子ども版『ロビンソン・クルーソー』と二つの図柄

原   昌



 私は本の探索をして、旅することが好きである。ときには思いがけない拾いもの をすることがある。

 数年前には、横山由清の『魯敏遜漂行紀略』 (1857) 原本を探しに、カナダのオ ズボーン・コレクションに出かけたことがあった。ここには、 1910 年以前のイギ リスの子どもの本が3万冊以上あるからだ。そんなときのおきまりのルート、つま り、ミネソタ大のカーラン・コレクション、ワシントンD.C. の議会図書館、そ れからボストン公共図書館を経て、最後にトロントに入るのである。この間、海の 神秘と初秋の紅葉に魅せられ、メインの海辺に立寄ることもある。

 けっきょく、オズボーンではオリジナル本は見つからなかったが、『ロビンソ ン・クルーソー』の初期子ども版、T・ カーナンの小型本に出会った。1783 年刊 行の 126 頁のポケット版で、出版地はロンドンのセント・ポール寺院構内。明ら かにはじめて児童出版を手がけたJ・ニューベリーの後継であった。

 タイトルが<扇>に記されていて、「後に開拓した無人島で、28年を過ごした ロビンソン・クルーソー、あの有名なヒーローのすばらしい驚くべき冒険」という 長ったらしいタイトルが付けられている。そして「ロビンソン島の住民たちのため に」印刷したと記されている。だが、原作者D・デフォーの名は見あたらない。

もちろん、1719 年の初版本にもデフォーの名はなく、"Written by himself" と なっているので、ロビンソンが書いたということになる。しかも、こうした記述は 約一世紀後のJ・ハリス版 (1813) までつづいている。カーナンは、いかにもロビ ンソンの実話として示したかったのであろうが、すでに実名が判明しているのに、 ロビンソン著を装ったのである。

 ところで、この本の厚紙の表紙には二つの絵が刻まれている。表紙には、<窓> をなした花のケープの飾り模様に囲まれて、子ども三人が遊んでいる。中央には男 の子が目かくしで<鬼>となり、二人の女の子が<鬼>に手招きしているようだ。 わが国の伝承の遊び「鬼さんこちら」にまったく類似している。

また、裏表紙には、花をつけた蔓のようなものが伸びて装飾的な<窓>の役割を し、左右に二人の男の子が向かい合って羽根つきをしている。中央には、木陰で幼 な子を抱いて、この遊びを見つめている母親の姿がある。暖かい構図である。これ もわが国の伝承の遊び「羽根つき」に類似している。

 商魂たくましいカーナンのことで、これら二つの遊びの絵は、子どもたちを引き つけるために表紙に用いたのであろう。いずれも当時の子どもたちにとってポピュ ラーな遊びだったにちがいない。

 私が驚いたのは、日英両国で二世紀以上もまえに、同じ遊びがあったということ である。

 前者は "Blind Men's Buff" という遊び、後者は "Shuttledore" または "Battle dore & Shuttlecock" というようである。

 ちなみに "Blind Men's Buff" について、遊びの研究者J・H・バンクロフト (J.H. Bancroft) は、その著『遊戯』 (Games, 1909) のなかで、この遊びが通常 十人から三十人ほどの集団遊びであること、そして最も古い伝承遊びの一つで、古 代ギリシャでは "Brazen Fly" と呼ばれたと記している。その遊びの仕方につい て、まず一人の子が目かくしをされ中央にいて "a blind man" (以下、鬼と記す) となり、遊びは次のように展開されていく。 

鬼のまわりを、子どもたちが手をつないで円を指して廻る。鬼が三度手をたたくと、 廻る輪がストップ。鬼は輪に向かって指を指す。当てられたものは前に出る。鬼はそ の子を捕らえようとし、捕らえたらその子の名を当てる。

最後にもしその子の名が当たらなかったら、ふたたび元に戻り輪が廻りはじめる。

 わが国の「鬼さんこちら」(土地に)よっては、<目かくし>と呼ぶ)とほとん ど同じである。ちなみに、この遊びについての大田才次郎の『日本児童遊戯集』 (1968) の解説を、ここに記しておこう。

 一人の児目隠しをなして鬼となり、他の児童その周囲に居り、或いは手を鳴らし、 或いは左の句を唱えつつ近寄るを捉えて鬼となし代わるなり。又捉えしのみならず 誰と指名して (あた)らざればこれを放し、再び捉えてその児の名をあてるまで鬼を継続 するもあるなり。その唱句は、

     鬼さんござれ、ここまでござれ、手の鳴る方へ。 

 これはバンクロフトの伝える "Blind Men's Buff" と、「3回手をたたくと子ど もの輪がストップ」という点を除いて、同一である。もちろん、英語圏では "Blind man" のことを<鬼> (Ogre) とは言わない。わが国の場合には、鬼には<邪>の イメージがあり、仏教思想の影響があると考えられるが、英米では、 "fagger" または "it" で示されている。

 ともかく私は、二世紀以上も前に日本とイギリスに同じような遊び方があること に驚いたのである。

 ところで、オズボーンでは、原本探しという初期の目的は達しなかったが、思い がけない拾いものをしたのであった。いったいこれらの遊びが、どのように生まれ たのか、はたして二つの遊びにどのような接点があったのか、はたして影響関係が あったのか、なかったのか、こうした疑念が湧いてきたのであった。

 この疑念は、私のなかでいまだに解決されていない。

(文学部教授)

The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Oct 4, 2000

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