古典的なものを一つ挙げるとすれば、James Fenimore Cooper は先頭に立つ作家
である。The Last of the Mohicans (1826) を含む5部連作とする
"The Leather - Stocking Tales" は、伝説の開拓者、ダニエル・ブー
ンがモデルのナティー・バンブーを主人公として、ニューヨークの西からミズー
リーまでの旅を描いている。未開の山野の巧みな情景描写は、アメリカの荒野を
際だたせ、そんな自然と文明の対比を主題としながらも、主人公の大自然崇拝の
生き方はロマンを感じさせる。
アメリカの荒野ならぬ大海原を舞台に、もう一つのロマンを見せてくれるのが、
海洋小説の最高傑作、Moby-Dick; or, The White Whale (1851) である。
Melville が描く幻想モービー・ディックとの格闘の場となる荒れる海を荒野と
オーバーラップさせられるのは、そこに、ブーンが目指した限りない「空間」の
広がりを認められるからにほかならない。
それから、時代はアメリカの国民的作家、Mark Twain の登場を迎える。筏に乗っ
て川を下るハックと黒人奴隷ジムは、南北戦争以前のアメリカの様々な社会的、
政治的、道徳的な階層の人々に出会うと、残酷な偏見に幻滅を覚える。豊かなミ
シシッピー川という「空間」を移動する二人の「旅」は、現在の環境から逃亡す
る旅、新天地での開放を求める自由への旅となって、アメリカ文学を導いている。
理想を目指す自我の探究を、冒険小説の要素を繰り返すピカレスクの形の中に映
し出す通過儀礼の物語は、Twain の文学の核を成しているが、それは、アメリカ
的でありたいと図られた一方策とも受け取ることができよう。
1914年、第一次世界大戦勃発。米国からの「亡命芸術家」である Hemingway た ちに影響を与えたことで知られる Gertrude Stein は、斬新で強烈な文体の女流 作家である、文学者である。彼女は、20世紀のはじめに、アメリカ文学をイギリ ス文学の位置にまで引き上げることを可能にする論考を残している。「伝統」を 大切にするイギリス文学に対して、アメリカ文学は、伝統という「時間」性より は「空間」性を重視する特異性を論じ、アメリカ人のための文学の確立を証明し ようと試みたのだった。
「失われた世代」の作家たちは、アメリカの病弊の治療をヨーロッパ文化の中に
求めようとしたが、故国にとどまることを選んだ作家たちもいた。中でも最も重
要な作家は、Faulkner と Steinbeck である。これら二人の文豪は彼らの世代の
問題を、自分たちが生まれ育った地域社会から取りあげ、土着のアメリカ的な情
景や人物や歴史を描き出そうとした。機はまさに熟し、Stein の鋭い考察が実践
に移されると、アメリカ文学はこれら二人の作家によってさらなる高まりを見せ
ることになる。
南部、ミシシッピー州に生まれ、生涯のほとんどをそこで過した Willian
Faulkner は、ミシシッピー州のいくつかの町や郡からいろんなものを寄せ集め
て、ヨクナパトーファ郡、ジェファソンという架空の地を創造し、作品の大部分
の場面としている。秀作に数えられる As I Lay Dying (1930)、そして、
Light in August (1931) も Faulkner の世界にあって複雑な様相を示し
ているが、それぞれの複雑さが、南部の歴史から生まれてくるという点において、
この作家の偉大さを明らかにしているといえる。南北戦争による敗北を最大の汚
点とする南部の歴史に残った、南部社会固有の慣習と伝統を書きつづった因襲的
な小説は、南部の土俗的な生態を描写するだけにとどまらない。
一方、Steinbeck は生まれ故郷のカリフォルニアを背景に、土地に密着した人間
や労働者に対して深い関心と理解を示した。この作家の名を不滅にしたのが、
The Grapes of Wrath (1939)。血のにじむような苦難に続いて、理不尽
に搾取されるジョード家のみじめな生活を描いて、文学史上 Steinbeck の地位
を確かなものにしている。オクラホマを去ってカリフォルニアへ移動することを
強制される「旅」は、人物の肉体的な衰退と道徳的向上を同時に構成することで
リアリズムを目指しつつも、しかしながら、ローマン的要素を多分に含んでいる。
そこに母はなる大地に魅せられた、一人の芸術家の文学的姿勢を読みとることが
できよう。
そして、第二次世界大戦後。新しい作家たちの小説は、古い世代の確信のうえに
成長しながら、アメリカ文学に多様性を示す。まず、ブラック・ライターの活躍
について。黒人問題を扱った作品としてはすでに古典的な作品となった
Invisible Man (1952) は、Ralph Ellison の唯一の長編小説である。
「僕は見えない人間だ」で始まるこの作品の背景には、黒人の奴隷制の歴史が横
たえており、そこに生まれた黒人青年が、その悪しき歴史から逃れるべくニュー
ヨークに出て行く。その間に主人公がアイデンティティを追求する「旅」は
Huck Finn のピカレスク、あるいは、イニシエーションを彷彿させ、南
部からニューヨークへの「空間移動」は同様にアメリカ的である。
この時代のもう一つの文学的特徴は、ユダヤ系作家の進出とビート族の活動であ
る。Saul Bellow と、J.D.Salinger は共にユダヤ系の作家だが、因習的な要求
を頑として受け付けない主人公を描いた Adventures of Augie March
(1953)、中産階級的な世界の本質的な偽善と下劣さをあらわにした The
Catcher in the Rye (1951) は、道徳性を問うピカレスクの小説である。
ところが、ビート・ジェネレーションに至ると、アメリカ文学は大きく変貌する。
Jack Kerouac は、ビートの小説家として最初に成功したが、後の On the
Road (1957) は賛否両論が半ばしたが、豊富よりはむしろ欠乏を尊ぶ放浪者
としての生き方は、これまでのアメリカ文学にない奇抜さで名声を得た。日本人
にとっては想像を絶する強靭な精神の源は、Whitman が賛美する勇大なるアメリ
カの広がりにあるといえる。
アメリカ文学がほかの外国文学、とりわけ、伝統的なイギリス文学に対していか
なる態度をとってきたかは、歴史的に見て、アメリカの風土に密接な関係がある。
移民による建国に起源をもつアメリカ。開拓者によって夢とロマンを与えられた
アメリカ人。その間に広がる壮大な国土は、限りない「空間」として人々の心を
捉えて離さないほどの魅力を放ち、あらゆる探求欲を刺激してきた。それこそが、
アメリカ文学の本質を成すものであり、果てしなく続く「旅」へといざなうアメ
リカの魔力なのである。すでにフロンティアは消滅してしまった現在にあっても、
break through --- 理想を求めての現状からの脱出 --- というアメリカ的な国
民性は脈々と受け継がれ、無限の可能性を秘めたアメリカという豊かな「空間」
が、New Frontier としてさらに広がりを続けていくことを確信しつつも、計り
知れない力強さには目を奪われるものがあると言えよう。
平成8年11月9日(土)午後3時30分より、中京大学英文学会・大学院英文学専
攻共催で東京都立大学教授高山宏氏を講師に、「文学と視覚文化」と題される講
演会が、中京大学ヤマテホールで開催された。
氏は、現代における最新の英語辞典のページ・フェースの字と絵の関係をレイア ウトする技術は、350年にも及ぶ辞書編纂史の中から生み出されたものであると 指摘し、活版印刷をめぐる英文学の歴史を概観。最後に教授は、「われわれは、 無意識のうち活版印刷の情報伝達の仕方になじんでしまった。しかし、そういっ た方法にこの20年間変化が生じ、その方法論、脱方法論の時代に入ってきており、 英文学、英文化というのは、われわれが知らないところで、実は、その根幹を形 成している」と述べられた。
以下具体的に高山教授の要旨をまとめてみるとこうなる。
日常英語学習者が使用する辞書として、Longman Lexicon of Contemporary English がある。それは学習する際の tool としてだけでなく、3世紀半ぐらい のヨーロッパ人の言語と記号に対する感覚の大きな歴史の中での画期となってい る。そして、その辞書の特徴はと言えば、アルファベット順に引く辞書ではなく、 テーマ別に引く辞書である。これは今から100年以上も前に作られた、Roget's Thesaurus (1851) につながる内容を持っている。ロジェの類義語辞典は、テー マ別に引く辞書である。
これは、フランスからイギリスへ亡命してきた家系の息子であったロジェが独力 で作ったものであった。彼は科学者であった。ロジェは、この辞書を作る際に、 ある人のアイデアを借用した。その人とは、バラ十字団という秘密結社に属する ヤンコメンスキーである。ロジェは、辞書の序文に彼のアイデアがなければ、こ の辞書は完成しなかったと書いているのである。
王位協会はかつて 'Invisible College' と呼ばれていたが、1660年、ヤンコメ ンスキーと接触することによってロンドン王位協会は設立されたのであった。こ の協会は自然科学社によって構成されていた。
協会の会員の1人であるジョン・ウィルキンズは、1668年に、『哲学的言語』を 出版し、1つの記号が必ず1つの意味しか持つことのない言語、完全な言語、記号 の一意性を宣言した。すなわち、1660年以前までの英文学をこの協会は否定した のであった。この事実に英文学が気付いたのは、1930年代に入ってからのことで ある。
王位協会は、シェイクスピアの存在を否定したのだった。英語がもつ ambiguity であるが由に豊かなアングロ・サクソンの言霊は、消滅したのが 'I'm too much in the son'なのか、1つに決めることをせまり、ambiguity を許さなく してしまったのである。すなわち、この時点において、アングロ・サクソンの伝 統ある文化は消え去った。そんなわけで、英文学史は、1660年〜1720年間が空白 になっている。しかしはたしてこの60年間は、虚無の時代であったのであろうか。
ところで、ミシェル・フーコーは、『ことばともの』という本の中で、「1660年 代のフランスで表象と呼ばれる現象 --- これが机と呼ばれる理由を問う、つま り、私がこれをこうたたいてこれを見てくださいといえば、耳の聞こえない人以 外は、だれにもこれを見ることができる。しかし、ここに1人のフランス人がい て、私が口頭でこの机を見てください。と言っても彼は私の机を見てくれない。 きわめて当然のことである。しかしそれがあたりまえのことではないと考え、悩 んでいくという現象がフランスに起こった」と書いている。
こうした現象は、英国にも生じ、これを解決すべく努力くべく努力したのが、英 国王位協会であった。ジョン・ウィルキンズは、物の実体そのものを表現できる という普遍言語を作った。今日でいうところのコンピューター言語である。この 協会の成果は2つある。1つは、コンピューター・ランゲージの基本を作った。さ らにもう1つは、紙幣制度を採用したことである。
こうした中から英国のリアリズム小説は、出現したのであった。例えば、ダニエ ル・デフォーは株式相場の失敗を題材にして小説を書いているのであるが、リア リズム小説の「リアル」というものは、どこから生じたのか。それは、フーコー が唱えた「表象」である。つまり、これがなんで机といったら、みんなにこの物 だということを理解させることができるのか。それは約束事にすぎず、机という、 あくまで記号とか音というものにすぎないものが、こういう実体と一致するのは、 約束に過ぎないのである。
1660年代以前は、そうした約束事の対応は不潔だという観念でキリスト教はきた が、1600年以降は、さしあたってそれで運用しようと展開していったのであった。 これを机とリアルに表現できないということから、リアリズムに対するあこがれ が出てきたのである。そして、これを背景にジャーナリズムが登場してきた。
ジャーナリズムが提供する細かいデーターが示す信憑性というかつての時代の知 らなかったもの。つまり、どうして精密なデーターが与えられたらそうでない場 合にくらべて人間は信用するのか、という問題が生じてきた。例えば、何百隻ぐ らいの船というより、221隻の船があったというふうに描写した方がこの著者は 正確に伝えているという思い込み。これをリアリズムという名前で呼ばれている 小説家は、追求していくことになるのである。
ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』にみられる「17本の赤いクギ」 という描写は、「数字狂い」というこの時代の病理である。読者は、17本という 数字に何か意味があると思い込み、期待をふくらませていくのである。
detail は、それ自身で文化史の大きな問題になるのである。人間はどうして細 部にこだわり、細部を欲し、細部が伝えられると正しいと思ってしまうのかとい う構造は、1660年以降のものであるということができる。ambiguity を許さない。 その時出てきた言葉が real という言葉である。
ところで、エフランチェンバーズは、1728年、18世紀最初のテクノロジーの百科 事典を作った。その特徴は2つである。1つは、事物を引く事典にはじめてアルファ ベット順が使われた。このことは、ヨーロッパの書物の歴史、記号の歴史の中で、 1つの革命であった。それまでのヨーロッパの書物観というのは、どんな小さな 本であろうと、本の世界のことが勉強できるという基本的な立場で作られてきた。 ところが、アルファベット順で引く事典が出てきたために、事物がもっている順 序と本の中で成り立っている秩序が異なってきたのである。もう1つの特徴は、 教育の効果としての図解、イラストレーションの意味を発見した。
これはアルファベット順に引く事典なので最初に anatomy が出てくるが、この 解剖というのが、あらゆる知識の構成にさきだって存在したのであり、人体がふ わけされていく構造が、その後のディドロ・ダランベールの分類学に構図を与え ていったと、言われている。
ところで、イギリスの中で活版印刷が浸透してくるのは、1690年代のことである。 むかしから各行の最後はそろっておらず、また u と v の区別もされていなかっ たのである。しかし、1690年代に入って行の最後が整ってきた。
こうしたこととイギリスの小説の歴史は、関連性がある。初期の小説家のほとん どは、プリント・マスターであった。自分で書いた原稿を自分で活字に拾った。 そういう文化が英文学史上、空白の部分になっている1660年〜1720年という60年 間に存在したのであった。18世紀人は、紙の上に黒いインクで、ある必要があっ て印刷されていたあの紙自体も視覚現象としてとらえていた可能性が大である。
長い間我々は、活版の活字を通して正確をむねに教わってきた情報の伝達の仕方 が、フーコーの表象論が登場してきてから変化し、本の中に白紙のページが出てき て、そこに活字が並ぶことで何らかの情報が伝えられるだろうというあのリアリ ズム活版印刷小説の理念は、崩壊した。
これにかわって出てきたのが、マンガであり、広い意味の絵が受け入れられるよ うになってきた。文字の伝達をサポートするイラストレーションに過ぎなかった 段階から、絵そのものの読み方を知っていれば、別の情報の伝達の仕方があるこ とに気付き始めたのである。
私が感動したのは、先生の卓越した話術である。参加者は、氏の巧みな話術に魅 了され、盛大のうちにこの会は幕を閉じた。
中京大学英文学会・名古屋シェイクスピア研究会
共催特別講演会