることはあるまい。少し惜しい気はするが、物的損害を全面的に受け入れようと覚悟を決めると、気持ちが軽くなる。後は水位がどこまで上がるかだけだと考え、蝋燭をどっさり澄した階段に座り、ひたひたと増していく水面に目を凝らす。階段が一段ずつ水に漬かっていくときは、恐怖を禁じえないが、必死で祈る。ただひたすら祈る。座る場所も一段づつ上に移動しながら、黙して祈る。そして、やがて水の上昇が止まる。その安堵感と喜び。必死の叫びが聞き入れられたかと感謝の気持ちが湧き起こる。こうして一人きりの長い長い一夜が始まり、夜中に今一度水位が上昇したが、それも長い時間ではなくほっとする。 この孤独と恐怖の最中に、名古屋から(JRは不通のため)自転車で息子が駆けつけてくれたときは、感激で胸が詰まる。空が白んできたときの喜びと電気が通じた時のうれしさは忘れることが出来ない。
車を廃車にし、ガスが使えないため、何日も風呂に入れないなどの不都 合は多々あったものの、息子夫婦の奮闘と、はるばると長野から車に掃除
用具を積みこんで駆けつけてくれた娘夫婦のおかげで、1週間で当座の生 活は可能となり、不都合ながらもキャンプ生活のようなシンブルライフを
送っている。
被災して思ったことは、何と大勢の心温かい人達に支えられながら生き ているかということだ。親族、友人知人は言うに及ばず、見ず知らずの方
にも様々な親切を受けた。春日井市の清掃職員のきめこまかな心配り。玄 関先のゴミの山を見て多いときは一日に三度も立ち寄ってくださる親切
さ。ガスが使えず、銭湯に行った時は、石鹸も持たずに行ったにもかかわ らず、見ず知らずの方がとてもにこやかにどうぞお使い下さい、と差し出
してくださった石鹸セット。うれしいことこの上ない。殺伐としたニュー スが多い昨今、まだまだこの世は捨てたものでもないとしみじみ思う。
自然の脅威をあなどるなかれと己に言い聞かすと共に、電話と電気が不通になった時の心細さ、不便さは身に沁みた。さらに、最終的に人問は体力がないと災害は乗り切れないことも痛感した。年齢なのか、怠惰な生活のためか、災害復旧に際しては自分が全く役立たない人間であることも、
情けないことだが認識できた。
個人的に謙虚に反省すべきことは、多々あるにしても、河川行政のひど さも痛感した。我が家の前の幅十メートルほどの地蔵川が氾濫したのは二
度目で、十年前の洪水の時、堤防の高さを両岸同じにしてくれるよう再三陳情したにもかかわらず、放置された。ということは、川が溢れた場合、
堤防が低いこちら側が被災することは必死だ。この川は一級河川なので、 愛知県の管轄で、市レベルではどうにもならないが、2006
年からの計画に はこの地域も盛りこまれているからそれまで待つように、とのことだが憤
懣やるかたない。主人は知り合いの市議会議員に、私は春日井市長当てに 一被災者として手紙を出したが、それ以上の解答は得られていない。今回
は被災住民が集って、市に住民レベルでの陳情も行い、即答を得られる問 題ではないが、ハザードマップの作成だけは承諾させた。もちろん遅々とした歩みではあるが、行動を起こさない限り、安全で住み良い環境にはならないと、住民も手を組み、知恵を出し合いつつある。
様々な想い、さらに宿題も残して、次第に平常な生活へと戻りつつある。 いみじくも当日は不在であった主人の次の言葉が、私の感慨を総括してい
るといえるだろう。「手ぬるい河川行政には腹が立つが、長い一生こんなこともあるさ。自然を侮ったらいけないということなんだね。自然を破壊
し環境を汚染している人間へのお返しかもしれない。今後、自然災害は増える一方だろうから、人間も自然の大きな懐に抱かれて生きていることを
忘れずに、謙虚に生きなければいけないということだろうね。新興宗教に 全財産を巻き上げられた方々のことを思えば、自然災害だからあきらめも
つくよ。亡くなった方もみえるから、不幸中の幸いと考えよう。それにお棺に入るのは身体一つだから、多くの家財を失ったことは忘れよう。命さ
えあれば人間何歳になってもやり直しはきくからね。二人とも五体満足で 仕事もあるんだから、それだけでも感謝してがんばっていこう。」
(日本福祉大学非常勤講師)