Sammy の正義

宮崎さおり



「若さ」とは周りを顧みず、自分自身を軸に今を精一杯生きることができることである。"A&P"は「若さ」をもった青年の目を通して描かれた作品である。そのため初めに目を通した時私にはこの作品が、単なる女の子に興味のある、今の生活に退屈した青年の若さに任せた無軌道な行動を描いたものにしか見えなかった。

しかし、よくよく読んでみると違っていた。これには一人の青年の葛藤が描かれていた。「若さ」のもたらすある使命感 ― 自分が正義だと信じるものを全うするかどうか、という葛藤である。彼は安定したちっぽけな生活に魅力を感じないし、他人の善しとするものを押し付けられることを嫌う。そんな彼が自分の人生を賭けて全うした正義は、彼や彼をとりまく人々に何をもたらしたのだろうか。

まず Sammy はスーパーで働く事に決して満足していない。そして常に他者と自分との一線を画している。'A&P' に来る客を 'sheep'(25)や'bums'(27) と呼び、ことごとく軽蔑し、同僚の Stokesie にも同様の目を注いでいる。家庭をもつStokesie が'A&P' のマネージャーを夢見ていることに対して Sammy は冷やかである。同年代にも関わらず、そんな小市民的幸福しか描けない彼に比べて、自分はこの生活から脱け出したいと思っている分、彼より上にいると意識しているのだろう。それに Stokesie がマネージャーになった際の 'A&P' を"Great Alexandrov and Petrooshki Tea Company"(26) とロシア系の名前で呼んでいるあたりに、Sammy の民族的偏見が伺える。アングロ・サクソンの彼よりロシア系の Stokesie が上に立つはずがないという蔑みである。更に彼は店主 Lengel の形に捉われる保守的、指導者的態度にも反発を覚えている。

つまり彼は孤立しているのだ。彼はLengelの様な保守的人間とは違うとを示したくて常々苛立っていたのだろう。自分はもっと理解されたいのに、家庭でも職場でもその気持ちを満たすものはなく、下らないものばかりが目につき、ただこの生活から脱け出したいと漠然と思い描いていた。そこに自由の象徴の様な Queenie が現れる。それが引き金となったのだろう。

それにしてもそもそも事の発端となった彼女達の水着姿は何が問題だったのだろう。舞台は保守的な街として知られるボストンの郊外。近くに海水浴できる砂浜は無い。そこで日曜学校の教師もしている Lengel は明らさまに非難する。Sammy 以外は皆、何の疑問も持たず彼に賛同している。なぜなら彼女達が一般的道徳観念を無視しているからだ。それが問題なのだ。

Queenie や Sammy の様に一般的道徳観念に反発を覚え、自由奔放な強気な態度に出られるのは、後ろ盾があり、負うべき責任が無いからこそだ。「若さ」による無鉄砲さというのは全て責任の無さに裏付けられている。しかし若さあふれる二人だが、この二人には明らかに違いがある。Sammy が自由の象徴と崇める Queenie の行動は彼が考える程の作意はなかった。思春期にありがちな大人に対する漠然とした反抗心はあったとしても、保守的考えに反発する程考えていないはずだ。Queenie の特別の動きを込めているかの様な優雅な歩き方や、水着の肩紐がずれ落ちているのにすました顔をしていたという描写からすると、ただ単に自分の可愛さを誇示したいだけだったように思われる。それなのに Sammy が 'A&P' を辞める際、自分の信念を貫くためだけでなく、彼女達からの見返りを期待したのは実に間抜けである。彼女達が赤の他人の Sammy が何をしようと無関心なのは判りきっているのに。

最後の一文で "my stomach kind of fell as I felt how hard the world was going to be to me hereafter"(30) と彼は言っている。彼は自分の行動がいかなるものか解っているのだ。そして保守的考えへの反発心が、今後の社会生活の中で様々な衝突を起こし得ることも認識しているのだろう。皮肉な事に彼の全うした正義は、彼以外の人間にとっては何ももたらさなかったのだ。誰もヒーローを待ち望んでいないし、もし彼がそこでヒーロー的に扱われていたら、それはあまりに稚拙な結末になっていたことだろう。 Sammy 以外の人間は何も感ぜず、自分の生活を振り返る事なく営んでいる。これが現実だろうし、これ程までに主人公に情けをかけず描ききったところにこの作品の面白さがある。

Sammy の全うした正義は結局は彼の内側で起こった小さな革命にほかならなかった。今後の人生で彼にもこの一件を違った角度から見つめる機会が訪れるだろう。しかし、決して彼みたいになりたいなんてヒーロー視できないけれど、誰もが通る一つの時代にある種の埠きをもたらしたことは疑いようもない。それは自己満足の領域を出ていないけれど、「若さ」の象徴として彼の人生の中で光を放つのだ。

(文学部英文学科学生)


上記2つの小論は2年英文学演習Tの前期レボートですが、授業中には訳さず、また翻訳を使わず、John Updike の短編、'A&P' を Readers's Response Theory に従ったLiterature for Discussion(テキストは下記参照)からの質問やその他の文学概論英文教科書からの質問(テキストと共に英文コピー配布)を利用して自分で解釈してレボートにしたものです。
テキストは次の版による。John Updike, 'A&P' in Literature for Discussion: A Reader for Advanced Students of English as a Second Language (Fort Worth; Holt, Rinehart and Winston, 1984), ed by John F. Povey, 20‐33.


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Thu Nov 19, 1998

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