スタンダード・イングリッシュに思う

小田原 謡子(教養部教授)



「英語はこんなに音の明晰な、きれいな言葉だったのか!」勤務先から研修休暇をもらって留学したケンブリッジに落ちついて間もない頃、部屋でテレビを観ていた時のことである。テレビでは党人会の中継をやっていた。社会民主党の政策および他党との統合をめぐって、国会議貝一人一人がかわるがわる白分の意見を述べていた。聴く者を説得しようと、自分の意見を論理的に、明確に、時にはユーモアを交えて述べるそのスタイルがとてもいいと思った。実にさまになっていた。わが国の国会中継とは、かなり趣を異にするものだったのである。「この国の国会議貝は何て素敵なんだろう」と単純な私は思った。そしてその素敵な人たちの英語は、とてもきれいな音だと思ったのである。後になって、私はもっときれいだと思う音の人にも接したのだが、それがきれいだなと思った最初だったと思う。

英語はこんなにきれいな言葉だったのか。それとも、素敵な人たちのしやべる言葉だからきれいに聞こえたのか。

この国の国会議員は素敵だと思った私の印象は、そうひどく間違ったものではない。国会議員は教養のある人だからだ。イギリスで大学教育を受ける人は多くない。大まかに言って人口の1割だ。少数教育の伝統を持つ上に、大学の数が少ないからである。12、13世紀にオックスフォードとケンブリッジが設立され、15、16世紀にセント・アンドリューズ、グラスゴー、アバディーン、エディンバラが設立され、19世紀初頭にロンドンとダラムが設立され、19世紀末に、マンチェスター、バーミンガム、シェフィールド、ウェールズ等の工業都市に、いわゆるレッドブリックと呼ばれる大学郡が設立された。20世紀に入って、二つの大戦間にレディングが設立され、そして大学になったのはもっと後としても、ダンディー、エグゼター、ノッティンガム等の大学の前身が発展し、その後アストン等工業学校の大学昇格があり、さらに、エセックス、ケント、ウォリック、ヨーク、サセックス等、全く新しい大学が設立された。これらの大学を全部あわせても約50校である。(『英国大学院進学の手引、1990年〜91年版』参照。なお、最近の技術専門学校の大学昇格については詳しく知らない。)その中でオックスフォード、ケンブリッジへ進む人はさらに少ない。教育を受けた人はインテリなのである。きれいな英語を話す人たちだ。そして国会議議員になるのはそういう人たちなのである。いわばきれいな英語と教育とステイタスとは結びついたものと言っても過言ではないだろう。ある階層以上の人と教育を受けることできれいな英語を身にっけた人は、きれいな英語を話すのである。

サッチャー前首相が、首相になると決まった時、きれいな英語を身につけるベく英語の特訓を受けたことは、よく知られた話である。彼女はオックスフォードで教育を受けた人であるが、出身地のグランタなまりがひどかったのだそうだ。特訓のかいあって、首相演説ではみごとな英語を(ヘアスタイル同様不自然なきれいさだと言った人もいるが)聞かせられるようになった。もしきれいな英語を身につけることが出来なかったら、首相を長く続けていくことは出来なかっただろうと言う人もいるが、実際そうだっただろうと思う。BBCのアナウンサーと並んできれいな英語をしやべる人の代名詞みたいに言われる国会議員の、そのトップに立つ首相がひどい英語をしゃべっていたのではさまにならないし、それを毎度聞かされる方はさぞ耳障りだろうと思われるからだ。それだけで反発を感じないとも限らない。いやおそらく確実にそうだっただろう。首相たるものはきれいな英語を身にっけていて当然という前提条件のようなものがあるように思われる。

ケンブリッジは、言葉に限らず、ふるまい方など、およそあらゆることにスタンダードというもののあるところだった。スタンダードからそれることは個人の勝手だろうが、それでも、今自分のやっていることがスタンダードからそれているかいないかの白覚は、各自にあったはずである。言葉について言えば、私の口から発せられる音、表現、そのあらゆるものが俎上に載せられ、それが不適切な音や表現であった場合には、相手の顔にうかぶ表情に、即座にそのことを悟らされることとなった。自国では英語の教師を職業としている者にとって、これはかなり辛い経験であった。私は、しかし、自分の言葉の不完全さを残念に思いはしたが、そこの人たちの言葉を美しいと思い、厳密なスタンダードのあることを好もしいと思った。そして自分をそのスタンダードに近づけるべく努力したのである。私はのちに、私の属していたコレッジにかつて教えに来ておられたオックスフォード出身の○○女史が友人にあてた手紙の中で、「こんなに厳密さに欠けているとは……」と、自らの学問的良心に照らして、この大学でのやり方を批判しているのを、その人を記念して出された冊子の中で読み、パーフェクトなものを求める、さらに厳密なところもあるらしいと知ったのである。

しかし、まわりの人すべてがきれいな英語を話すところは、言うまでもないが、少ない。イギリス各地を旅するとわかるが、実に多くの方言がある。そしてそれは、スタンダードと思われている英語とかなり違っているのだ。一般的に言って、イングランド南部はスタンダードに近い英語であり、北部はわかりにくい。(イングランド南部でも、ロンドンの下町言葉のようにわかりにくい言葉もあるが)北のスコットランド、アイルランドはわかりにくい。

数年前グラスゴーへ行った時、土地の人の言葉がわからないのには閉口した。学会があったのでグラスゴー大学に泊めてもらうことになっていたのだが、一日早く着き、その日の宿は駅のインフォーメーションで決めようと思っていたら、夜遅く着いたためインフォーメーションはもう閉まっていた。駅員さんがタクシーの運転手に聞くといいと言うので、運転手にどこか泊まれるところはないかと尋ねると、「ホテルは高い。ゲスト(ハウス)がいい」と言う。ゲストハウスとは、ホテルほど大きくないがベッド・アンド・ブレックファーストより大きいというところなのだろう。運転手のすすめるゲストハウスへ連れて行ってもらったが、あいにくその日はどこも満員だった。はじめの1、2軒は運転手が聞きに行ってくれたが、次からは「聞いておいで」と言う。聞きに行くと、そこも満員だと言うので、「どこかあいてそうな宿を知りませんか」と尋ねると、知っている宿に電話をかけてくれた。そのやりとりを聞くともなしに聞いていると、それまで私としやべっていたのは、なまりはあっても標準語のようだったのだが、急に土地の言葉になって、ほとんどわからない。わずかにわかったのは、かなり標準語と違うイントネーションで「今夜」と言っているところだけだった。

しかしホテルは客商売だから、まだ標準語が通じたのだ。別の日バスに乗ったら、この時は全くわからなかった。あちらではバスに乗っても、「次は○○です」とアナウンスしてくれるわけではないから、自分が降りるべきところを、あたりの景色、目印になる建物など前もっておぼえておかなくては、降りるべきところで降りそこなってしまう。慣れないうちは運転手なり車掌に、「どこそこで降りたいので、そこへ着いたら教えて下さい」と頼んでおくことにしているので、その時も、そのバスの運転手にそう頼んだ。すると運転手が何か言った。しかしよく聞こえなかった。あたりが騒がしいこともあったので、多分、いいよと言ったのだろうとは思ったが、念のため、もう一度同じことを言った。運転手はまた何か言ったが、今度も何を言っているのか、さっぱりわからない。私の言いたいことは通じたのだろうかと不安になり、声を大きくしてまた同じことを繰り返した。すると私の背後からきれいな英語で「あなたの降りるところは〜だと運転手は言っているのです」という声が聞こえてきた。ああ英語だ!私が英語と思っていた言葉だ!と、バルバロイの中に文明人の言葉を聞いたような気持になって後をふりむくと、背広を着た若い紳士が立っていた。「運転手さんの言葉がわからなくて……」と私が言うと、「このあたりの言葉はわかりにくいのです」と言い、もう一度私の降りるべきところをくわしく教えてくれると、うしろの席へ戻って行った。私と運転手のやりとりを聞いていて、外国人が困っているようだと思って、わざわざ教えに来てくれたのだ。私はこの時、グッド・イングリッシュ(きれいな英語)という表現のあることの意味を、はじめて実感をもって理解したのである。

すべての人がきれいな英語を話すわけではない。きれいな英語が強制されているわけではないのである。きれいな英語を話す人がいて、方言をしゃべる人がいる。しかし方言をしやべる人も、自分の言葉がスタンダードでないことは知っている。スタンダードは、はっきりしているのである。


衛星放送のおかげで、各国の報道人が世界各地で取材するさまざまなュースが、いながらにして見聞き出来るようになった。各国首脳がその国あるいは他の国で行う演説も、その国の人々が話していることも聞けるようになった。イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、パキスタン、シンガポール、フィリピン、南アメリカ等多くの国で英語が話されていることをあらためて知らされると同時に、その英語が厳密な意味で同じでないことも目のあたりに知らされる。かつてのイギリスの植民地で英語が使われているのは当然と言えば当然なのだが、音や表現のあるものがもとの英語と違ってきているようだ。

各国の首相や大統領、また他の人々の演説あるいはインタビューを聞いていて、と言っても網羅的に聞いているわけではなく、たまたまニュースで、時の話題になった人の話が印象に残っているに過ぎないのだが、パキスタン首相ベナジル・ブット女史は、イントネーションや一部の音に他の言語(おそらく母国語)の影響があるものの、立派な英語のようだと思ったら、お父さんもご本人もオックスフォード出身だった。ミャンマーのアウン・サン・スーチー女史も立派な英語のようだと思ったら、オックスフォードだった。クリントン大統領もオックスフォードの大学院で学んだ人だが、テレビのスピーカーから流れる音にそれを読み取ることは難しい。一人一人あげればきりがないが、ここでもう一人、南アフリカ大統領ネルソン・マンデラ氏に注目したい。ひところ毎日のようにニュースに登場し、その英語に接したので印象に残っている人である。

マンデラ氏は半生をアパルトヘイト廃絶のために捧げた人である。白人の作った規則に反対したために27年間獄中にあった。私は昨年パキスタン首相ベナジル・ブット女史の伝記を読み、彼女および民主的に選出された初代パキスタン首相であった彼女の父が、政治的指導者であるが故に軍によって投獄され、いかに苛酷な取り扱いを受けたか(彼女の父が投獄され、軍事裁判を経て処刑されるに至るくだりは、胸の動悸なしには読めない)ということを知ったのだが、マンデラ氏も彼らに勝るとも劣らぬ、そして質も違っていたであろう苛酷な状況を生きぬいてきたようだ。

氏の経歴をたどると、はじめ法律家、1944年ANC(アフリカン・ナショナル・コングレス)に入党、20年間人種差別反対の運動をすすめ、1962年に逮捕され5年間投獄、その刑期中に共産党活動防止法に触れたかどで告発され、氏自身が弁護を行った裁判(1963年〜1964年)で終身刑を宣告された。政府からの条件付き釈放の中し出も、アパルトヘイトに関して妥協することを嫌って拒み、1980年代には氏の釈放を求める国際的な運動がおこり、1990年2月、デ・クラーク大統領の英断により恩謝で自由の身になった。デ・クラーク大統領は氏とアパルトヘイト法廃絶の話し合いを始め、黒人も含めた総選挙を行うことを宣言し、1993年には2人がノーベル平和賞を受賞した。l994年の南アフリカ初の総選挙でANCが勝利し、氏はANCの指導者として大統領に選出された。(『図説オックスフォード百科辞典』及び『ケンブリッジ伝記百科辞典』参照)

年輪を重ね、風雪に耐えてきた、猛々しさのない、抱擁力のありそうなおじいさんといった印象を与える人である。昨年度のサッカーのワールドカップに出場する南ア代表は、一人を除いて全員が白人だったが、チームを激励に訪れたマンデラ氏は、「みんな南アの子供たちだ。国をあげて応援する」と言ったそうである。それを聞いたチーム側は、白人も黒人も一丸となって闘い、試合での国歌斉唱の際、白人の国歌と黒人の国歌のある南アの、白人の歌だけでなく黒人の歌も歌って氏の激励に応えたという。 マンデラ氏が南アの黒人の中でも傑出した一人であることは多くの人の認めるところだろう。氏は長く獄中にあって、政治の場から離れていたにもかかわらず権威を失うことはなかった。このような人はさまざまなことに影響力を持つことだろう。昨年来日され中京大学でも講演されたシェフィールド大学のノーマン・ブレイク教授は、講演の中で、氏の訪米中また訪米後、氏がアメリカで「アフリカン・アメリカン」と紹介されていたことが、『オブザーバー』紙(1991年12月15日付)で報道されたと述べておられた。「ブラック」ではなく「アフリカン・アメリカン」である。氏はアメリカ人ではないのでこれは必ずしも最良の表現ではないが、これが現在アメリカ黒人をあらわす許容表現だから、「政治的に正しい」言葉なのだそうだ。1991年は、獄から出されたマンデラ氏が、アパルトヘイト法廃絶のため南ア政府に働きかけて欲しいと、各国に協力を求めていた頃である。差別に対する人間感情を配慮する表現となったのだろう。

1950年代のアメリカ黒人指導者マルコム・Xは、「ニガー」という蔑称を嫌って「ブラック」と白らを呼び、「ニガー」という蔑称から自分を解放しようとした。はじめ白人リベラルとの連帯を拒絶したが、のち白人との兄弟愛を説き、1964年に「アフロ・アメリカン」の名称(この名称の初出はOEDによれば1890年である)を持つ団体を組織し(『図説オックスフォード百朴辞典』参照)、1965年凶弾に倒れた。彼は「ニガー」ではなく「アフロ・アメリカン」というアイデンティティを得たという。

言葉に特殊な色あいを付与するのは人間だ。差別の意味あいをなくすために採用された新しい言葉は、すぐにまた差別の色あいを帯び、また別の新しい言葉が必要になるとは、ブレイク教授の指摘にあるとおりだろう。差別感情をよびおこす笑体が変化しない限り、差別感情は残る。

例外的に秀れた一人の出現は、その人の属する集団、氏族といったものの地位を高めることに貫献する。マンデラ氏の存在と働きは、少なくともアパルトヘイト法廃絶につながった。氏の存在は、言葉にも影響を与えるだろうか。

すぐれた一人の出現が言葉に影響を与え得るだろうかと考える時、これは困ると思うことがある。ニュースに登場するマンデラ氏の英語は、かなりひどく、なまっているのだ。先に触れたような経歴の人である。立派な英語を身につけるどころではない生活だったのだろうし、そういうことに関心はなかったのかも知れない。氏の歩んできた歴史の前には、あなたは言葉がひどいから大統領にはふさわしくないなどとはとても言えない。氏の過去にはそれだけの重みがある。氏の人間的抱擁力、氏の過去の歴史に敬意を表して、私は氏の英語の音には目をつむって聞いている。しかし氏のしゃべる英語がいただけないことは事実なのだ。

心配なことは(あるいは心配などしなくていいと言う人がいるかも知れないが)マンデラ氏が大統領として、あの英語で演説を行って、聞く側が、英語はこれでいいのだと思うかも知れないことである。氏の英語を、多くの人々とりわけ南アの黒人がお手本にしかねないことである。あれがお手本となると……私は当惑してしまう。マンデラ氏は人間としても例外的な人である。その氏であるからこそ、大統領にもなったのだろうし、その氏のしゃべる英語だからこそ、目をつむろうかという気にもなるのだが、それに続く人が氏よりももしかして劣る人であって、英語は氏のようなものということになったとしたらどうだろう。そしてその後に統く人は、さらにひどいとなったら……望ましいのはマンデラ氏自身が自分の英語の発音矯正をこころがけてくれることである。


世界各地の英語をみてみると、もとの英語をかなり色濃く残している国も、変化の激しい国もあるようだが、私はイギリス滞在中、一般的に言って、植民地の英語は本国の英語よりもシンプルなものになっているという感想を聞いたことがある。それは理解出来ることである。英語を母国語として生れ育った人には当然わかる表現が、英語を外国語として習得した人には複雑でわからないということはあり得る。誤解を避けるために、はっきりわかる表現にしなくてはならないという必要から、複雑な言いまわしを避け、よりシンプルな表現をせざるを得ない、またそれが一般的なものとして定着するということは十分あり得る。ある言語を母国語とする人たちにとって、英語のある種の音の発音が難しく、それが特徴的な音となり、またその言語に影響されたイントネーションになるということもあり得る。多民族を擁する国であれぱ、それだけ変化の幅は大きくなる可能性があると言えるだろう。その国の人口が多ければ、きれいな英語を話す人よりも、厳密な意味で音も表現ももとの英語とは異なるものを話す人が多くなる可能性もあるだろう。そしてこのような可能性に加えて、本国から他国へ移住した方言をしやべる人、およびその子孫も含めて、スタンダードではない英語の人たちが、自分の英語はスタンダードとは違うものだという認識のもとに使うのであれぱまだしも、そうではなく、「ある姿勢」のもとに使うとしたらどうだろう。「ある姿勢」と書いたが、これに関して思い出す一つのエピソードがある。

10年以上も前のことである。英文学関係の読書会の席上、英語のことに話が及んだ。中の一人が、スタンダードとされる英語の発音、表現を習得することの難しさを述べた。英語を母国語とする人が自然と思う発音と表現を完全に身につけるのはなみたいていのことではないと言うのだ。聞いていた私たちは、全くそのとおりだと同感の意をあらわした。するとその人はさらに統けて、自分は、無理をしてそんなスタンダードの発音、表現の英語を身につけなくてもいいのではないかと思うようになったと言った。英語を母国話とする人たちの英語があると同様に、私たちには私たちの英語があってもいいのではないかと思うと言うのだ。本来の音、表現とはやや異なるものであっても、それでいいではないか、たとえばピジン・イングリッシュなるものは、文法も英語とは違っているようだが、それでも何とか通じて、あれはあれで商売の用を足しているではないか、と言うのである。それを聞いて私は、ちょっと待てという気持になった。他の人たちもそう思ったと見えて、妙な顔をした。その人の発音、イントネーションは、本人はどう思っていたか知らないが、スタンダードからやや離れたところにあったことも手伝って、その人の意見は、英語習得の労を省きたいがための発想という印象を与え、そこにいた、英語が出来ると自他共に認めている一人が、「それは変だと思う。スタンダードというものがあるんだから、それに近づくように努力することが必要だと思う。ちゃんとした英語が出来ないのをそのままにして、我流の英話を、これでいいんだと思ってはいけないと思う」と言い、まわりの人もそれに賛成し、その議論はそれでおしまいになった。

このエピソードに見られるような、「スタンダードの英話でなくても、私たちには私たちの英語があっていい。これでいい」式の発想が、厳密な意味できれいな英語でない人たちの間に生れたら、どういうことになるだろうか。クォンティティがクォリティを凌駕することになる。

クォンティティがクォリティを凌駕する!!言葉と音の美しさを求める者にとって、これは、にわかには是としがたいことである。似て非なるものをスタンダードとすることに、抵抗をおぼえるからである。用を足す、用が足りる、そのことだけを問題にするならぱ、シンプルな表現でこと足りる。ややおかしな音でも、理解出来る範囲であればこと足りる。それ以上のこととなると、これは、美意識、文化の範晴に入る。私は言葉と音に関心を持つ者として、美意識、文化を大事にしたいと思うものである。


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Thu Apr 30, 1998


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