'95年の夏休暇をロンドンで過ごした。イギリス演劇に関心を持つ者にとって、演劇の現場に赴き、実際の上演を観ることがどれほど大事かは言うまでもない。観たかった劇を、優れた演出のもと、すばらしい俳優たちの演技で、観られた時のよろこびは他の何ものにもかえがたい。
ロンドンで今どのような劇が上演されているか。それを知る方法はいくつかある。イギリスから毎日送られてくる The Timesなどの新聞のartsのページを見るのもその1つ。残念ながら中京大学ではThe Timesを定期講読していないので、近くでは南山大学と名古屋大学の図書館へ行くしかない。The Times にはどの劇場で何を上演しているかだけでなく、主だった劇場のその日の切符の売れ行き状況が載せられている。どの劇が今関心を持たれているかが、それを見ても分かる。毎日のように掲載される劇評も、日本の新聞の劇評と違って、歯に衣を着せぬところがあり、読み応えがある。新聞の劇評といえば、すぐに思い出されることがある。イギリス現代劇に一つの時代を画した劇の一つにJohn OsborneのLook Back in Angerがあるが、この劇がロンドンのRoyal Court劇場で上演された1956年5月8日の翌日、Birmingham Postの劇評子はこの劇を観て、「無駄にすごした一夜を怒りを込めて振りかえる」と全面否定の評価を下した。それに対して翌々日のThe Observerに「私はこの劇を見たくないと言うような人を愛せるかどうか疑問だ。これこそはこの10年間で最高の若者劇である」との反論が載った。こう評価したのは60年代NationalTheatreのliterary managerを勤めることになるKenneth Tynan。その後のイギリス現代劇の歴史はTynanの慧眼の鋭さを証している。当時無名の劇作家であったOsborneの新作をめぐって、紙上で激しい論戦が行われたのである。これだけを見ても、新聞の劇評のもつ意味が分かるというものだ。
栄にある愛知県芸術文化センターの地下に世界の演劇や音楽会の情報を集めているコーナーがある。そこへ出向いても今ロンドンで何が上演されているかを知ることができる。
もう1つ方法がある。SocietyofLondon Theatreなる団体があり、2週間に1度London Theatre Guideを発行している。イギリスへ行けば、劇場の窓口にはもちろんのこと、空港・ホテル・B&B・インフォメイションセンターなど至るところに置いてあって、無料で入手することができる。このガイド誌(小さくたたんであるが、広げると60センチ×50センチほどの1枚の紙になるので、ガイド紙というべきか)をわざわざ郵送料を払って日本へ送ってもらっている。今、目の前にあるのは最新の‘Dec25−Jan7’号。劇場をアルファベット順に並ベ、劇場の住所、電話番号をはじめ、演目・作家・演出者・主要な出演者・上演時間などを載せている。劇場の位置を示す地図も付いているので、観たい劇が見つかれば、その劇場の場所も分かるようになっている。渡英のスケジュールが決まれば、観たい劇を上演している劇場あてに切符を購入したい旨の手紙を書いてもよいし、直接国際電話で申込んでもよい。こちらのクレジットカードのナンバーさえ伝えれば、劇場の窓口で切符を受け取ることができる。このガイド誌をもとに、ロンドンの演劇事情の一端を紹介してみたい。
ロンドンの商業演劇の中心地をウエスト・エンドという。旧ロンドン市The Cityから見ると何もない「西のはずれ」であったことに由来する。ウエスト・エンドは今やロンドンでも最も賑やかな場所である。このウエスト・エンドを歩いても感じとれるのだが、この10数年、ロンドンの演劇界を席捲している感のあるのが、ミュージカルの隆盛である。ガイド誌に47の劇場が載っているが、Enghsh National Opera のColiseum、バレーを上演しているRoyal Festival Hall、イギリスのオペラの殿堂 Royal Opera Houseの3劇場を除くと、44の劇場のうち20の劇場でミュージカルを上演しているのだ。一昔前には考えられなかったことである。今やミュージカルを語らずしてロンドンの演劇を語ることはできなくなっている。20のミュージカルのうち、Starlight Express、The Phantom of the Opera、Cats、Sunset Boulevardの4作品の作曲を手がけているのがAndrew Lloyd Webber。それぞれの作品で、台本が優れていることに加えて、1度聞いたら忘れられない彼のメロディーが多くの観客をひきつけている。T.S.Eliotの詩をもとにしたCatsの初演は1981年だから、もう15年もの間毎晩このミュージカルが上演されていることになる。日本では考えられない光景である。今でも上演時間の何時間も前からreturns(1度売った切符を劇場側が買い戻し、再度、当日売り出す切符のことで、日本にはこの制度はない)を求めて劇場の前に長い列ができるのも彼のミュージカルである。1986年初演のThe Phantom of the Operaの人気は特に衰えを知らない。Miss Saigon、Oliver(C.DickensのOliver Twistのミュージカル版。子供達が実に達者な演技をする)やLe Miserable、を製作しているCameron Mackintoshの手腕も高く評価されている。演出はといえば、Le Miserable、Sunset Boulevard、Cats、Sunset Boulevardを手がけているのはTrevor Nunn。彼は1968年弱冠28歳でRoyal Shakespeare Companyの総監督となり、数々の優れた演出を残しているイギリスを代表する演出家である。Miss Saigonの演出はNicholus Hytner。彼もShakespeare劇ですぐれた成果を上げている演出家である。優秀な台本と作曲家、演出家がイギリスのミュージカルの隆盛を支えている。1月の半ぱからworld tourに出るというFive Guys Named Moe、Willy Russell作のBlood Brothers、アメリカミュージカルGershwinのCrazy for Youなどどれも劇場は観客で溢れている。
ミュージカルの隆盛に較べて、やや淋しいのはShakespeare劇である。主としてShakespeare劇を上演しているRoyal Shakespeare Companyはロンドンとストラットフォードに本拠地をもっている。後者の夏シーズンは切符が入手できないほど盛況なのだが、ロンドンでは夏のシーズン中の客の入りはあまりよくないと見受けた。ロンドンのBarbicanの2つの劇場では、今クリスマスシーズンということもあって、Dickens原作のA Chrismas CarolとD.PotterのSon of Man、Byron作のCainの3作品を上演していて、Shakespeareを見ることはできない。Barbicanがロンドンの都心からちょっとはずれているために客の足が遠のいてしまうということで、Water loo駅の近く、かつてのNational TheatreであったThe Old Vic劇場へ移転するという話も持ち上がっている。観客の好みもあって、Shakespeare映画の製作にも力をそそぐ方針があることも聞いている。今ロンドンでShakespeareを観ようと思えば、National Theatreの3劇場のうち1番小さなCottesloe劇場(収容数は200人位だろうか)で上演されているRichard U(F.Shawという女優が主人公 Richard 3世を演じていて、好評である)と、The Tempestのミュージカル版Return to the Forbidden Planetぐらいである。
Shakespeare劇の現況は少し気になるところだが、アメリカの俳優 Sam Wanamaker の20年末の夢、International Shakespeare Globe Center の建設が1歩ずつ完成に向って進展している。テムズ川の南岸サザックの地に、エリザベス朝のグローブ座を再建しようという計画である。独力でこの計画を始めたWanamakerはその完成を見ずに昨年亡くなったが、彼が夢見たグローブ座がようやくその全体像を見せ始めた。総監督に俳優のMark Rylanceの起用も決まり、この劇場がこれからのシェイクスピア劇をどう活性化していくか、大いに期待されている。
現代劇作家の新作が2つ上演されている。1つはTom StoppardのIndian Ink、もう1つはAlan AykebournのCommunicating Doors。後者はAykebourn自身が演出している。’95年の夏にはNational TheatreでDavid Hareの新作Skylightが上演されていて、大変な好評を博し、最も切符のとりにくい劇であった。このように新作をどんどん上演していく一方で、Agatha ChristieのThe Mousetrapは何と上演44年目を迎えている。新しいものと古いものの共存、いかにもイギリスらしい。かつてはイギリスの二大劇場、National Theatre(数年前に勅許を得たので正式にはRoyal National Theatreという)とRoyal Shakespeare Company の総監督をつとめ、数年前に自らの名をつけた劇団を組織して、ウエストエンドの商業演劇に進出したPeter HallがIbsenのThe Master Builderを演出している。IbsenやChekhovはイギリス好みの劇作家で彼らの作品はしばしば上演される。3年前に National Theatreで上演されたJ.B.Priestley のAn Inspector Callsがウエスト・エンドの Garrick 座で再演されている。National Theatre で上演されたときから高く評価されてきて、これまでに19もの演劇賞を獲得している。最近のロンドン演劇界のヒット作と言ってよい。National Theatre で1年ほど上演された直後に、ウエスト・エンドで上演されたので、正確には今度が再再演ということになる。個人的な関心からすると今すぐにでもロンドンへ飛んでいって観たい劇が上演されている。Shakespeareと同時代の劇作家 John WebsterのThe Duchess of Malfiである。Cheek By Jowl がどのような劇に仕立ててくれているか興味深い。
もう1つ気付いたことがある。ウエスト・エンドの Foutune 座が日曜日に会場している。イギリスでは商店が日曜日に営業することは法律違反として罰せられてきた。今ロンドンへ行くと大手のスーパー.マーケットも日曜日に営業を行っている。法律が改正されて日曜日にも店を開けることができるようになったのである。その影響を受けたのであろう。劇場の中に日曜日に開場するところが出てきたのである。長いイギリスの歴史の中で初めての出来事である。「ロンドンに飽きた人は人生に飽きた人だ」とはS.Johnsonの有名な言葉である。確かにロンドンでの生活は魅力にあふれている。そして私にとってはロンドンの演劇がその魅力の大きな一部になっている。何時行っても、何回行ってもロンドンに飽きることはない。