摩擦し合う2つの価値感 ― 若さと責任 ―

武田あかね



この 'A&P' に登場する人々を2種類に分類してみる。まず一種は Lengel と Stokesie、そしてもう一種は主人公である Sammy、それと Queenie を含む三人の女の子達。彼らを二つに分類するのはこの二つの間にある異なる価値感によって物語が成立していると私は思うからだ。そしてこの通じ合うことのない二つの価値感が摩擦し合った時、Sammy は自分の信念に忠実に従うことになる。

彼らの価値感の基盤になっているものの一つは、'A&P' に関する責任の程度だ。Lengel は 'A&P' の店長であり、その運営、従業員をかかえているだけあってその責任は相当なものだ。Stokesie は Sammy と三つ違うだけだが、妻と二人の子供を養っている身だ。この二人は Sammy と違って 'A&P' にかける肩の重みが違う。その点、Sammy には、そんな責任はない。一介の従業買で、両親のもとで生活している。つまり、Lengel と Stokesie は 'A&P' になにかあったら困る立場にいる。だから 'A&P' に災いをもたらすかもしれない Queenie らに対する考え方が Sammy と異なるのだ。(しかし「'A&P' に災いをもたらすかもしれない Queenie ら」というのは Lengel の考え方だ。)

では当の Queenie らはどうだろう。彼女らは Sammy の目を通して描かれている。Sammy が "it was more than pretty"(25) などの記述から彼女らに魅力を感じていることがわかる。これは私の根拠のない不確かな推則なのだが、彼女らのねらいはそれではなかろうか。Sammy のような若い男の子たちの視線を釘づけにしようというねらいがあっての行動ではなかろうか。Queenie らは Lengel に注意されたその格好をしている自分を誇りに思っているのだ。これは若者独特の価値感である。現代日本の女子学生をみてみると Queenie らに共通するところがあるではないか。若さゆえの「うぬぼれ」。その「うぬぼれ」ゆえの行動。この「うぬぼれ」という性質は Sammy にはない。厳密にいえば、Sammy と Queenie も少し違うのだ。

さて、この物語の軸となる二つの価値感である。価値感を考える上で着眼したいのが、'the bow tie' だ。

……and (I) drop the bow tie on top of it. The bow tie is theirs, if you've ever wondered. (P.29 l.28)

ここは Sammy と 'A&P' の方針の間にあるすれ違いが表わされている。'the bow tie' とは蝶ネクタイのことだが、これはどこか形式的というべきか、高級店の印象が感じられないだろうか。このタイを制服として使っている 'A&P'。ここに私たちは 'A&P' の保守的な雰囲気を感じとることができる。これをはずした Sammy は我々に、"you've ever wondered"(P.29 l.29) ― あなたがこれまでに疑問に思ったことがあれば教えてあげますが ― と説明している。水着を着てやって来た Queenie らを批判する Lengel に反感を覚える自分 (Sammy) が保守の象徴である蝶ネクタイを自らすすんでつけるわけがない、ということをふまえた上での説明ではなかろうか。'A&P' が重点をおくのは、社会的に認められているもの、"形"である。これに対して Sammy は反感を抱いている。そして彼は 'A&P' を辞めるという行動をとることで、自分の信念をつらぬいたの だ。

Sammy の退職は、Sammy 自身に、そしてこの一連の出来事にかかわる人に何をもたらしたのだろうか。両親に "It's so sad"(26) ともいわれ、彼自身も

my stomach kind of fell as I felt how hard the world was going to be to me hereafter. (P.30 l.6)

というように決していい思いにしていないのになぜ彼は "I don't think it's sad myself" というのだろう。Sammy のとった行動は実は自己満足でしかない。彼自身の中にのみ利益を生み出している。だから自分は "sad"と感じない。Sammy がやめたからといって Queenie らの赤面はとりけされるわけでもないし、彼女らに感謝されるわけでもない。この「やめる」という行為は Sammy の意志表示であり保守的な 'A&P' に対する彼の中での「小さな勝利」なのだ。だが、前に述べたように、決していい思いをしていないのは、形や世間体にとらわれる者との彼の心の中での葛藤はこの後でも続くだろうからだ。この出来事を 'sad' と感じる両親と Queenie の回りに集った客のような世間一般人と。そしていつか自分も妥協する時がくるだろうという予感。

一つ気になる点は、Sammy の好色な視線だ。彼女らの容姿にたいして異常なほどの観察をしている。例えば、

……with a good tan and sweet broad soft looking can with those two crescents of white just under it, where the sun never seems to hit, at the top of the backs of her legs. (P.24 l.2)

果たして Queenie が男の子だったら Sammy はここまでじっくりと観察したであろうか。彼は Queenie をかばうが、それは Queenie が魅力的な女の子だったからではなかろうか。もっとも、女性である私からみれば、男性の注目をあびようとするしたたかな行為にしかみえないのだが。

以上の点が気になるところだが、'A&P' の中に異なる価値感が二つ存在していたのは確かだ。若さゆえの反抗・軽はずみな行動。責任ゆえの保守性。この溶け合うことのない二つの価値感の摩擦は「青春」を扱った文学の中で永遠のスタンダードなテーマの一つなのである。

(文学部英文学科学生)

The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Thu Nov 19, 1998

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