ウィラ・キャザーの『迷える夫人』
――フォレスター夫人の変容――

木下 恭子


 Willa Cather (1873-1947) の作品は、近年読み直しされること で新しい姿を見せている。そのことは『アメリカン・ライフヘのま なざし』で、「たとえばウィラ・キャザーはフェミニスト批評以前 からよく論じられてきた作家だが、現在では彼女の作品のなかのセ クシュアリティに関心が持たれ、『ひばりの歌』などにも新しい読 みの可能性が探られている。」(110) と記述されていることからも 明らかである。また、Cather の作品で女性の主人公は二種類のタ イプに分けられ、『迷える夫人』(A Lost Lady, 1923)(1) の主人公メ アリアン・フォレスター (Marian Forrester) は "the erotic, materialistic, and civilized lady, a kind of seductive Eve" (Sato 73) 「エロティックで物質主義を信仰し、知的で魅力的なイヴ」と表現 される女性と考えられる。

 本稿では、フォレスター夫人の下降線をたどる生涯をたどりなが ら、Cather の描いたフォレスター夫人という開拓時代の敗北を体 現する女性像について考えたい。『迷える夫人』をまず初めにあら すじからたどっていくことで、二ール (Niel) の視点から見た美と 献身の理想を夢見させたフォレスター夫人が、二ールを幻滅させる 女性に変貌する過程を明らかにして、一般的フォレスター夫人像を まとめてから、それが修正可能なものであることを検討する。そし て、フォレスター夫人のキャラクター分析をしていくことで、夫人 の外面と内面のずれを正していく。

                  I

 回想形式を用いた『迷える夫人』は、次のような書き出しで始ま る。

Thirty or forty years ago, in one of those grey towns along the Burlington railroad, which are so much greyer today than they were then, there was a house well known from Omaha to Denver for its hospitality and for a certain charm of atmosphere.(3)
(今から 3, 40 年昔のことである。バーリントン鉄道の沿線に ある灰色の町の一つに――もっとも今では、さらに二段と灰色 を増しているが――もてなしの良さとある種の魅力的な雰囲気 のために、オマハからデンバーにかけて、よく知られている邸 宅があった。)
1882〜1892 年の西部開拓が衰退する時期、ネブラスカ州の町外れ に広大で美しいフォレスター大尉の屋敷があり、曲がりくねって流 れる小川や浅い沼地が、この屋敷をとりわけ美しく見せる要因となっ ていた。ゆとりのある生活を送るフォレスター夫妻が暮らすこの屋 敷は、田舎町の人々には別世界のように思われていた。

 年々さびれゆくネブラスカ州の小さな町、スイート・ウォーター (Sweet Water) を舞台に主人公、メアリアン・フォレスターが12 歳の少年二ールを通して描かれる。Cather はインタビューで二ー ルについて、次のような定義を示している。
Neither is 'Neil' a character study. In fact, he isn't a character at all; he is just a peephole into that world. I am amused when people tell me he is a lovely character, when in reality he is only a point of view. (Merill 77)
(この作品で「二ール」の性格を研究しているわけではない。 実を言うと、彼は全く登場人物ではなく、ただ世界へののぞき 穴にすぎない。私は人々が彼は愛らしい登場人物だと言ってく れるのはうれしいが、本当は彼は視点にすぎない。)
つまりこの作品は二ールを登場人物の一人として重点をおいて読む よりも、フォレスター夫人の実像を通して衰退期の開拓時代を生き た女性の生涯を描いた作品という読み方を提案しているように私に は思われる。

 メアリアン・フォレスターは鉄道敷設業者である夫のダニエル・ フォレスター大尉 (Captain Daniel Forrester) よりも 25 歳も若 く、活力に満ちて華やかな雰囲気をもち、人々を魅了する力を身に つけていた。少年二ールにとって、フォレスター夫人は憧憬の対象 となる女性であり、偶像と位置づけられる存在である。5 歳で母を 亡くした二ールは美しく優雅な女性に憧れる気持ちが強く、フォレ スター夫人がそばにいるだけで心をときめかせる。キツツキを捕ま えようとして、ポプラの木から落ちて負傷した二ールはフォレスター 夫人に介抱されながら次のような感想をもらす。
He was in pain, but he felt weak and contented. The room was cool and dusky and quiet. At his house everything was horrid when one was sick.... What soft fingers Mrs. Forrester had, and what a lovely lady she was. Inside the lace ruffle of her dress he saw her white throat rising and falling so quickly. (23-24)
(苦痛を感じてはいたが、体は麻痺し、心は満足している感じ であった。部屋は涼しくて、薄暗くて静かであった。彼の家で は、誰かが病気になると実にひどいものであった・・・フォレ スター夫人はなんて柔らかい指をしているのだろう! それにま た、なんて気品のある美しい人なのだろう! 夫人のドレスのレー スの縁飾りの内側で、白い喉がとても速く動いているのが二ー ルの目に入った。)
二ールにとって、美しさとやさしさにあふれたフォレスター夫人は 憧れの女性であり、偶像としての夫人のイメージが徐々に作り上げ られていくことになる。

 社会の上層部に位置する「恵まれた特権階級」にあるフォレスター 夫妻は屋敷に住み、ボヘミア人の家政婦を雇い、毎年冬はデンバー やコロラド・スプリングスで過ごすという裕福な生活を送っていた。 それでは、フォレスター大尉とはどのような人物なのか見てみよう。
As Garber's fictional counterpart, Captain Forrester is a man of action, the first and last of the real constructive personalities who built the West and imbued it with their own strong impeccable sense of ethics. Handsome, capable, cultured, become wealthy through his own honest entrepreneurial efforts, and possessed of unimpeachable integrity, Forrester is idealized by Cather as a pillar of Western society. (Gerber 53)
(北軍の大尉であったサイラス・カーバーを小説の上でモデル とした、フォレスター大尉は行動の人であり、西部を開拓して 強烈で申し分のない倫理観を人々に吹き込む、最初で最後の本 当に積極的な人物である。ハンサムで有能で教養があり、自身 の正直な事業家としての努力によって金持ちになり、非難され ることのない誠実さを兼ね備えていた。フォレスター大尉は、 西部社会の中心としてキャザーに理想化されて描かれている。)
即ち、華々しい西部の開拓時代を体現する人物として、フォレスター 大尉が存在していることは確かである。また、鉄道敷設業に従事す る大尉は、開発事業を金儲けのために行うような利益追求を第一と 考えるような男ではなく、開拓の夢を達成するための重要な事業と 考えて取り組み、鉄道貴族となった偉人だ。

 しかし、衰退の道をたどる開拓者の時代が転換点となり、大尉は 肉体的にも経済的にも崩壊へ向かうことになる。フォレスター大尉 は落馬事故が原因で体をこわし、鉄道の仕事をやめざるをえなくなる。そして、大尉が肉体的に衰えるとフォレスター夫人は、背が高 く、肩幅が広い 四十男のフランク・エリンジャー (Frank Ellinger) と不倫の関係を持ち始める。二ールは早朝につんだ野バラで作った 花束を渡す目的でフォレスター夫人を訪ね、夫人とエリンジャーの情事を知ることになる。
This day saw the end of that admiration and loyality that had been like a bloom on his existence. He could never recapture it. It was gone, like the morning freshness of the flowers. (84)
(その日をもって、彼の人生の中で咲き誇っていた、一つの美 しい花とも言うべき、夫人に対する賛美と忠誠は終わりを告げ た。二度と取り戻すことはないであろう。それは消えてなくなっ たのだ、あの花々の朝の新鮮さのように。)
二ールは、尊敬すべき大尉の貞淑な妻として理想化してきた夫人の 実像を知って失望してしまったのである。そして、二ールは激高し て野バラの花束を泥水の中に捨ててしまい、夫人への憧憬の気持ち を失う様子が示されている。

 さらに、財政上の打撃が起こり、フォレスター大尉が頭取をして いたデンバー市の銀行が破産し、誠実な大尉は私財を手放すことで 預金者に元金を返済した。心労がかさなった大尉は、スイート・ウォー ターに戻ってから脳卒中で倒れてしまう。フォレスター大尉が経済 的にも肉体的にも崩壊したことで、夫の財力のもとで裕福な暮らし をしてきた夫人の生活設計が狂ったことは確かである。フォレスター 夫妻の暮らしにおける変化については、次章で述べたい。

                U

 フォレスター家の美しい沼地は埋め立てられ、アイビー・ピーター ズ (Ivy Peters) が小麦畑にしてしまい、夫妻はアイビーの支払う 借地料に依存することになる。即ち、時代は新しい物質主義世代へ 向かい、フォレスター大尉に代表されるような開拓者世代よりも成 り上がり者のアイビーが権力をもつという世代の変化を受け入れて いくことがフォレスター夫妻に求められたのだ。そして、二ールが 美しい沼地がなくなって寂しくないかとフォレスター夫人に質問す ると、
"Not much. I would never have time to go there, and we need the money it pays us. And you haven't time to play any more either, Niel. You must hurry and become a successful man. Your uncle is terribly involved. He has been so careless that he's not much better off than we are. Money is a very important thing. Realize that in the beginning; face it, and don't be ridiculous in the end, like so many of us."(113)
(「大してないわ。あったところで、出かけるような暇など全然 ないし、それに今の私たちには、あそこから上がる地代が必要 なのよ。それから、あなただって、もう遊んでいるような暇も ないでしょう、二ール。早いとこ、成功しなくちゃ駄目よ。あ なたの叔父さまも財政的には大変なのよ。たいそう無頓着な方 でいらしたので、暮らし向きは私たちと大して変わらないの。 お金というのは、とても大切なものなのよ。まず最初にそれを 理解すること。それを見据えて、最後は馬鹿を見ないようにな さい、私たちの多くが体験したようにね。」)
と答える。この場面で、フォレスター夫人は物質主義を信仰して、 お金を第一と考えていることが露呈するのである。社会で生き残る ためには、金銭面で優位に立つべきだとフォレスター夫人が信じて いたことが示唆されたのだ。即ち、フォレスター夫人は経済的に 恵まれない生活になっても、その環境に安住するのでなく、何とか そこから抜け出そうとして変化に順応して前向きに行動する、たく ましい精神力の持ち主であることは確かである。
Mrs. Forrester had been quickening her pace all the while. "So that's what I'm struggling for, to get out of this hole," she looked about as if she had fallen into a deep well, --- "out of it! When I'm alone here for months together, I plan and plot. If it weren't for that---"(125)
(先ほどからずっと、フォレスター夫人は歩調を速めていた。 「だから、私があがいているのも、そのためなのよ。この穴か ら抜け出すためにね」まるで深い井戸の中に落ち込んだかのよ うに、夫人はあたりを見渡した。「抜け出すのよ! どこにも行 けなくて、ここにずっと何ケ月も居る時には、いろんな計画を 立てて、策を練るのよ。そうでもしないことには」)
この場合、フォレスター夫人が吐露したこの単調な閉ざされた世界 から抜け出して、カリフォルニアヘ戻り人生が楽しめるだけの経済 力を取り戻そうとする野心は、フォレスター夫人のこの先の運命を 既に象徴的に示しているように思われる。即ち、彼女は大きく広がっ た外の世界へ躍進しようとする野望を持った、革新的な女性と見な すことができる。

 まもなく、フォレスター大尉は二度目の脳卒中を起こし、亡くな る。大尉という心の支えを失ったフォレスター夫人はどう変貌した のだろうか。
It was Mrs. Forrester herself who had changed. Since her husband's death she seemed to have become another woman. For years Niel and his uncle, the Dalzells and all her friends, had thought of the Captain as a drag upon his wife; a care that drained her and dimmed her and kept her from being all that she might be. But without him, she was like a ship without ballast, driven hither and thither by every wind.(154)
(「しかし、変わってしまったのは、他ならぬフォレスター夫人 の方であった。大尉の死後、夫人はまるで人が変わったように 思われた。長年、二ールも叔父もまたダンゼル家の人々も夫人 の全ての友人も、大尉が夫人の重荷になっていると考えてきた。 大尉という苦労の種を背負い込んでいるために、夫人は精魂を 使い果たして、色あせた存在になり、身動きのとれない状態に 陥っているのだと考えてきた。ところが、大尉がいなくなると、 夫人はまるで底荷を積んでいない船のように、風の吹くたびに あちらこちらに吹き流される人間となった。」)
即ち、フォレスター夫人が、大尉から「束縛」されていたかのよう な妻としての立場は、言葉を換えれば「保護」されていたわけであ り、従って大尉を失ったことは彼女の人生の安定が崩壊した瞬間で もあったのである。

 そして、アイビー・ピーターズを頼って小金を投資したり、顧問 弁護土をポメロイ判事 (Judge Pommeroy) からアイビーに変え るなど今までの人間関係を断ち切って、拝金主義の新しい時代の価 値観をフォレスター夫人は受け入れたのだ。大尉がいる時までは保 ち続けて来た外見上の「従順さ」を投げ捨て、因習的価値観からの 脱却をはかったと言えよう。しかも、挙げ句の果てにはアイビーに 身をまかせるまでに堕落してしまう。こうして、開拓者の黄金時代 は終焉を迎えたのである。
This was the very end of the road-making West; the men who had put plains and mountains under the iron harness were old; some were poor, and even the successful ones were hunting for rest and a brief reprieve from death. It was already gone, that age; nothing could ever bring it back.(172)
(西部に鉄道を敷設する時代は、今や終焉を告げたのだ。平原 や山々を鉄の馬具の下に治めてきた男たちも今や年老いた。あ る者は貧しく、また成功した者でも休息を求めたり、死を前に して短い余命の延長を求めていた。あの時代はもう終わったの だ。何物をもってしても、取り戻すことは不可能であろう。)
結局、フォレスター夫人はアイビーに裏切られ、南米のブエノスア イレスで年寄りのイギリス人、ヘンリー・コリンズ (Henry Collins) と再婚して生涯を終えることになる。これまで見てきた のが一般的フォレスター夫人像であり、次章では夫人の外面と内面 のずれを修正してフォレスター夫人の生き方について考えたい。

                  V

 二ールの偶像としてのフォレスター夫人が、エリンジャーとの情 事が発覚したことで崩壊したのは確かである。エリンジャーのこと で再検討してみると、二ールの視点からはエリンジャーにいい印象 をもつことはできない。そして、二ールの視点から描かれたフォレ スター夫人像を訂正すると、そこに肯定的な夫人の姿が浮かび上が ることは明らかだ。なぜなら、フォレスター夫人は未亡人として安 住の立場で満足するような保守的な女性ではなく、自ら失敗を恐れ ることなく行動を起こすからである。フォレスター夫人にとって、 エリンジャーの存在はどのような意味をもつのだろうか。周囲から あこがれのまなざしで見られていたフォレスター邸の屋敷の中は、 外面と内面のずれがいちじるしく、その中には空虚で、汚れた台所、 すり切れた絨毯、色あせたカーテン、旧式の家具があるだけであっ た。このがらんとした家で、25才も年令差があり、体が不自由に なったフォレスター大尉との生活を維持していくことを考えれば、 夫を支える妻としての役割を保つためには、エリンジャーと秘密の 関係をもつことは夫人にとって必要だったと評価できるのである。 そして、未亡人の立場に身を置いて、孤独に絶望して新たに人生を 歩み出すことを断念してしまうことは簡単かもしれないが、それは また弛緩、退廃に他ならない。しかし、フォレスター夫人は未亡人 として田舎町に閉じ込められた生活をするのではなく、幸せを勝ち 取るために大尉の死後お金に執着する貪欲さを見せ、そのため同じ 考えの持ち主、アイビーに近づき情事の末裏切られ、南米で資産家 のイギリス人と再婚するという、当時の女性にとって人生最大の目 的であり、自分の究極の幸せを手に入れることのできる結婚をふたたび選んだ。『新大陸の女性たち』によると、
1820年から1860年にかけての時期は、”女らしさの尊重”の 時期であって、女性の理想は、信心深く、貞節で、従順で家庭 的であることに求められた。男性の活動の範囲が拡大していっ た時代に、女性の領域は狭められていったのである。(120)
そして、
1890年において、既婚かつ現に夫をもつ女性のなかで仕事を もっていた女性は、わずか5%たらずであった。また年齢的に みるならば、20代前半の女性の30%、10代後半の女性の25% が職をもっているが、それは他の年齢層ではごくわずかだった のである。(220)
だとすれば、1890年において女性の勤労率は低く、女性の自立を はばみ、結婚という選択肢しか与えられない男性中心の社会ではフォ レスター夫人が再婚という道を選んだのは当然と考えるのが自然で はないだろうか。そして、フォレスター夫人は大尉の死後自らの人 生を積極的に選択したと解釈できると、John Hollander は次のよ うに明示している。
Mrs. Forrester is far from "lost," if we take the title to denote a lady bewildered, a lady who has lost her way or her condition. It is Niel Herbert to whom she, and her state of ladyship, are lost, and he who is forlorn, while she ends her life in wealth and only faintly clouded dignity.("A Lost Lady", Modern Critical Views, 172)
(「私たちが方向や状況を見失った夫人として、迷える夫人とし て題名を解釈するべきかどうか考えると、フォレスター夫人は 少しも道に迷ってしまったわけではない。二ールにとって、夫 人の貴婦人らしさが失われただけなのだ。彼は孤独であるが、 一方で夫人は裕福な人生を送り、気品がかすかに汚されただけ だった。」)
二ールの視点から、フォレスター夫人が彼の理想から幻滅へとた どった過程を再検討していくことで、美徳の中に生きる善からマモ ニズムにとりつかれた悪へと変わっていったかのようなフォレスター 夫人は、貞操を守らない、フォレスター大尉との思い出の中で一生 を終えようとはしなかったという面で、悪女のように捉えられてい た。しかし、フォレスター夫人は過去の栄華を振り返らず、自ら未 来を見通して開拓者の華々しい時代が終わりを告げる中で、したた かに生き抜いたという新たな知見が加わることで、『迷える夫人』 はフォレスター夫人の精神的な堕落の物語としてでなく、美しい思 い出の世界にとどまるよりも前向きに生きることを選んだフォレス ター夫人の生き方を描いた作品として読まれるべきなのである。


(本稿は、2000年10月21日の日本英文学会中部支部第52回大会 における口頭発表の内容に加筆し、修正を加えたものである。)




1. テキストは、A Lost Lady. Knopf, 1978 を使用した。文中訳は『迷え る夫人』(桝田隆宏訳、大阪教育図書)による。

2. 「近代ヒューマニズムが生み出した「人問」は、理性的、自律的、安 定した、統一的主体であった。フェミニズムは、このような人間は実 際には男であって、女には男と同じ主体性、自律性を認めず、より肉 体的存在として蔑視されてきたことに抗議してきた。
男=主体、精神、理性、文明、自然の支配、光、知、分析、抽象、近 代市民、権利主体、能動性、独立
女=客体、肉体、非理性、自然、大地、暗、無知、未知、直感、具体、 非市民、非権利主体、受動態、依存
というように延々と続く二項対置および上下化の解体をめざしてきた。」 (ホーン川嶋瑶子「フェミニズム理論の現在:アメリカでの展開を中心 に」『ジェンダー研究』第3号 (2000):58-59.)と指摘されるように、 男と女の枠組みにはまった見方には限界があり、男と女を正しく認識 する障害となってきた。この枠組みを切り崩すことで男女の新たな見 方が展開するのであり、フォレスター夫妻の場合も大尉=主体、夫人= 客体という関係から解放することで新しい解釈が生まれると思われる。

引用文献

Cather, Willa. A Lost Lady. New York: Knopf, 1978.
Gerber, Phillip. Willa Cather Revised ed. Boston: Twayne, 1995.
本間長世編『新大陸の女性たち』評論社 1976.
Hollander, John. "A Lost Lady," Willa Cather, Modern Critical Views, Ed. Harold Bloom. New York: Chelsea, 1985.
Merill, Flora. "A Short Story Course Can Only Delay: It Cannot Kill an Artist, Says Willa Cather," Willa Cather in Person: Interviews, Speeches, and Letters. Ed. L. Brent Bohlke. Lincoln: University of Nebraska Press, 1986.
Sato, Kazuko. "The Lady and the Male Perspective: Willa Cather's A Lost Lady" Sophia English Studies. 15 (1990): 73-85.
瀧田佳子『アメリカン・ライフヘのまなざし』東京大学出版会 2000.
ウィラ・キャザー著、桝田隆宏訳『迷える夫人」、大阪教育図書、1998.
 
The Chukyo University Society of English Languageand Literature
Last updated: Friday, April 13, 2001

Previous