OED-CD-ROM 版の話

栂 正行 (教養部教授)



OED とは『オックスフォード英語辞典』のことです。昔の先生はこれを NED と おっしゃっていたりもしました。それで先輩の中にも「NED にはこうなっている」 などという人もいました。そういう気取りが嫌さに、彼らとは詩など読めないと、 もっと古いほう、つまり中世英文学の世界に遡っていった先輩もいました。いず れもまだ OED が分厚い本のかたちでしか存在していなかったころの話です。

この辞書は本にすると20巻ありますから、文字が嫌いな人は見ただけで気持ちが 悪くなるかもしれません。私もそうでした。ゼミの発表の準備で、「OED による と」とやったところで、別にスノビッシュということにもなるまいと、この辞書 と付き合おうとしたのですが、自分のわずかな英語の知識が、この辞書を開くと 何か吸い取られていくような気になり、気が滅入ったものでした。もた私の後輩 になにかというと「OED にようと」とやって、先生にうっとうしがられた院生も いたと聞きます。要はこの辞書とのさりげないつきあいはむずかしいということ のようです。

よく壁いっぱいの書物に囲まれて勉強をしている人を見かけますが、こういう部 屋をあまり居心地よいとは感じない人もいるはずです。ちょうど OED を目の前 にしているような気分になるのです。むしろがらんとした部屋で、当座つかう本 だけを何冊か机に、あるいは疊にならべておいたほうが仕事ははかどるのではな いでしょうか。

ある大学で非常勤講師をしていた時、ある先生が「あの翻訳はコンサイス独和事 典一冊を持って温泉場で一夏で仕上げた」と豪語されていましたが、この話は今 でもあながち誇張であったとは思えません。幾多の書物に囲まれていたのではあ れも調べなければこれも調べなければと進むものも進まなくなってしまうはずで す。

ノート型パソコンも、名湯までは与えてくれませんが、これに似た状況をつくり 出してくれます。ハードディスクのなかには膨大な量の情報が入っていても、当 座目に見えるのは目の前の文書ひとつですから、凡人にはとてもありがたいので す。OED の20巻という量に圧倒されずに、見ないですむものは見ないでおこうと いう逃げの姿勢も、これで解消しました。あの20巻との対峙の時代が終わり、今 は文書一枚と付き合えばということになったのですから。

CD-ROM 版 OED のメリットについて語る場合、何よりもまず、この気軽さに触れ るべきでしょう。これまでの文脈で言えば、CD-ROM となったために、吸い取ら れるという感じを経験しなくてすむようになったのです。さらに一歩、それをプ リント・アウトしたり編集したりと、使用者は吸い取っているという感じすら経 験することができます。機能を語り出せばきりがありませんが、私はここでただ ひとつの点にだけ触れておきたいと思います。これがすべてとすら言いたいほど です。CD-ROM 化されたお陰でなによりもありがたいのは、語の定義でも語源で もなく、引用に関わる機能です。大きな英和辞典をひいても出ていないような言 葉、OED の見出し語にもなっていないような言葉の意味をどうしても知りたいと いうことが、いろいろな仕事のつめの場面で出てきます。その時、この CD-ROM をおもむろにたち上げ、出てきた窓の quotation あるいはさらに text の空欄 にその単語ないし句を入れてます。するとどうでしょう。辞書全体の中でった二 カ所しか出てこないというような単語までたちどころに目の前にならびます。単 語の定義が手に入らなくても、文脈によってかなりのことがわかります。またそ の引用の出典をたどるという可能性も出てきます。

英文学会室にこの OED-CD-ROM 版がありますので、是非一度ためしてみて下さい。

英会話にもそろそろ飽きがきている人も多いかと思います。私も大学生のころは アメリカ人を相手に日本の高校の現代国語の教科書を朗読して、質問に答えると いうアルバイトや、ドイツ人相手に数学の教科書のやさしい問題を解くというよ うな、かなり赤面もののアルバイトをしていましたが、そうやって英会話の足し にしているうちに、人間歳をとり、少しでも難しいものをという具合に好みが変 わっていきました。

日本人も小学校から英語を習うようになれば、大学では難しい英語、内容のある 英語、奥行きのある英語がまた重視されるようになるはずです。

英会話重視時代のためのありとあらゆる教材が出尽くし、大学におけるある種の 英会話重視時代の終焉がもうそこまで来たかにみえる昨今、この OED-CD-ROM 版 や『ジョンソン博士の英語辞典』CD-ROM 版や『英国伝記辞典』CD-ROM 版、そし てあまたの横文字の百科事典の CD-ROM 版は、難しいことの好きな人に新たな可 能性を提供してくれそうな気がします。


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Thu Apr 30, 1998

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