初めての海外旅行、バリ島

石田耕一(昭和59年卒 荒木運輸株式会社勤務)



 平成8年6月30日(日曜日)が私にとって初めての海外旅行、バリ島へ行く日である。出発便はガルーダインドネシア航空(783便)。機内はビジネスクラスだ。勿論、初めてなのでゆったり快適な旅が目的だった。座席は広々としてて、足下にシートをかける。なんだか別世界にいるみたいのようだった。スチュワーデスは英語で応対し、戸惑いはあった。発着時刻は午後12時30分(関西空港発)→午後21時5分(デンパサール着)。新婚旅行ということもあり、思い出の1ページにしたいという願望があった。デンパサール空港着後に専用バスに乗り、バカンス村へ約20分位かかったと思う。そのバカンス村は某主催のホテルだ。約8時間の旅は疲れるばかり。でも、バリ島に来た満足感は何ともいえない気分だった。時差は1時間。バカンス村では朝昼夕の食事が揃っていて、バイキングで和食、洋食等、食べ放題。日本のホテルでは考えられないメニューでいっぱいだ。2日目は午前9時頃から30分位のオリエンテーションをし、バカンス村での楽しみ方について聞く。午後11時頃ボートトリップし、海岸から眺めるヌサ・ドゥアの海岸の景色は異国情緒にあふれ、「最後の楽園」というキャッチフレーズがぴったりだった。ボートに乗っている45分間は私自身、バリ島へ来たという感覚を強くもたせた。午後からはクタ・プラザバリへショッピング。バカンス村からはタクシーで行った。帰りは無料バスでバカンス村に戻る。ブラザ・バリ内では店員がすぐ寄ってきて、あれこれ勧めるのには参った。日本語で対応してくれるスタッフがいるので日本人観光客が多いのだろう。次に、3日目はテニス、サウナ、オイルマッサージなどでゆっくりとすごした。4日目は午前午後とオプショナルツアーで忙しかった。午前中はクタの街へショッピングに行った。で、歩いていると日本人だと思うと千円!千円!としつこく変わる変わるいろいろな物を売りにきた。そしてバスに乗ったあとでも窓を叩いてしつこく売りつけようとするシーンは日本では見られないだろう。午後からはゲルゲル王朝時代の都だったメンクイにある土家の寺タマン・アユン寺院とお猿の森を訪れた後、バリ島の西海岸に立つタナロット寺院から海に沈む夕日を見たが期待したほどではなかった。クタの街へショッピングに行ったとき、道路が狭くて、特に気づいたのはバイクが多かったことだ。買い物はクタの街にあるマタハリデパートに行った。バリ島の大きなデパートだと思いますが、女性販売員は確か、上下赤い服。男性販売員は日本の警察の制服の夏用に似ていたので、なんだか日本と違い、恐いイメージが強かった。バリ島では1RP(ルピア)0.05円。デパートの販売員(レジ)に日本円は使用できますか?と訪ねたら出来ない!と言われ、デパート内の両替でRP(ルピア)に変えた。無事、買い物は済ませ、せっかくバリ島へ来たのだから何か記念になる物でもと思い、女性シンガーの CDとバリ舞踊カセットを買い、私は満足した。ちょうど3日目辺りだった。バリ島に来て、後2日間で日本に帰ると思うと寂しくなりかけた。初めての海外旅行、バリ島。5日目の夕刻、バカンス村から専用バスに乗り空港に向かう。ガルーダインドネシア航空で日本に帰宅。ジャカルタ経由で時間は少しかかったが無事、関西国際空港へ午前中に到着した。だが、あいにくの風と雨で鉄道全てストップになり、りんくうタウンに向かった。が、バス停と駅の間に距離があり、私たちはずぶぬれで走った。でも、初めての海外旅行、バリ島はハートいっぱいの風と雨なんて無関係のすばらしい新婚旅行だった。


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Fri Nov 13, 1998

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