ネイティブへの夢

神田 和幸 (教養部教授)



1.君はネイティブを夢みたことはないか

英語を学習する者なら、1度は「ネイティブミタイニ英語を話したい」と思った であろう。頭の中で日本語に翻訳しないで、英語で考え永で答える。そんなネイ ティブになりたいと思ったことはないだろうか。しかし、私たちは英語のネイティ ブには本当になっるだろうか。答えはノーである。native というのは「生れつ き」のことだから、日本に生れた者はその時点でネイティブではなくなるという のがその理由だ。しかし、この説明は実は正確ではない。日本で生れてもアメリ カ人やイギリス人の家庭に育てば英語のネイティブ(さらに正確にいえばバイリ ンガル)になる。その反対に日本人が外国で生れても、日本語のネイティブ(バイ リンガル)になる。つまりは「生れ」といっても土地の要因だけでなく、親とい う要因がネイティブ性を決定する。だから、自分がネイティブとする言語を mother tongue 母語という。

2.母語は母国語ではない

世間では母国語という言い方もあるが、言語は国とは関わりなく存在するから、 母国語という表現は正しくない。たとえばボスニア・ヘルツェゴビナはボスニア・ ヘルツェゴビナ語があるのではなく、セルビア語とクロアチア語を大勢力とする 国でマケドニア語やアルバニア語を話す人々も多く住んでいる。つまりは多民族 多言語国家で1つの国で多くの言語が話されているから、母国語は1つではないの である。こういう多言語国家が世界では普通で、日本のように「単一言語単一国 家」などという幻想を抱いている国は希少なのである。ついでにいうと日本も単 一言語国家ではない。国が認めた国語は1つしかないが、日本でも多くの言語が 使用され、日本語を母語としない人々が大勢住んでいるのである。

3.ネイティブ並み

話を元に戻すと、日本人は英語ネイティブにはなれないが、「ネイティブみたい に英語を話せる」だろうか。答えはイエスである。「〜なみ」というのは案外や さしい。プロ並みというのはプロでないからだし、たとえば「料理の腕はプロ並 み」といえば素人にしてはうまいという意味でしかない。つまりネイティブ並み というのは、あくまで英語を母語としない人々を比較して、その中では比較的英 語の運用がうまいということである。これなら日本人にも可能である。何もネイ ティブのようにペラペラ話せなくてもいい。まあ使用に耐える程度の運用能力が あればいいのである。とりあえず、このレベルを目標にするのはそれほど困難な ことではないはずである。ところが日本ではこれが案外難しい。諸外国に比べる と「ネイティブ並みの英語運用能力をもつ」人が少ない。その原因は日本人の言 語学習能力が劣るのではなく、言語に対する態度の問題であろう。日本人はまず 言い争いを好まない。ディベートが苦手である。それに公衆の面前でのパブリッ クスピーキングも苦手である。中には演説好きもいるが、これは人に意見を聞い てもらうというより自分で話すうちに己自陶酔しているだけである。日本語も言 語だから、当然議論ができるのだか、それを話す日本人が議論好きでないのであ る。争いを好まないというのは文化といえよう。

外国に行くと誰でも経験するのだが、どこの国でも訛の強い、発音などおかまい なしの英語で話かけられる。少しでも英語を知っていれば、話しかけてくる。も ちろん、お土産を売りつけるためとか、タクシーの客拾いなどの「商業目的」な のだが、その迫力に圧倒される。そういう雰囲気に釣られてか、日本人のオジサ ン・オボサンの中には負けずに日本式英語で頑張る人も出てくる。一番引っ込み 思案でこうした英語の中に入れないのが学生。彼等は英語学習の現役だから、一 番有利なはずだが、その英語力がかえって邪魔するらしい。それに失敗したらカッ コ悪いという自意識が余計引込み思案にしてします。ずうずうしさが要るという のではなく、余計なことを考えずに英語を話すことが英会話の秘訣なのだ。何も 考えないでも話せるということが、実はネイティブ並みということなのである。

4.日本人のコミュニケーション

ネイティブになることは不可能だが、心を無心にして、ネイティブ並みに英語を 話すことは誰にでもできる。今もっている英語力で充分通用する。日本語とまっ たく同じように英語を駆使することなど考える必要はない。普通にコミュニケー ションに必要な英語表現はそれほど多くはないし、ちょっとした訓練で案外上手 になるものである。それよりもむずかしいのが、まず「話す」という姿勢だ。人 に自分を理解してもらうよう努力するのが苦手な人が多い。日本人は「みなまで 言わず」、相手に察してもらうという「甘えの構造」に慣れているから、一つひ とつ丁寧に説明してわかってもらるという方法が苦手なのだ。この苦手の克服が 会話上達の秘訣である。


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Thu Apr 30, 1998

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