97年英国選挙とパンチ&ジュディ

岩田託子



その1 選挙戦キャンペーン

イギリスでは、97年5月1日の総選挙によって、保守党から労働党へと18年ぶりに政権が交替した。 「新生労働党 新生英国」(NEW LABOUR/NEW BRITAIN)という標語どうり、 座礁していたEU社会憲章の調印や通貨統合問題への積極的かじ取りが連日報道さ れ、新政権を印象づけている。 「新生労働党」は世論調査をはるかに超える大勝をおさめたわけだが、 こうなることは人形劇のパンチ愛好者には、投票日のひと月も前に実感されていた。

各党一斉に選挙運動を開始した4月1日。圧倒的注目を浴びたのは、保守党でも労働党でもなく、 第三党の自由民主党(日本にもあったな・・・)のキャンペーンであった。 目の上のたんこぶの二大政党党首をパンチとジュディに仕立て上げ、 お互い叩きあっているばかりが能じゃないよ、国を憂えて、大志をいだき・・・とやったのだ。

これが、大受けだったことは翌朝の各紙に明らか。 自由民主党演出のパンチ芝居のカラー写真を第一面に大きく掲載したのが、左翼 的といわれる『ガーディアン』紙(図1)、 少し左寄りと評される『インディペンデント』紙(図2)。 保守的といわれる『タイムズ』紙でさえ、「カラー 第一面」という待遇ではな いが、写真つきで報道している(図3)。 選挙キャンペーンという点では、大成功をおさめたのは自由民主党であった。

英国といえば影の内閣制度、二大政党政治が巧くいっている国だと知られている。 そういう状況に切り込んで行こうとする第三党が智恵をしぼったわけで、 話題性充分と判断されたのだろう。日本のテレビ・ニュースでも、パンチを使っ たこの広報がくりかえし放映された。 ただ、「人形劇」としか訳してくれなかったのは、残念、無念。 ここはきっちり「パンチ芝居」と訳し、その歴史からキャンペーンの見どころま で解説されてしかるべきところだ。 しかし、日本では、「パンチ芝居」は「何かわからないけどおもしろいもの」と いうレヴェルにとどまっているようで、 私自身、まだまだ「パンチ」情宣活動の必要を感じ、この原稿を書いている。

さて、気になるのは、今回のパンチ&ジュディ芝居の配役。パンチ役を務めたの は、労働党党首ブレア氏。 保守党メージャー首相はジュディ役だった。ということは、自由民主党は、労働 党が勝利をおさめるという大前提に立っていたことになる。 途中経過はなんであれ、パンチは必ずジュディに勝つのだから。 どうも、このあたり、第三党自由民主党、万年野党に特有の線の弱さを感じる。 なぜ、自らがパンチとなり、保守・労働の両党をこてんぱんにやっつけないのか。 政権を取ろうという気概に欠けるのは明かで、実にふがいない。

案の定、取材に来た女性キャスターに「で、自由民主党は何役ですの?警官です か?それともワニですか?」とつっこまれた。 その答えは「警官」だという。「警官」は、パンチには張り倒されてしまうとい う運命に気づかぬふりをして、市民の味方をアピールしたわけか。 開票の結果は、自由民主党も議席数を20から45へと飛躍的に増やしていた。「警 官」に味方になって欲しい市民が、まだまだいるということだろう。 プレア新首相については、今世紀英国では最年少の43歳で首相になったという、 その若さと実行力が魅力とはいえ、まだまだ計り知れないところが多い。 保守党支持者の弁護士を父に、オックスフォードで教育を受け、いっときはオー ストラリアの大学で講師も勤め、妻も弁護士(まるでクリントン米大統領)。 このあたり、芸人の息子で高等教育を受けていないメージャー氏の出自と、おの おのの所属政党とのネジレ関係が指摘されてきた。 ブレア氏は労組やストには冷淡で、従来の労働党のイメージにはなじみにくい。 ブレア氏が労働党に入ったのも、そのほうが保守党で出世競争をするより党首に なりやすいと判断したからという、うがちすぎた見方もあった。 さて、歯を剥き出しにしたブレア顔パンチ人形を眺めていると、悪いことしそう・・・ にも思えてくる。

そう、いざ選挙公報が開始するまでにも、ブレア顔の「悪魔性」は、とうにメディ アの話題であり、不思議な因縁ながらこれにもパンチがからんでいた。

たしかに、パンチは英国の様々な動揺に、必ずや連動する。

その2  NEW PUNCH/NEW DANGER「新生パンチ 新たな危険」
― 「パンチ」誌復刊キャッチ・フレーズ

96年9月6日に雑誌『パンチ』が複刊された。第302巻7889号。 150年余の歴史を誇る世界最長寿の諷刺週刊誌が、その記録をさらに更新することになった。 記念祝賀会は、千人を越すメディア関係者が一堂に会する盛況であった。 編集長が、ライヴァルの過激諷刺雑誌『プライヴェート・アイ』で活躍した人物 であることも話題づくりに一役かった。

『パンチ』が創刊されたのは、ヴィクトリア朝黎明期の1841年。 未曾有の発展を遂げる大英帝国の隆盛のみならず、その裏側のひずみをもよくと らえ、ジャーナリズム史に偉大な足跡を残した。 世相をえぐる絵や記事は、数多くのアンソロジーに編まれ、貴重な資料となっている。 とはいえ、第一次大戦後は長らく低迷をつづけ、ついに1992年春に廃刊になっていた。

このジャーナリズム界の一大「ブランド」を掘り起こした新しいオーナー は、エジプト人大富豪モハメド・アルファイド氏。そう、息子ドディ氏 がダイアナ元妃の最後の恋人で、97年8月31日に二人とも自動車事故で死亡した。 その節にはワイド・ショーのおかげで、アルファイド父子は日本でもすっかりおなじみになった。 アルファイド氏が王室御用達デパート老舗ハロッズのオーナーでもあることもくりかえしふれられていた。 だが、雑誌『パンチ』のオーナーであると言及された例は、残念ながら知らない。

ちょうど『パンチ』誌復刊当時、モハメド・アルファイド氏は過熱ぎみの報道の渦中の人であった。 ハロッズ買収時に保守党議員に賄賂をおくった疑惑で国会をもゆるがす一大事件に発展したのだ。 モハメド・アルファイド氏は、慈善事業にもすこぶる熱心ながら、市民権を申請 しても、いまだに拒否されている。 日本のワイド・ショーは、この点についての憶測を述べたてるにもやぶさかではなかった。

そんなアルファイッド氏だから、雑誌『パンチ』ブランドを買収したというニュー スが96年春に一斉に流れた時には、自分を市民として認めない 英国社会を諷刺し復讐するための媒体にするのではないか、という冗談がまこと しやかにささやかれもした。

いわば鳴り物いりで復刊された『パンチ』誌だが、どのような「新生」を遂げて いるのか、興味津々であった。 この誌名は、もちろん英国伝統人形劇の主人公パンチに由来する。したがってパ ンチ人形を顔役にするのがならいである。 この美習をどのようにひきつぐのかが、人形パンチ氏のファンの主たる関心である。 さて、復刊第一号の表紙(図4)だが、鷲鼻としやくれ顎は、 たしかにパンチだ。しかし、この目は・・?

実は、この目と「新生パンチ 新たな危険」(NEW PUNCH/NEW DANGER)という惹句は、 時流に乗ったもので、時空を超えると、はなはだわかりづらい。なまな諷刺精神の産物である。 

『パンチ』復刊当時は、半年後の選挙に向けて、保守党と労働党がしのぎを削る 党大会の時期であった。 押せ押せムードの労働党がかかげた標語が「新生労働党 新生英国」(NEW LABOUR/NEW BRITAIN)。 対する保守党は「新生労働党 新たな危険」(NEW LABOUR/NEW DANGER)と応戦、 労働党ブレア党首に「悪魔の目」を与え、迎え撃った(図5図6)。 これは少々やり過ぎという批判もあったという。たしかに、自党の政策を打ち出 すことよりも、敵対手の揚げ足取りに励むというていたらく。 これこそ保守党の敗走の始まりだったのかもしれない。

いずれにせよ話題性たっぷりの「悪魔の目」と「新生」をくりかえす標語を、 「新生」『パンチ』誌はもじったわけだ。 だが、雑誌の中味については、よく知られた執筆陣による穏健路線を歩むように 見え、新鮮味に欠ける、旧態依然という評は、すぐに出た(『ガーディアン』)。 おまけに『パンチ』誌上では、当時の大スキャンダル、オーナーの賄賂疑惑を叩 く記述は、ついに現われなかった。 「新生」『パンチ』には諷刺の毒を自分に向ける自浄能力は備わっていなかったようだ。

初代編集長は、勤務中に他誌の原稿を執筆していたかどで、早々とクビになった が、それはおそらく表向きの理由だろう。 よく売れて、雑誌として順風満帆でさえあれば、見逃してもらえたはずだ。斬首 の真相は、当然、部数伸び悩みにあるだろう。 その後、『パンチ』誌は、ハリウッドっぽいスキャンダル満載の通俗雑誌となりはて、 他に類誌の多いジャンルにもたつきながら参入した感がある。

さらには、復刊一年経つか経たぬかで、さきごろ隔週誌に変貌した。 「じっくり取材し、読みごたえのある記事を作るため」という説明だが、さて、 『パンチ』誌の行方やいかに・・・。


(図1) The Guardian 2 April 1997.

(図2) The Independent 2 April 1997.

(図3) The Times 2 April 1997.

(図4) September 1996.

(図5) Martin Rosenbaum, From Soapbox to Soundbite:
Party Political Campaigning in Britain Since 1945

(London: Macmillan, 1997), cover page.

(図6) Newsweek October 7 1996. p.28.


(文学部助教授)

The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Tue Oct 6, 1998

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