ヴィクトリア朝の精神史において、「なにをしたか」が英雄、偉人評価の基準で
あった1840年代から「いかにありしか」が重要視されるようになった1860年代ま
での20年間に、何が起きて価値観が変ったかを氏は考察する。
1860年代にペイターが発表したエッセイ「透明な性格」に注目し、ホイッスラー
の、物語性を否定したひとコマ的な「いかにありしか」の絵画の背景にこのエッ
セイの存在を見、またペイターの文章を用いての<想像による画像>と、ビ
アボウムの絵筆を用いての<誇張>あるいは<ひねくれた眼>に支えら
れた肖像画すなわちカリカチュアとの類似を見、人間評価の基準が「いかにあり
しか」に移っていった事実と60年代、70年代のカリカチュアの流行との関係を見、
カリカチュアがまさしく「いかにありしか」の人間像を描くものであることを氏
は指摘している。
『ルネッサンス』に収録された諸篇から、絶筆となった「パスカル」論まで、す
べて何らかの意味でペイターの想像による画像であるとよく言われる。ペイター
自身が特に好んで『想像による画像』という表題をつけた、彼の「魂の自叙伝」
ともいうべき四つの短篇を論じた「ウォルター・ペイターの出発 --- 透明な性
格」、「家と墓と」、「アポローンとディオニュソス」、「想像による画像
--- 手法のこと」の各章。「ヴィンケルマン」論から「ウィリアム・モリスの詩」
を経て彼が思索と共感のつちに確立した審美主義思想を「レオナルド・ダ・ビン
チ覚え書き」という実作をもってうたいあげようとしたこと、『マリウス』第9
章「新キレーネ主義」をテキストに彼の審美主義思想の本質を示す「審美主義の
確立」。自己の信条とする享楽主義を一種の宣言の形で発表した。『ルネッサン
ス』の結語の真髄を一層丹念に扱ったもの、と彼自身が告白している長編小説
『エピクロスの徒マリウス』を論じた「享楽主義」。ルネッサンスの根を中世に
さかのぼる彼のルネッサンス観と、その結実としての作品『ルネッサンス』を論
じた同名の章。ペイターの文学論を論じた「『鑑賞批評集』 --- 文学論。」著
者にとって捨てがたい思いのこもった「『あとがき』について」、「ある肖像画
のこと」。さまざまな研究、論考、著作の集大成としてではなく、はじめに『マ
リウス』ありきであったという「エピクロスの徒マリウス」。小説の中で意識的
に「時間」の経過を無視して物語をすすめる彼の「『時』の意識」を論じた章。
未完に終った「パスカル」論を論じた「未完ということ --- 『パスカル』論を
めぐって」。
著者がペイターを卒業のテーマに選んで以来あたためてきたペイター論が見事に
結実した一冊である。必読の一冊。
著者は文学部英文学科教授。研究社出版刊。19.5 × 13.5cm。5,300円。
『中京大学広報』 5月30日号より転載させていただきました。