「マヌエル・プイグの死」

鬼頭 芳樹



それは突然の死だった。『亡命者』というタイトルに魅せられ、読み始めた本で の出来事だった。亡命した芸術家達が語るいくつかの興味深い歴史的事実−−− ロシア・アバンギャルド派詩人達多数の自殺、アメリカの二度に亘るブニュエル の拒絶、トロツキーの暗殺状況など−−−の後、それは突然に私を襲った。

アルゼンチン生まれの作家マヌエル・プイグ。1990年、「ウォホールと同じ病気 で、胆嚢の手術を受け一度は回復したのに、その後すぐに心臓発作」で死去。享 年もほぼ同じ、58歳前後。(ウォホールは生年不詳、'87年死去。プイグは'32生 まれ)

彼は私がとても親近感を覚えた作家である。20年代前半、ローマのチネチッタ (1937年設立のヨーロッパ最大の撮影所。F.フェリーニの「インテルビスタの」 の舞台)に赴き、デ・シーカ、ルネ・クレマンらの下で助監督を務めたという事 はともかく、リオの自宅に「膨大なヴィデオ・コレクション」を所有していた事 など羨望を感じずにはいられない。特にB級映画を好んだ彼は、毎晩、スーザン・ ヘイワード、ラナ・ターナー、テレサ・ライトそして勿論、リタ・ヘイワースに まにえる事ができたのだ。

彼のシネ・フリークさは作品から明らかだ。処女作に、いきなり『リタ・ヘイ ワースの背信』とタイトルを付け、「抑圧された性からは抑圧された歓びしか得 られない」(「ブルータス」'83年2月15号、P.86)という謳い文句そのままの第3 作『ブエノスアイレス事件』では、往年の名画の1場面が各章の'epigraph'とし て使われ、そして第4作『蜘蛛女のキス』では、映画が物語の中に侵入する。

左翼ゲリラの闘士"バレンティン"と中年のゲイ"モリーナ" の2人だけの監房で物語が進展するこの作品では、モリーナが細大漏らさず1巻全 部語り切る映画が、過酷であると同時に、単調で退屈な現実から逃避する手段と して機能している。

かつて観た映画の女優達に自己を投影して、その役柄を生き、現実の自己と向き 合う事を避ける。それは、中年のゲイとして嘗めた辛酸を繰り返さないために身 につけた便宜的な生き方ではあるが、監獄という、慣れ親しんだ世界から隔絶さ れた場所で、自己と直面し、かえってその虚偽性に気付き自己崩壊を招くという 事から、彼を保護してもいる。たとえ幻想とは言え、一時的に彼の自己の安定を 保証する。あくまで現実を見据えて生きようとするバレンティンにとって、その ような映画との関わり方は嫌悪すべきものであった。が、モリーナの苦悩を知る につれ、次第に彼及び彼の映画に、共感とは呼べないまでも、憐み以上のものを 抱く様になる。

モリーナも、バレンティンとの関わりの中で、幻想的な生き方から一歩踏み出る。

2人は殻を脱ぎ捨てる。拷問に耐える支えとなったのは闘争への信念ではなく恋 人への思いであったと告白するバレンティン。自分が女優ではなく、大抵恋愛は 不首尾に終わり、それでも屈辱的に「待ち続けている」中年のゲイでしかないと 泣き叫ぶモリーナ。

2人の精神的結びつきは、映画『蜘蛛女のキス』で原作以上に見事に表現されて いる。

所長を欺き、御馳走を仕入れ(モリーナが紙袋の中から紅茶、缶詰の桃、ロース トビーフ、タバコ・・・と取り出す場面は感動的でさえある)満腹した後、映画 を語る。語り終わった時、2人は壁に寄り添って立ち、恍惚とした表状で宙を眺 めている。

モリーナの釈放前夜、2人は肉体関係をも持つ。『モーリス』程「グロテスク」 ではないものの問題点ではある。又、彼らの結びつきは真なるものだったのか、 2人に「新たな自己」を獲得させたのか。プイグは悲劇的結末でそれに答えてい る。が、プイグ自身、心の片隅で、B級映画的にそれに賭けた、と私は信じたい。 合掌。


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last Modified: Fri Jul 3, 1998

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