ある女性フリーライターの話を聞く機会があった。
彼女は私とほぼ同世代。'60年代の終わり頃大学生であった。私が名古屋の街中を整然とデモ行進をしていた頃、彼女は多分、ヘルメットとゲバ棒で大学構内をジグザグにデモっていたと思う。彼女は全共斗系のある組織のシンパであった。どういう組織かはわからないが、彼等の斗いの3本柱というものがあり1つは、家庭は諸悪の根源であり家族帝国主義として否定すべきもの。もう1つは、産学共同体という言葉に示されるように、大学というものは企業に奉仕するものであるとしてこれも否定する。彼女は組織のスローガンに忠実に従い、結局家出という形で家庭を捨て、大学も(ミッション系の都内でも超有名な大学)中退してしまった。何んといさぎよいことかと、ただホーへーと聞くばかりだった。
本人は、“私はすぐその気になっちゃうんですよねえ”とあっけらかん。理論と実践を即結びつけるなかなか正しい人であったらしい。
やがて結婚し子どもが生まれるが、フェミニズムの思想(当時はウーマンリブ)に触れ、けっこんという制度は女を閉じこめるものであるとして、結婚を解消し子連れシングルとなってしまう。(ここまで徹底すれば完璧!)
しかし世の中は甘くはなく、母親となった彼女の孤軍奮闘はそれからが修羅場。
女であること・大学中退・子連れ・定職なしと、三重苦とも四重苦とも言えあるハンディを背負って、しかし彼女は少しもめげることも後ろ向きになることもなく、生きるために果敢に人生にチャレンジしていく。
彼女の話を聞きながら、あの時代を生きた男たちはどうだったのかと思っていた。
'70年、新安保条約はあっけなく成立し、学生運動はあさま山荘事件をピークに急速にしぼみ、学生運動くずれは社会のはみだし者のように日陰で生きていくことになった。 1つの風俗として“全共斗くずれ”にはそういうイメージがある。挫折という言葉はそんな彼等のためにもっともらしく用意され使われている。挫折という言葉のイメージするものは何なのだろう。“俺には誰にもわかってもらえない傷があるのさ”とひがんですねている幼児のイメージ?私にはそんなものしか浮かばない。
挫折の敗北感とハードボイルドを結びつけたような「テロリストのパラソル」という小説があった。全共斗の活動家であったらしいかつての同僚はその小説を良く評価していた。きっとあの本の作者と思いを同じくするものがあるのだろう。どこが良いのかと立ち入って聞くだけの勇気が私にはなかった。一流大学を出ていながら、あえて“出世”というものを拒否して生きているような彼の生きざまに触れるような気がして。あの時代を本当に傷として心に持ち続けている人は、何らかの形でこの社会に組しない部分を持っているのだ。
もちろん、180度方向転換して多くの学生はかつてのエネルギーを社会に注ぎ、企業戦士となっていっただろうし、それ以上に、ファッションとしてのみあの時代を“体験”した人もいた。どれもその時代の生き様だ。
あの時代、世の中は騒然としていた。デモは連日町なかをねり歩き、学生と警官が衝突する写真が新聞にデカデカと載る。世の中がどんどん変わっていく。本当にそう思えた時代だった。
同じサークルの男子学生が「明日にでも革命が起きると思っていた」と言った時、私はとても意外な気がした。そんなことは考えたこともなかった。政治論議をし、デモに参加し、家庭の中で自己主張することはすべて自分の生き方の問題であると思っていた。
具体的に相手を倒すとか何かを阻止するために(本当はそうでなければいけないのだろうが)などと思ってもいなかった。何も変わらなかったにしても期待しないが故に落胆もない。世の中そう簡単に変わらないわと思ったかどうか。とにかく“主張し続ける自分”というものが明日からも変わらず存在しているという事実があるだけだった。
フリーライターの彼女もやはり政治参加は自分の生き方の問題であったのだと思う。 家庭の否定も大学の否定も結婚制度の否定も、すべて自分の生き方の問題であった。
あの時代の社会との関わり方の方法が、彼女と私は違っていても、時代の課題を自分の中に生き方として取り込んだということにおいては同じであった。
「明日にも革命が起きると思っていた」という言葉は、私の中でずっと沈静していて時々何か違うのよねと思い出すこともあった。その違いはあの時の“時代の課題”を自分の生き方の問題としてとらえたのか、政治課題といしてとらえたのかにあるだろうか。もちろん、男も女も両方の思いを持っていただろうけれど、女には自分の生き方の問題としてとらえやすい条件が歴史的に存在していた。それは女性問題という新たな課題への入り口でもあった。