ワーズワスにおける普遍的愛

--- その自然愛について ---


増田 良隆



英国の生んだ最も偉大な自然詩人ワーズワスは、幼少から生涯を通じて大いなる自然に包まれて生活してきた。そのため彼は、「自分にとってハオは 'all in all' であり、自然に対して自分は 'lover' である。」と言っている。

このように彼は、自然に対して「愛」の感情を抱いている。そこで、彼の抱いた自然に対する「愛」について、『虹』の詩を用いて述べていくこととする。

この詩は、詩そのものが真の感情を歌い、感動的な心情をそのまま表現するものであるという、詩の本来の姿を明確に言い表わしている。

My heart leaps when I behold
A rainbow in the sky:
So was it when my life began;
So is it now I am a man;
So be it when I shall grow old,
Or let me die!
The child is father of the man;
And I could with my days to be
Bound each to each by natural piety.

空に虹を見る時
私の心は躍る。
私の人生が始まった時もそうであったし、
大人である今もそうである。
年老いた時もそうであって欲しい。
さもなくば、死んだ方がましだ!
子供は大人の父である。
そして私の人生が自然への敬愛により
日々密接に関係づけられ給う。

と、彼は雨あがりに大空にかかった美しい虹を見て、そのあまりの美しさに心躍る感動的な心情を歌っている。

この心躍る感動は、人間の生活経験の中で心に一点の曇りがなく、純真な心で万物を見ることの出来る幼少の頃に体験する。このような感動的体験の経験を通して、自然に対して『愛』の感情を表わしている。

しかし、この詩は人間に対する敬意を表わしている、と考えられがちな一行がある。それは、人間にとって豊かな人間形成の上で、最も貴重な体験をした子供を父として敬意を表わしている有名な一行、

The child is father of the man;

である。

しかし、一行一行の関連を考えると、この感情はむしろ自然に対する敬愛であると考えられる。子供は、あくまでも敬意の対象的存在にすぎず、純真な心で「虹を見て心躍った」感動を体験することが、すなわち純真な心で自然と接することである。つまり自然に対する敬愛の感情を表わしている。そして、この感情は洗札された清き心を意味し、熱き血の通った「愛」の文字に綴っている。

さらに、彼は大人になってもこの気持ちを持続させていきたいことを表わしている。それは、最後の2行と最初の6行との関連から考えると、 そして私の人生が(虹を見て心躍る)自然への故愛により
日々密接に関係づけられ給う。

となり、「愛」の持続を望んでいる。

そして、特に最後の一行、

Bound each to each by natural piety.

は、自然に対して本心から「愛」を抱かねば、自然詩人としての誇りにかけても、安易に表現出来るものではない。なぜなら、生涯を通じて 'each to each' 、つまり終生にわたって滞ることなく連続する「愛」を抱いていなければならないからである。

従って、彼の自然に対する愛は、純真な心で自然とふれあい、自然との絆を結び共存していくことを願っている。それは、まさに自然と一体になりたいというまでの、熱き血の通った愛であると考えられる。

参考文献
Wordsworth, William Poetical Works, Ed. Thomas Hutchison. Oxford. U.P., 1978.
原 一郎、『ワーズワス研究』、北星堂、1977.
添田 透、『ワーヅワス点描』、大阪教育図書、1977.

(武蔵工業大学付属信州工業高等学校非常勤講師・1981年卒)


The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Fri Nov 27, 1998

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