昨年の「ラビン首相暗殺」のニュースは私にはショックだった。「中東戦争再開」、「石油値上げ」などが一瞬、頭をよぎった。私は別に国際政治学者ではないが、1995年7月の国際学会で、イスラエルに1週間程滞在し、その時に1観光客としてイスラエルを知ったにすぎない。しかし、私を含め、日本人はイスラエルのことを知らないということをあらためて知った。ニワカ&エセ国際政治学者のタワゴトと思って読んでいただきたい。
1.ラビン首相暗殺と村山首相
ラビン暗殺を知って、欧米人のほとんどがショックだっただろう。日本人にははるか外国の事件にすぎず、葬儀にクリントンはじめ欧米の元首が集ったことにかえって驚いたくらいである。日本の外務省と村山首相は何を考えたのか、外務大臣派遣で済ませた。これは素人目にも失策である。村山首相は7月に会ったばかりであり面識もあるではないか。宗教法改正よりずっと大きな問題である。日本の外交はいつもそうだが、肝心な時に間が抜けているから、これで中東歴訪の外遊の意味がなくなってしまったといって過言ではない。まったく税金の無駄である。首相自身が行けないなら、せめて皇太子殿下クラスを頼めばよいではないか。それくらいの重みがあった。クリントンにいたっては現地でユダヤ教の丸い小さな帽子を被って演説をしていた。彼はユダヤ教徒ではないので、日本に例えれば、米国大統領が数珠をもって焼杏しているのとI同じである。アメリカがいかにイスラエルのことを気にしているかがよくわかる。クリントンは国内問題という理由で
には不参加だったが、その心底には、アメリカにとって日本はライバルだが、イスラエルは末の弟だという意識があるに違いない。日本はアメリカのことを兄貴と思っているかもしれないが、向こうはそう思っていない。そのあたりの感覚は政府も平和的日本人も変わりないのであろう。
2.イスラエルと同い歳
私自身、1995年7月までは似たようなものであった。現地でガイドブックを読み、いろいろ話しを聞くうちに、何も知らなかったことを認識した。建国は私の生れた年と同じ、戦後生れの「若い国」なのである。ユダヤ民族が2千年の放浪の末、ようやく建国してからまだそれほど経っていない。その短い歴史は戦争の歴史でもある。イスラエルはいきなり武力で奪い取って造った国ではない。入植して、せっせと努力して土地を買い、広げていったのである。しかし、周りはすべてアラブ諸国であり、宗教も習慣も異なる。それだけでも紛争の原因になるが、水が紛争の原因でもある。イスラエルの水源はガリラヤ湖で、もう1つの大きな湖である死海は塩分が20%もあり海水の6倍もの濃度の塩水なので農業にも飲用にもできない。しかもイスラエルの大半は海抜0以下にあるが、首都エルサレムは海抜200米の高原にあるのだから、水は下から上へと運ばなければならない。ガリラヤ湖から延々と水が上へ流れる運河を造り、畑を潤しながらエルサレムまで水を運んでいる。砂漠地帯なので元々、木がない所へ1本1本植樹しながら緑の大地を造っていった。その貴重な水源であるガリラヤ湖の北にはデカン高原があり、かつてはそこはアラブゲリラの拠点であった。そこに毒でも流されれば全滅になる。毒でなくともミサイルで運河を根元で破壊されても全滅である。イザヤ・ベンダサンのいう「水と安全は金がかかる」ことを実感できる。日本は海に囲まれ、外国からの侵入は歴史的にもないし、水と木はただで享受してきた。日本人にはイスラエル人の努力の気持ちが理解できない。日本のPFOはここに派遣されている。
こうした地理的条件だけでなく、政治的にもむずかしい状況にある。私も行く前まではイスラエル占領地区はョルダン河西岸地区とガザ地区だけだと思っていた。しかし、イスラエル占領区はヘブロンをはじめイスラエル国内に虫食いのようにある。キリストの生誕地ベッレヘムもそうした占領区である。観光するにもイスラエル軍が警備するゲートを越えていかなくてはならない。この占領区に住むパレスチナ人を中心とするアラブ人は貧しく、すぐ隣のイスラエル人は豊かな生活をしているのを毎日目にするのだから、宗教的理由がなくても不満は起きる。ジハード(聖戦)という正当化がなされればいつ暴動が起きても不思議ではない。こういう占領区は大小の町であり、イスラエル国土に蓮根の穴のように広がっている。その占領区をパレスチナ自治区として認め、中東に和平をというのがラビンの政策である。これは大変な決断であり、欧米諸国が賞賛するのも当然である。ノーベル賞にも値する。しかし国内には反対が出るのも当然である。せっかく戦争までして確保した土地を手放すのだから、右翼が黙っていない。ロシアにとってのクリル諸島、(日本側北方領土)の位置と違い、辺境地域ではない。日本に例えるなら、都市に点在する韓国・朝鮮人の多い地域を自治区と認めるに等しい。東京の赤坂のような皇居や国会の隣の町が自治区になるとしたら、日本では論争にすらならないであろう。村山首相にはできるはずもないが、仮にそうした提案をすれぱ右翼に攻撃されることは誰にもわかる。
こうした複雑な国内は現地に行かないとなかなかわからないが、村山首相はいったい何を見てきたのだろうか。ラビン暗殺は日本では誰もが最初はパレスチナ人ゲリラだと思った。だから、中東戦争かと騒いだのだが、少し現状を知れば、実はパレスチナ人はラビンを支持しており、彼等はラビンを抹殺してもトクはない。ラビン暗殺の影響は彼の和平政策の後退を意味し、その結果、せっかくまとまりかけた長年のイスラエルとパレスチナ問題が再燃して、中東戦争になるのではないかというのが欧米の懸念である。そこでラビン政策支持をアピールするために世界の元首が集った。その中にはアラブ元首もいたのである。その意味を日本はまったく理解していなかった。日本にとって中東問題は石油の問題でしかない。最初は対アメリカ政策としてイスラエル支持を表明したかと思うと、石油ショックの時には石油欲しさにアラブ友好国になった。現在では中立というどちらの側にも立たないといいつつ、問題を避ける位置にいる。仲介するという立場は決してとらないのである。今回の首相歴訪もその一環であった。だから、外務大臣派遣という中途十端な処置で欧米の失笑を買ったのである。
3.旧約聖書の国と現代社会
イスラエルに行って驚くのは現代政治のまっただ中であると同時に、2千年前の旧約聖書がそのまま実行されている国だということである。これは中国のように4千年も伝統が続いているという意味ではない。世界の各地で迫害されながら細々と続けてきた伝統を建国と同時に復活したのである。ヘブライ語もその文化復活の1つである。死海文書という有名な書類がある。非キリスト教者には単なる歴史遺産にしかすぎないが、キリスト教徒には最古の聖書の写本として重大な意味がある書物である。その写しがエルサレムの博物館に展示されているのだが、現地では小学生でも読めるというのは驚きである。つまりユダヤ人は2千年も前の古語を今だに維持しているのである。日本では百年前の文書でも専門家しか読めない。
通貨単位はシケルというが、これも旧約聖書に出てくる。イスラエルという国名自体が神に約束された民としての民族名をとっているが、イスラエル国内の町名も聖書に出てくる名前そのままである。聖地巡りの観光をしていると旧約の世界にいるような気がしてくる。京都や奈良を旅すると多少そういうロマンがあるが、コンクリート建造物と看板を見るとそんな感傷は吹き飛んでしまう。しかし砂漠とオリーブとナツメヤシの樹を見ていると旧約の世界そのままなのである。しかも砂漠の所々にはベドゥイン族が今もキャンプ生活をしている。観光客の勝手な想像だが、旧約時代の庶氏はきっとこんな生活をしていたのだろうと想像される。実際に生活しているのだから「伊勢戦国村」や「日光江戸村」とはわけが違う。
私はキリスト教徒でもユダヤ教徒でもないから、聖書は教養のため昔さっと読んだだけだったので、帰国後あらためて旧約を読んでみた。今までわけのわからないカタカナ語の連統だったが、実感として伝わってくる。ちょうどNHK大河ドラマを見て現地に行く程度の浅薄なものだが、それなりの感動がある。聖書をよく読んだ人なら、この上ない感動であることが想像できる。ユダヤ教徒は旧約聖書世界を再現したのだということが素人にも体験できるのがイスラエルなのである。
しかし古いしきたりを現代社会に適用しようとすると無理も生じる。ユダヤ教ではシャバトという安息日が土曜日である。金曜日日没から土曜日日没まで、あらゆる商店が店を休む。例外は外国人用ホテル、空港、タクシーくらいである。そのホテルにもシャバト・エレベータというのがある。これはボタンを押さなくても、誰も乗ってなくても各階に止まるエレベータである。ボタンを押しても通過できない。シャバトの時はいかなる労働をしてもいけないし、機械を操作してもいけないから、操作しなくても動くエレベータが必要である。普段は普通のエレベータとして機能するのだから、シャバトの日だけ、各階止りになるようコンピュータで制御する工レベータをわざわざ開発したのである。納得がいくようで、どこかおかしな気もする。階段を使えばよさそうなものだし、機械操作がいけなくて機械利用はいいのか、という疑問もある。こういうご都合主義はどこの宗教にも見られるが、論理的で有名なユダヤ人にしては妙な気もする。
イスラエルの町を歩くと美人、それもナイスバディの美人によく出会う。日本人にはエキゾチックに見えるからかとも思ったが、混血が多いからだそうである。世界各地に分散して住むうちにいろいろな民族と混血し、優秀な頭脳と美人を獲得したのだそうだ。しかしこの混血と現地順応が新たな問題を起こしている。イスラエルはアメリカ在住のユダヤ人を中心にして建国された。ロスチャイルド家などの財閥が今も支援を続けており、イスラエル国会議事堂はロスチャイルド家の寄付だと聞くと驚いてしまう。国家予算の多くを軍事費と教育費に注ぎ込んでいるが、その30%近くはアメリカからの送金であると聞いた。イスラエルの観光地にはアメリカ人の姿が多いが、よく売れているTシャツのロゴがおもしろい。「
Don't worry, America. We're behind you.」というコピーとF15ジェット戦闘機がプリントされている。アメリカ観光団には最初にこのギャグを言うと必ずウケルそうだ。つまりはアメリカの支援なくしては生きていけない国なのである。アメリカ自身混血と多民族の国だが、イスラエルはそのコピーだから、欧米系白人民族が中心である。しかしソ連崩壊後、ロシア系ユダヤ人の大量帰国が続いた。またアジア・アフリカにもユダヤ人がおり、中国からの帰国も多い。彼等はユダヤ教という宗教は同じだが、長い間には現地の習慣や思想への同化も多いので、現地ではユダヤ人という異民族であっても、イスラエルに入ると、どこの出身であるのか、その違いが顕在化する。また生活程度、教育程度にも大きな差がある。あまり知られてはいないが、イスラエルには現在4つの社会階級が形成されているという。イスラエルは教育に膨大な金をかけ、また共通語としてのヘブライ語を徹底することで、教育格差や生活格差を平等化しようと努力している。先に帰国した人々は先住権を主張せず、後から来た仲間のために教育と生活を補償し、その費用を負担しているのである。こうした福祉への高負担をしながら、軍事にも備え、なおかつ豊かさを維持するのは並大抵ではない。水と安全を守りつつ、軍事費を削減するため、和平交渉に望みをかけたラビンは偉人である。私利私欲に走る日本の政治家との落差はあまりに大きい。
イスラエルの生活を見ると物価はやや高い。もちろん日本よりずっと安いが欧米先進国並みである。農業は水管理が大変だし、砂漠地帯だから種類も限られる。しかし果物は大量に生産され、安い。西瓜、マンゴー、オレンジなどが中心だが、日本で最近人気が出てきたスウィーティというグレープフルーツによく似た果物にはイスラエル産というラベルが貼ってあるが、現地の市場では見たことがない。日本向け高級品なのだろうか。
イスラエルは石油が出ないことは案外知られていない。周りは産油国ばかりなのにそこから買うこともできない。すべて北海など遠くから輸入しているのである。水の確保だけでなくエネルギー源の確保も大変である。イスラエルの主たる輸出品はコンピュータソフトとスプリンクラーであるというのもこうした実情を知れば納得がいく。イスラエルという国はあらゆる資源確保に努力を払い、国家安全に努力し、多くの帰国移民教育に努力しているが、すべて宗教というきずながそうさせている。
日本はすべて反対である、とイスラエルを訪れた日本人は誰もがそう思う。水も安全もただで、高い物価でも国民は不平をいわないし、移民も受入れない。そして国民は宗教心などまったくないし、社会は頽廃への道を進んでいる。日本では自らを「平和ボケ」というマスコミや評論家が多いが、世界から見れば日本は平和でボケているではなく、ワガママとしか映らないのは当然であろう。もっとも、そういう自分を知らないことがボケであるというなら、それは正しい。世界情勢にも関心を示さず、自分の周りの社会にも関心を払わない。関心があるのは白分の欲望の充足だけで、将来それが維持できるかどうかだけが心配という情けない人が多い。これは若い人々だけでなく、年奇りも同じである。
イスラエルを見習えというのではない。しかし参考になることは多いと思う。アメリカも慾ボケしている人が多いのは日本と似たようなものだが、年取って宗教活動に関心をもった人々の多くが聖地巡礼をしており、イスラエルの事情を知る機会は多い。しかし、日本の宗教に関心をもつようになった老人は団体で寺社巡りをするだけであり、神仏にも自己とその家庭の安寧を祈願するに過ぎない。日本で国家安泰などと口にしようものなら、右翼と間違われるのがオチである。