ジャピングリッシュのすすめ

神田 和幸



ジャパニーズ・イングリッシュとか、日本語英語、日本人英語という、日本人が 話す英語はよくないものとされている。たとえば、数年前のさる有名な英会話学 校のCMで主人公が「ザッツ・ライト」、 「オー、ユー・ドロップト・ア・ハンカチーフ」が話す“英語”は笑いの対象に なっている。日本人のほとんどは“きれいな英語”を話したいと思っているし、 英語が“ぺらぺら”になりたいと思っている。この“きれいな”とか“ぺらぺら” とはどういうことか考えてみよう。

1. きれいな英語

日本人が“きれい”と思っている英語はいわゆる「ネイティブ」の英語であ り、その「ネイティブ」は英米人である。おそらくオーストラリア人は含まれて いないし、ジャマイカ人は入っていない。英語とはアメリカ英語とイギリス英語 のことであり、一部の人がオーストラリア英語という“ややなまった英語”があ ると知っている。学校でもそれしか習わないから、そう思うのは当然である。ア メリカ人の多くもそう思っているし、イギリス人のほぼ全員がイギリス英語だけ が英語だと思っている。日本の「ネイティブ」の英語教師のほとんどがアメリカ 人とイギリス人で、わずかのカナダ人とオーストラリア人が英語教師がいる。ネ イティブでない英語教師の方が圧倒的に多く、そのほとんどが日本人で、例外的 ともいえる数の中国人、インド人などがいる。日本人英語学習者は「発音のよく ない」日本人教師から英語を教わり、英会話を目指す人だけがネイティブの教師 から英語を学ぶことになる。日本人の本物志向というかホンモノ好きもアメリカ 英語、イギリス英語志向に影響があるかもしれない。

しかしその結果がどうなったかというと、日本人は英米人以外の英語を蔑視 し、ひどい場合にはその人をバカにすることさえある。日本人は日本人英語をバ カにし、そういう英語を使う人をバカにする。それがあのCMの前提なのである。日本人が日本人英語をバカにするから日本 人は英語を話すことに躊躇する。恥ずかしい思いをしたくない、バカにされたく ないから、“きれいな”英語でないと話したくないのである。逆にいえば“きれ いな”英語が話せることは自慢である。これが日本人の英語に対する“美”意識 である。

2. ぺらぺら話す

みなさんも英語をぺらぺら話せるようになりたいと思っているだろう。ところが 日本人で英語がぺらぺらの人などほとんどいないのである。例外は帰国子女とか 在外経験の長い人で、この人たちは自分ではぺらぺらとは思っていない。この人 たちにとって英語は自分のことばなのである。日本人は日本語がぺらぺらだと自 慢したりはしない。ぺらぺらというのは外国語に対してのみ使う表現である。外 国語と日本語を自分のことばとしている人たち、つまりバイリンガルにとっては どちらも自分のことばなので「ぺらぺら」ではないのである。

「外国語が自由にあやつれる」ことも日本人のあこがれである。しかし、日 本人は日本語を自由にあやつっているだろうか。日本人はことばによるコミュニ ケーションが苦手である。以心伝心とか、黙っていても心は通じるとか、ことば によらないコミュニケーションに期待することが多い。この日本文化は諸外国、 とくに英米圏文化とは異なる。ここで間違ってはいけないのだが、日本の「言わ ない」文化が悪いのではない。また英米の「なんでも言う」文化が正しいのでも ない。どちらの文化も現に存在しているのであり、正誤の問題ではないのである。 この2つの文化の違いがコミュニケーション方法の違いを生み出す。文化が異な る人々の間のコミュニケーションが異文化間コミュニケーションだが、基本的に は「郷に入りては郷に従え」がルールである。一方が他方に従わせるような方法 はよくない。たとえば日米間でいえば、日本人がアメリカへ行った時は英語で、 少しでも多くことばで説明するようにする。アメリカ人が日本へ来た場合は日本 語で、あまり多くを語らず雰囲気で了解するようにするのが正しい。しかし、現 実は日本人がアメリカへ行った時はこの通りだが、日本に来た場合はほとんどそ うならない。明らかにアンバランスなのである。その理由は政治的、経済的力関 係以外の何物でもない。世界の国々がお互いの独立を認め、対等の立場で交際す るのが理想である。しかし、そうならないのが現実でもある。理想をとるか、現 実をとるかは思想の問題である。日本人は現実に追従しているといってよい。日 本人は外国では以心伝心ができるとは思っていないから、外国に行ったら外国語 をぺらぺら話せるようになりたいと思うし、日本にいる外国人に対しても外国語 でぺらぺら話すことで人前で自慢してみせたいのである。

「ぺらぺら」という表現にはどこか「うわついた」感じや「薄っぺら」な感じが するのは日本人がことばをどこか信用してないというか、本当に価値をおいてい ないことなのかもしれない。だから本気で語学をやろうという人が少ない。英会 話はいまでも「おけいこごと」の1つであり、習う人も「できればいいな」程度 の目的意識しかない人が多い。英語ができなければ生活に困る人、英語を仕事に 使う人は英会話学校には行かない。大学の英文科でも生活用の英語、仕事用の英 語など教えない。極論をすれば英文科を出たから英語が上達した人など皆無に等 しく、世間も学生も英文科を出たから英語の達人とは誰も思っていない。これは 実は重大な問題である。たとえば、外国の日本語科を出た人が日本語ができない とか、世間も学生も日本語上達を期待していない、などということはありえない。 日本でもそう思っていないだろう。日本の英文科が異常な状態であるという認識 は広がりつつあり、現在、改革が進められている。

3. ジャピングリッシュ

“きれいな英語”を“ぺらぺら”話すという考え方をそろそろ変えてはどうだろ う。英語を母語としない人たちは堂々と“なまりのある”英語でコミュニケーショ ンしている。 テレビでCNNのインタビューに対して独特 の英語で答える国家元首が多いなかで、日本の首相や政治家は日本語で応答する 姿しか見せない。英語がうまいといわれている宮沢さんでさえ、英語でのやりと りが放映されることがない。一方、“きれいな英語”のできるアナウンサやタレ ントは英語でのやりとりが放映される。そのほとんどが帰国子女か、長期外国滞 在者である。

最近は日本語のうまい外国人が増えた。中には日本生まれの人もいるが、ほとん どが日本で仕事をしている人たちである。つまり、現実は理想に近いバランスを とりつつある。完璧な日本語ではないが、“あやしげな”日本語をあやつりなが ら商売する外国人も増えた。日本人はそうした日本語を受け容れている。そんな “あやしげな”日本語なら話さないほうがマシだとは思わない。

同じことがアメリカでもいえる。アメリカでは外国人が“きれいな英語”で話す とは思っていない。その英語がわかるかどうか、英語というよりも「ことば」が 通じるかどうかに関心がある。以心伝心などとは元から思っていないから、いか にことばで理解しあえるかが重要なのである。文化理解はその次であることが多 い。だから、「ことば」を話さない日本人には困ってしまう。何かいってくれな いと、どうしようもない。日本の英会話の先生はそういう状態にある。

こうした「英語が使えない」状態から脱却する1つの方法として、日本人英 語を認めてしまうという考え方がある。これがジャパニーズ・イングリッシュ、 略してジャピングリッシュ(Japinglish) である。ジャピングリッシュをすすめるというと顔をしかめる英語教師の姿が目 に浮かぶ。ジャピングリッシュは結果としてそうなるのはやむをえないとしても 英語ではないというのだろう。その英語とはあくまでも英米語なのである。中学、 高校から英米語を習い、大学でも少しでも「正しい英語」を学習し、それがうま くいったのが英語教師だから、それが自分の存在価値でもある。「間違った英語」 でもあるジャパニーズ・イングリッシュを認めることは自己否定につながる。英 語圏とくにイギリスでは英語とはイギリス英語のことで、それが「正しい英語」 なのである。しかし現実には英語を母語とする人口はイギリス人の百倍近くあり、 母語ではなくても生活や仕事に英語を使う人口は世界人口の3分の1以上といわ れている。日本人のようになんとか英語がわかる人も含めると世 界人口の3分の2になるという。こういう英語の実態を無視 し、イギリス英語あるいはアメリカ英語だけが「正しい」と主張するのは民族主 義的主張としては理解できるが、それを世界の英語使用者に強制するのは「言語 帝国主義」である。日本はこの言語帝国主義に支配された「言語植民地」に近い。 日本が英米語崇拝に疑問を抱かないのは、思想や理念を越えた、宗教に似たとこ ろがあり、一種の洗脳ともいえる。

ジャピングリッシュにはどのようなものがあるだろうか。実は私たちは直観 的に理解できるが、ほとんど研究されていない。まともな研究者がする研究では ないと思われているからである。マイノリティの言語やピジン言語がそうであっ たように、言語ではないと思われており、言語学者ですら研究対象にすることに ためらいがある。アジア諸国では自国の英語を研究し、それを世界に認めさせよ うと努力している。たとえばシンガポールはシングリッシュを研究し、今はそれ が英語研究のトレンドになっている。英米豪の英語研究者がこぞってシングリッ シュを研究している。まだ体系化していないが、私見ではジャピングリッシュに は次のようなものがあると思う。

4. ジャピングリッシュの実例

4.1 発音
日本人はrl の区別が苦手とされている。それも特徴の 1つだが、子音についてはthfがないとか、いろいろある。あまり注目されて ないが、語尾の有声子音ができないから「ベット」、「バック」のようになる。 また日本語は 5母音だが、英語は11母音なので、1つの母音で英語の2ないし3の母音を代理さ せる。日本語英語のハットはhat, hut を区別しない。強勢の位置も異なる。チンパンジーはチに強勢があるが、英語はジーに強勢がある。

4.2 語彙
語彙つまり単語は外来語として、英米語と共通の意味の場合もあるが、@別の意味 に用いる、A日本語風に省略する、B独自の造語をする、場合がある。別の意 味に用いる場合というのはマンションや自動車のハンドルなど、日本語風省略と はテレビ、ワープロなど、独自の造語としてはパソコン、フリーターなどがある。 これらは日本語の発音、日本文字(カタカナ)で表記され、日本でしか通用しな い語だから日本語であると考えるのが正しい。しかし、日本人の多くは英語だと 思っているし、外国人と話す時にも使用する可能性が高い。日本人にとって、 「正しい英語」に言い直すよりも、外国人側が理解してくれるなら、その方がは るかに楽である。なにも英米で通用させようというのではない。日本にいる外国 人に対する日本英語として利用しようというのである。

4.3 文法
日本人が英語を使う場合、案外本人は「正しい英語」のつもりで使うが、英米で はあまり使わない表現がある。いわゆる「文法的」な英語である。おそらく受験 英語の影響だろうが、Not only …but also….It is so …that…. などの「構文」を使いたくてしかたがない。しかし現実の日 本人英語では動詞や助動詞が脱落することが多い。「電波少年」というテレビ番 組でヒッチハイクする若者はいつも「We are no money, OK?」といっていたが、これもジャピングリッシュである。 英会話の授業では次のような例をよく聞く。

I want buy this but….(Can I take this?)
How many kilograms are you?(How much do you weigh?)
Rain is falling outside.(It is raining.)

これらはじゅうぶん理解できる英語である。日本語をそのまま英語にしたのだが、 単語も文法も英語に従っているから外国人にも意味はわかる。しかし「正しくな い英語」とされてきた。

5. ジャピングリッシュのすすめ

こうした日本人英語はなぜいけないのだろうか。通じる英語がなぜいけない のだろうか。日本人は英語のネイティブスピーカには絶対なれないのだから、日 本人としての英語を目指すべきである。その英語とは通じることが前提なのであ る。日本国内ならカッコイイ英語、発音のいい英語が自慢かもしれない。しかし、 外国ではことばとして通じ、話せることが求められている。発音や表現が英米に 近いことはほとんど評価されない。日本人が外国で求められるのは、話すこと、 説明すること、会話を楽しむことであるが、いずれも苦手である。だから外国人 と一緒のパーティや講演、講義などが苦痛でしかない。

私見だが、大胆な提案かもしれないが、日本でも日本人にジャピングリッシュを 教えたらどうであろう。ついでに外国でジャピングリッシュを講義したらどうだ ろう。外国人にとって日本語を習うよりジャピングリッシュの方が当然、学習し やすい。日本人と何らかのコミュニケーションを必要している人々には良い方法 かもしれない。

英文学科のみなさん、ひとつ考えてみませんか?

(教養部教授)

The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Fri Oct 8, 1999

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