中京大学教養部学術講演会

中央大学文学部教授

早乙女 忠 氏



「ジョン・ダンの世俗詩と宗教詩」

12月2日中京大学教養部英語系列学術講演会が八事研究棟中会議室において開催された。 ジョン・ダンは、“early rake,later divine”と称されるように二つの姿で捉えられる。 つまり若き日の放埓ぶりから、後の聖ポール大聖堂主席牧師への変身、Songs and Sonnetの 世俗詩から後の宗教詩へというようにである。このダンの二つの姿は彼自身がしくんだことのようである。 ダンはBiathanatosに関して、ロバート・カーに音簡を送り、手音き原稿を出版はせずに、 しかし焼却もしないようにと頼むのであるが、この時ダンは自分の渡すものは若年の“Jack Donne”の時に書いたものであり、 “Dr.Donne”の書いたものではない、としているように、自らで自らを二つに分けているのである。 この大きな変化と分類が従来の見解であり、しかしながら同時にダンの詩の解釈の足枷にもなっているのである。 このダンの変化に関しては、1951年、彼の18歳の時の肖像画に付けられたスペイン語のモットー、Antes muerto que mudado、 つまり“Rather dead than changed”(変心よりは死を)という句を考えなくてはなるまい。 スペイン人作家ホルヘ・デ・モンテマョールの牧歌ロマンスDaianaから引用されたものであるこのモットーは、 心変わりをするくらいなら死を選ぶ、という解釈もできるが、むしろフリンによるならば、 モンテマョールの作品の中からこの句を解釈すれば、「心変わりをするくらいなら死を、 というのに人の心は変わるのだ」という、全く逆の読み方となるのである。何ともだまし絵的なモットーなのである。 若き日の‘Jack Donne”に比ベ、聖ポール大聖堂主席牧師の“Dr.Donne”は、確かに体制に与して政治にコミットせざるを得ない立場にある。 その違いは非常に大きい。しかし、同じ人物がそれ程までに変化をするのであろうか、と早乙女教授は指描をする。 実際にA Nocturnal upon St. Lucy's Day, being the shortest dayHoky Sonnet17を詳細に読んでいくと、 多様な現実に対応し、様々な自分の姿をさらけ出すダンの詩は、彼の二つの姿の矛盾ではなく共存を表している。 イメージは結合し多義性は詩を深化させる。こうしてダンの詩は、宗教詩、世俗詩という従来の分類ではなく、 両者の間にはダンの妻への真撃な愛情という同一の主題を含み、両者は混在するものとして読むことが出来る、 という早乙女教授の指摘は、ダン解釈の新たな可能性の示唆に富むものである。

(祖父江美穂 教養部非常勤講師)


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Thu Apr 30, 1998

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