ロンドン本あれこれ

栂 正行(教養部教授)



95年度の演習では18、19、20世紀のイギリス小説を、前の年度はロンドン、コヴェント・ガーデン地区にまつわる作家の作品を扱った。いずれのテーマも、場所はロンドンが中心。話のはしばしにロンドンが出てきたが、この際、触れたもの、触れなかったもの合わせて、手頃なロンドン案内を紹介しておきたい。

というのも、どちらの演習でも、学生諸君の知りたいことというのが、現代のロンドンのことであって、昔のロンドンはその後という印象を持ったからだ。まずは現代のロンドンを歩いてみて、気が向いたら、あるいは何かひっかかったら歴史を遡る。そしてディケンズのロンドン、ジョンソンのロンドン、フィーディングのロンドン、ピープスのロンドン、シェイクスピアのロンドンへと関心を広げていく。自然と言えば自然だ。

ロンドン案内はいくつも出ているが、ここでは比較的手に人りやすいものを紹介しておこう。

新聞が一週間分たまってしまった。さてあなたはいつの新聞から読み始めるか。どこから始めるのがもっとも効率的か。答えはもちろん新しい順。古新聞だから古い順に読み返すのは時間の無駄。

ロンドン本は、新聞ではないから、これは通用しないが、ここはとにかく新しいロンドンを知りたいみなさんに、1990年代の新しいロンドン本を紹介したい。その後、それより前に出て見逃せない本をいくつか挙げよう。

鈴木博之著『ロンドン』(ちくま新書、1996年)。この1月に出たばかりの本。新書なので手頃。難解でもない。著者のご専門が建築なので、われわれがロンドンで目にする奇妙な建物について、わかりやすい説明が付されている。コヴェント・ガーデンのことも詳しい。インターネットで調べるのもよいが、言ってみなければほんとうのところは何もわからないという姿勢が、行動力のある世代に受けるのではないか。

シュラン・グリーンガイド『ロンドン』(実業之日本社、1995年)。地区ごとにとても見やすい地図がついている。たとえば54頁のブルームズベリーの地図。またその前の頁では、この地区のスクエアをひとまとめに説明していて便利である。

『ロンドン』(ガリマール社・同朋舎出版編、1994年)。望遠郷というシリーズの一冊。およそ旅行者の目に映りうるものはなんでも解説するといった感じの書物。地図が立体的でわかりやすい。このシリーズを手にすると異国の都市が有り難く珍しいものという感じが抜け、極めて身近なものに見えてくる。

小関由美/笹尾多恵著『ロンドン・アンティーク物語』(東京書籍、1993年)。60年代生まれの著者たちによるコヴェント・ガーデンのジュビリー・マーケットについての等身大の紹介がある。日本のどこかの土産物屋に立ち寄るのと同じ感覚でロンドンで買い物をしているというところが時代を感じさせる。

宍戸修著『ロンドンのガーデンスクウェアー』(相模書房、1992年)。広場についてのいろいろな知識が得られる。

レンゾ・サルヴァドーリ著/星 和彦訳『ロンドン』(丸善、1991年)。建築ガイドというシリーズの一冊。ほかにローマ(長尾重武訳)、パリ(土居義岳訳)、ヴェニス(陣内秀信訳)がある。全編図版とその解説なので、文字嫌いの人に向く。解説は短く、現実の建物を見ながらでも、さっと読み通せ、しかも内容は充実している。

シュウォーツ、リチャード著、玉井東助/江藤秀一訳『18世紀ロンドン日常生活』(研究社出版、1990年)。ジョンソンとボズウェルのロンドン。ジョンソン伝が長いという方は、まずこれでウォームアップするとよい。18世紀のロンドンのおもしろいところがよくわかる。

水谷三公著『貴族の風景:近代英国の広場とエリート』(平凡社、1989年)。コヴェント・ガーデンとは対照的なロンドンのもうひとつの重要な広場の話。

オールティック、リチャード著/小池滋監訳『ロンドンの見世物』(国書刊行会、1989年)。ロンドンにはあらゆる種類の見せ物があったし、今もある。

キャメロン(写真)、ロバート、アリステア・クック(文)/住川治人訳『ロンドン空中散歩』(朝日新聞社、1989年)。ロンドンをとらえた航空写真集。よそ者である日本人、目立つ日本人が安全に歩ける場所がごく一部でしかないことがよくわかる。

ヒバート、クリストファー著/横山徳爾訳『ロンドン:ある都市の伝記』(北星堂書店、1988年)。厚い本なので終始楽しくというわけにはいかないが、細かくて勉強になる。

ラスムッセン、S.E.著/兼田啓一訳『ロンドン物語:その都市と建築の歴史』(中央公論美術出版、1987年)。ロンドンの広場について一章を割いている。アデルフィの解説なども役に立つ。

飯田善国著『ラッセル広場の空』(小沢書店、1982年)。唐突に、また遠慮なく言わせてもらえば、私はこの本がとても好きだ。1980年の秋に個展を開くためロンドンを訪れた彫刻家の手記。ラッセル広場とは大英博物館のすぐ近くにある、このあたり最大のスクエアで、ヒースロー空港から出るエアバスの終点でもある。著者はこの広場に沿った道サザンプトン・ロウのベッドフォード・ホテルに滞在し、ロンドンのあちらこちらで友人と談笑したり、画廊に出かけたり、美術館に足を運んだり、ヘンリー・ムアに会ったりする。こういう具体的な場に即した手記の評価は、それがその場を訪れたことのない読者に対しても意味を持ちうるか否かにかかっているが、この手記の場合は十分にこの場を突き抜けたものとなっている。たとえばロンドンの路上歩行者についての次のような観察。「ロンドンの路上行歩者は、ニューョークのそれと非常に違う。ロンドンの路上歩行者は、他者を無視するのでもないし、また、他者が存在していないかのように歩行するのでもない。彼らは他者をはっきり意識している。意識したうえで、相手とほとんど計測できない程遠い距離を取るのだ」。またいっも通る道に面した大きな壁の小さな入り口を入ると、それが大英博物館であったというような記述も、異国の土地でおこる偶然を語っておもしろい。一見ぎょっとするポスト・オフィス・タワーも著者の手にかかるととても意味のある建物に変身する。ロンドンはあわただしい近代都市だが、それをゆったりと堪能する方法を著者は教えてくれる。この書物を読んだ時の2時間はとても得をした気分であった。こういう時間を作為的に増やすには工夫がいる。

さて、最後に現実の都市についての本はもう十分という向きに一冊、都市をめぐるとどめの記述を紹介しておこう。イタロ・カルヴィーノ著/米川良夫訳『見えない都市』河出書房新社、1977年)。マルコ・ボーロがフビライ汗に見えない都市について物語るという、幻想の旅の物語だ。地図をもって現実の都市を歩いた後の虚脱感を癒すのに少なからず効果がある。マルコの語る都市はどれも奇抜で魅力的だが、私はエウサビアという都市がよく出来ていると思う。この都市の住人たちは「この都市の完全な模型を地下にこしらえて」いたが、いつしかこの死者の都市を生者たちが模倣するようになる。その経緯の語りが絶妙なのである。イタロ・カルヴィーノについては彼のトリノ大学卒業の時の論文がコンラッドに関するものであったという点に触れるだけで、またの機会に。


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Thu Apr 30, 1998

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