許されざる人生逃避――ウォートンの中期作品と倫理観

加藤 くに子


  Edith Wharton: A Biography (1975) を著した R.W.B. Lewis を筆頭に、Edith Wharton (1862-1937) の倫理観は多くの評論家 の認めるところとなっている。 もちろん反論が無い訳ではなく、  Potrait of Edith Wharton (1947)  の著者  Percy Lubbock は、 その点に関して高い評価はしていないし、Barbara A. White にいたっ ては、ウォーンの「倫理観は文脈上のことだ」(White 80) とまで言 い切っている。本稿では「ウォートンは倫理観の強い小説家である、 すなわち、社会的のみならず精神的な面でも倫理観のある作家で、 人生でも芸術においても宗教的、倫理的、哲学的な意味を捜し求め た女性だ」(x) という Carol J. Singley の解釈を援用しつつ、その倫理 観を下敷きに、ウォートンの人一倍激しい感情が吐露されていると 考えられる "The Choice" (1916) を取り上げ、人生の皮肉と生きる ことの難しさを通して見えてくるウォートンのメッセージを解き明 かしたい。これはウォートンの倫理観と現実否定の強い衝動とのぷ つかり合いから生じる困難な状況を作品に転換した典型的なもので、 主人公 Isabel Stilling は、本心と現実逃避の感情のせめぎ合いの中 で悩み、彼女の最も嫌悪する方向に運命が進む物語でもある。Shari Benstock は、この作品はウォートン自身の結婚に対する無力感、 憤怒、罪悪感、無益性といった感情を作品に転嫁したものだと語っている。 (186) 1908年に月刊誌 "The Century" に掲載されながらも、単行 本としての出版は1916年まで待って、Xingu and Other Stories に 収められたという経過にその真偽の程が伺える作品である。

 本稿ではまず、主題を浮き彫りにするために物語を概観し、次に、 作品に込められた意図を模索し、さらに、その背景を成すウォート ンの結婚観を探求し、最後に、執筆当時のウォートンの生活状況を 考察することによって、ウォートンのメッセージを解明していきた い。

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 イザベルは実業家で自己本位の夫 Cobham Stilling に憎しみを抱 き、夫の死を願いつつ、恋人である理知的な弁護士 Austin Wray ford との逢瀬で精神的均衡を保っている。心底に抱く感情は次のよ うなものだ。

毎日毎日、毎時間毎時間、私は彼の死を願うの。彼が外出すると、私は 何か起こることを願うわ。彼が帰ると自分にこういうの。「あなたは、ま たそこに居るの」って。事故で死んだ人の話しを聞くと、私は思うの。 「なぜ、あの人がそこにいなかったの」って。新聞の死亡欄を見て言うの よ。「誰々はちょうどあの人の年だわ」って。彼が健康や日々の食べ物に すごく気を使うのを見ると――あなたもご承知のように、彼は健康に気 をつけているわ。もちろん、無謀なことも、大酒を飲むときもあるけど ――そして、彼が運動をしたり、休憩したり、ある種の食べ物しか口に せず、体重を測り、筋肉をつけ、一定の体重を保っていると自慢してい るのを見ると、過労によって死ぬ人のことや、大義名分の為に自分の命 を棒に振る人のことを考えて独り言を言うの。「自分のことだけを考え る男を、何で殺すことが出来るだろうか」って。そして、来る夜も来る 夜も、あの人が死ぬ夢を見るかもしれないと怖くて眠ることが出来ない の。その夢を見て、目覚め、あの人がそこに居れば、状況はいっそう悪 くなるの。(16)

このような激しい感情を抱きながら、日々の生活は平常に営まれ、 スタイリング家のパーティーの場面で始まる物語では、コーバムの 話しにあきあきしながらも、彼女は控えめに部屋の隅で刺繍をして いる。しかし、イザベルの精神状態は閉塞状態にあった。「女達の人 生は、社会のあらゆる層であまりにも長い間、抑圧と幻想の中にあ り、女の活力は他人に尽くすように訓練され、それだけのために吸 い取られてしまっていた」(0WB 246-7) という社会状況のもと で、コーバムも妻に、「今夜はどうしたんだい君は一度も瞼を上 げなかったね。あの人達を僕が楽しませている間中、僕を放ってお いたよね」(6) とパーティーでの妻の接客態度の悪さをなじる。夫 に憎しみしか持てなくなったイザベルは、当然夫の希望通りに尽く すことは出来ない。その冷淡な態度は、コーバムの母親も気づくほ どになっているのだが、夫にはわからない。

 その夜、モーターボートに夢中になっているコーバムが、酒に 酔って船の点検に来たところで、誤って暗闇の湖に落ち、たまたま そこに居合わせたイザベルと密会中のレイフオードが救助のために湖に飛び込む。 イザベルはオールを使い必死に溺れかけている二人 を助ける。精桓尽きて解ったことは、レイフオードは死に、コーバ ムが助かったことだ。

 この出来事で、イザベルにはそれまでの苦悩からの救済の道が閉 ざされ、これからは苦痛に満ちた悔恨だけが残ることになる。 Simone Weil によると、苦悩と苦痛の違いは、「苦悩も痛みを持つ が、成長と理解に発展していき、苦痛は何の目的も無く、無限に長 い間抑圧され、重い石をかついで中庭を行ったり来たりさせられる だけの奴隷や強制収容所の囚人の状態だ」(0WB 158) という。 苦悩には解決策としての光があるが、苦痛には闇しかないとい うことだ。イザベルは昨日までは苦悩していた。しかし、今後は苦 痛だけの人生が永遠に続くのだ。彼女の「今日と昨日の間には、越 えられない深淵が据えられた」(Shari 154) ということになる。 もちろん、イザベルには、コーバムを憎悪しながらそこから脱却 できない理由があった。息子にとって、コーバムは良い父親である ことが一つであり、もし自分がこの家を去れば、コーバムの母親の 生活が維持できなくなり、プライドの高い義母はイザベルには助け を乞わないであろう、ということがもう一つの理由だ。しかし、妻 の財産を管理しているコーバムが投機に失敗し、イザベルや母親の 財産まで無くす。このように苦悩に満ちた人生選択の瀬戸際で精神 的に息詰まっていたイザベルに、この事件が起きたのだ。彼女は恋 人の死亡で心の拠り所を失うのみならず、あらゆる逃げ場まで永久に 失ってしまうのである。

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 ここで、本作品の書かれた3年後に出版された Ethan Frome (1911) ――ニューイングランドの寒村を舞台に、イーサンと妻 ジーナと恋人マティという三角関係にある三人の共同生活を、回想 記として24年前に戻してその発端から語る作品――と関連付けて 「選択」の論考を試みたい。なぜなら、悪しき夫婦関係、現実逃避の 失敗、ウォートンの精神状態の投影と極めて類似点が多いためであ る。もちろん、表面的には男女を入れ替え、職種を変えてはいるも のの、言わんとすることには共通性がある。イーサン・フロムは現 実生活で夢を適えることが出来ないことが解り、恋人のマティー・ シルバーと心中を試みるが失敗する。イザベルは夫を、イーサンは 妻をというように正反対の設定ながら、伴侶へ激しい憎しみを抱 き、そのような生活からの脱却を希求している構図は共通してい る。

 イザベルは夫の死を日夜願い、イーサンは自殺による己の抹殺を 試みるが、二人の思いは受け入れられない。それのみならず、前者 は偶発的事故によってではあるが、誰よりも大切な恋人を死に追い やることになり、後者は恋人を身障者にし、本人も深い傷を負う。 両者の傷の深さを比較するつもりも、 その必要もないが、本人の思い と正反対の方向に結末を持っていくところにウォートンの意図を 読み取ることが出来る。現実を肯定できない場合、逃避手段を模索 するのが人の常であるが、現実逃避は許されないばかりか、逃避へ の邪悪な想念すら否定され、その報いが必ずくるというウォートン の信念が悲惨な結末に凝縮する。

 イザベルは生きる灯りである恋人を失い、自責の念にさいなまれ ながら後半生を送らねばならない。経済的に困窮しているとはい え、イーサンは通常では一緒に暮すことが出来るはずの無い関係 の、妻と恋人と共に暮さざるを得ないのだ。この結末に極めて興味 深い対照がみられる。

 イザベルの場合は、外見的には何も失っていない。夫を救った健 気な妻として、経済的に多少の破綻はあるにしても、二人の生活が継 続することは間違い無い。彼女の本心は亡き恋人が知っているのみ で、他の誰も知らないのだ。かくして、感情を心の中に押し込んだ ままのイザベルの日常生活が始まる。すなわち、「嘘をつくのは言葉 でだが、沈黙でそうすることもある」(LSS 186) ということだ。イ ザベルは恋人のことは夫に語らなかった故に、この事件後は当然話 すことが出来なくなる。従って、語らないということだけで嘘を立 証しているのだ。しかし、「嘘つきは、言いようの無い孤独の生を生 きている」(LSS 191) わけで、今後のイザベルの人生には、苦痛と悔 恨と孤独しかない。もし、「一旦自分の人生を自分で引きうける、自 分自身への責任がある、という気持ちを持ち始めたら、私達は決し て古い受身の生き方に満足することはできない」(LSS 234) はずな のだが、ウォートンはイザベルの今後の人生選択については言及し ていない。 これは、「ウォートンは倫理的な問題の取り扱いにおい て、教訓的でも強制的でも断定的でもない。それどころか、彼女は ためらいがちに見えるほど慎重なのだ。すなわち、彼女は大声を張 り上げるというよりむしろ問いかけをするのだ」(Singley x) とい うことの証明であろう。なぜなら、本人も The Writing of Fiction (1925) で、「良い主題には私達の倫理的経験の光を放つ何らかのも のが含まれねばならない」(24) と語っているからだ。

 これに対して、イーサンの場合は、自殺未遂後の肉体的損傷と極 貧生活は誰の目にも明らかである。悲惨さの極みが描出されている かのように見えながら、「フローム家の人は丈夫にできているから ね。イーサンなんか百まで生きるだろうさ」(EF 12) と村人が言う ように、この後何年も生き長らえるであろうことが示される。この 村人の言動に留意したい。希望が無く、経済的に困窮していようが、 まだまだ生きることが出来る状況は、本当に悲惨なのだろうか。24 年前の自殺未遂は、当時は悲劇であった。しかし、現在外見は如何 に悲惨であろうと、内面は浄化されているのではなかろうか。長い 苦痛の日々を耐えることによって、苦痛が苦悩に変わり、経済的に 報われることはなくても、精神的にその苦悩を克服し、新しく生き る力を獲得していったのだ。そうでもなければ、他人の目にもイー サンの生命力の強さが伝わるはずがないではないか。その証拠に、 生きるためなら自分の本業以外にも、誠実に必死に仕事をこなす様 子が、作品で示されている。(14-25)

 こうして考えてみると、イザベルとイーサンとは男女の違い、死 を求めた方向性(相手の死と自分の死)の違い、事件後の外見的違 いと様々な相違はあるものの、現時点で見えているもの、溺死を免 れた実業家の妻としてのイザベルと、貧困に喘ぎ、身体的には深い 傷跡を残すイーサンとは、内面生活においては、完全に逆転してい ることが解る。

 事件の前は、イザベルには人生の選択肢――夫と子供を残して恋 人のもとに走る、現状を維持しながら恋人との逢瀬に命を繋ぐ、夫 の死を待って息子と義母の生活を見ながら恋人と人生をやり直す、 等々――があり、苦悩していた。しかし、恋人が死んだ今、彼女に は憎悪の対象でしかない夫のもとに留まる道しか無いのだ。精神的 には絶望の縁に立っていようが、誰もその事実を知らず、また誰か に語ることも出来ない。夫へ憎しみを抱いた、その罰を受けるかの ような長く過酷な生活が待っているのみだ。これに対して、イーサ ンは、極貧生活に喘ぎ、額に大きな傷跡を残し、足を引きずってし か歩くことはできないというのに、長い苦悩の年月を耐えることに よって、精神的に次第に癒され、現在すでに心の平安を手に入れて いるのだ。

 従って、この二作品でウォートンが伝えたいことは、第一に、与 えられた人生を回避したり、逃避したりすることは許されない、と いうことであり、第二は、実質的行為でなくとも邪悪な想念を抱け ば、必ずやそれに対する報いがあるということであり、第三は、生 きるということは、自分との対決であり、外見がどのようであろう と精神面で納得のいく生き方をしなければならない、ということな のだ。

 第一の問題に関して、イザベルは、コーバムとの関係を修復する 努力を回避し、レイフオードのもとに逃げるという人生逃避を考 え、イーサムは、ジーナと立ち向かうことを回避し、マティとの心 中という人生逃避に走るが、共に失敗する。すなわち、この世に生 を受けた以上、生きることは義務であり、それが如何に過酷なものであろうと、拒否したり、 放棄したりすることはできないとウォー トンは語るのだ。自分の思い通りにいかないことが出てきても、そ れは受けて立つしかないのであり、「見る目、聞く耳を持つ人には、 目に見える世界は日々奇跡がある」(BG 379) のだから、目を開き、 耳を澄まして奇跡を見つけるように努めねばならないと言っている のだ。第二に関しては、イザベルは死を願うほど憎悪を抱くコーバ ムを助け、命より大事な恋人を失う。憎しみという負のエネルギー が強力に働き、彼女の切なる願望を飲み込み、無残に打ち砕く。 イーサムはジーナを憎み、マティとの出奔を考えるが、不可能と解 ると、心中を試みる。しかし死が適えられるかと思われた瞬間、 ジーナの顔が目の前をよぎり、失敗する。さらに、その心中事件の 後、しばらくはジーナに世話を受ける結果となる。このように、 ウォートンには想念が実体を生み出し、想念が現実世界を形成して いくという観念があったようだ。それが、負の方向性を持てばより 強力に実体化し、それがいわゆる罰であるとでもいいたげな筋 の運びになっている。第三は、イザベルは外見的には何の支障もな く生活は継続するだろうが、精神的ダメージは大きく、立ち直るこ とが出来るかどうかはわからない。これから終わりの無い精神的葛 藤、すなわち、自分自身との対決が待っている。それに比べると、 外見的には極めて悲惨なイーサンは、精神世界においては長い逡巡 の末手に入れた調和に満ちた平常心で、淡々と日々を送っている様 子が描かれている。「人生のどんな重大な描写でも、表に現われる出 来事によってではなく、作家の考えるそれぞれの作品の意図によっ て判断しなければならない」(V 345-6) とウォートンが語るよう に、人生においては、内面生活こそ重要なのだということになる。

 ウォートンの意図する上記三点の底辺に流れているものは、彼女 の強固な倫理観である。その源泉は、もちろん、彼女の宗教的関心 の深さである。キリスト教の影響は、多かれ少なかれアメリカの作 家にはあるとはいえ、ウォートンの場合は、信奉する宗派の戒律に 従った単なる倫理観というものではなく、「むしろそれは決して破 ることが出来ない教養に裏打ちされた社会秩序なのだ」(221) とル イスが語るように、「カルビニズムからカトリックまでを含むキリスト教、 古典的思想及び古代宗教、現代哲学、これらのものが全て、複雑に 急速に変化するアメリカ社会の基盤の中に組み込まれてできあがっ たもの」(Singley xi) なのである。さらに、「ウォートンの宗教的、精神 的、哲学的事柄の把握の仕方は、深く広範であった」(xii) とシング レイは説明する。その証拠は、「ウォートンの書斎にはどんな本より も宗教関係のものが多かった」(Lewis 510) という事実でも、ウォー トンの「宗教的、哲学的問題への生涯にわたる関心」(Singley xi) は証明されるであろう。

 イェール大学バイネッケ図書館に保管され、1968年までは未 公開であったウォートンに関する大量の資料を検討して編まれた『イー ディス・ウォートン伝』で、ルイスは、Morton Fullerton との恋愛を 暴露したり、娘と父親の近親相姦を描いた断片である "Beatrice Palmato" を掲載して世に衝撃を与えた。しかし、それまでの 上品で倫理観の強い上流階級の女性というウォートンのイメージを 完全に払拭させることは無かった。人間性の幅の広さと、人一倍豊 かな、そして強烈な感受性の持ち主であることは明らかにされたが、 ウォートンの倫理観については、全面的に否定されるには至らな かったのである。

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 イザベルやイーサンは配偶者を憎悪する。では、ウォートンは配 偶者を、そして、夫婦間の相互理解を、どのように考えていたので あろうか。結婚当初のわずかな生活記録を除けば、夫や結婚生活に 関して、自伝 A Backward Glance (1934) においてさえウォートン は余り語らない。相互理解は、人間関係全てに亘って必要なことで あるが、生活の基本になる最も重要なものが配偶者とのものであろ う。本人が語らぬ以上、作品から類推してみるしかない。

 結婚に関しては、「教えられてきたような安全な停泊地ではなく、 海図の無い海を旅する航海のようなものだ」(AI 43)  という概念が ウォートンにはあり、夫婦が完全に理解し合える間柄だという認識 は無いようだ。彼女は大多数の人の結婚について、「物質的、社会的利 益をもとに一方では無知、他方では偽善によって結ばれた退屈な関 係」(AI 44) だと考え、二人が余りに似ているということに対して は、「彼女とヴァン・デル・ルイデン氏はあまりにも一心同体に見 えるので、アーチャーは時々、40年息の合った結婚生活を送ってき たこれほど融和した二人の人間が、話し合いとか議論ができるほど 違った意見を持つことがあるのだろうかと考えてしまう」(AI 52) と疑問さえ投げかける。夫婦は理解し合えないのが当然とでも言い たげな表現が小説には頻繁に出てくる。夫への不満の一例は、「手の 届くすぐ近くに、宝と驚きが一杯の部屋があるのに、男性の目はそ れを見ず、従ってその足が部屋に踏み入ることは無い。扉の取っ手 を見つけさえすれば、そこに入って住むことが出来るのだが・・・」 (FL 14) とあり、結婚生活で妻が本心を閉じ込めている様子は、 「恐いわ、恐いのよ。窓の無い地下の穴にずっと隠してある私の本当 の声を聞くのが・・・」(LR 224)  と語られる。さらに、「もし結婚が、 無知故に結ばれた負債をじっくりと一生かけて返すものならば、そ れこそ結婚とは人間性に対する犯罪行為である」(R 175) と、ここ までくると結婚制度に対する敵愾心さえ感じられる。

 もちろん、ウォートンが生まれた19世紀のニューヨークの上流 社会は、父権性の伝統的因習が女性の生き方を縛り、働くことも自 由な生き方も選択できる状況下には無かった。さらに、「彼女の社会 的に有名な両親、George Frederic Jones と Lucretia Stevens Rhinelander Jones は、このような社会の保守的な価値観を持つ典 型的な人達だった」(Erich 16) のである。19世紀後半の社会史的側 面は、The House of Mirth (1905) や The Age of Innocence (1920) において詳細に描出されている。さらに、女性は「社会のあらゆる 層で余りに長い間、抑圧と幻想の中にあり」、それは歴史的に見る と、「私有財産制と奴隷制の始まりと一致する」(OWB 110) 時代か ら続く社会全体を支配してきた概念だったと Frederick Engels が 見ているように、夫婦間の平等な関係は存在していなかったのだ。 ということは、夫婦における相互理解という概念さえ新しいこと で、妻の自我の発露は長いことどこにも無かった。

 イザベルは暗闇の海から自分が救い上げたのが夫だとわかると、 「突然、同じ黒い奈落が目の前に口を開け、自分がその中に深く落ち 込んでいく感じがした」(AI 187) と、その落胆は極限に達する。「妻と夫 の絆は、隆盛の場合には破ることが出来るとはいえ、不幸に見まわ れた場合には解消できないような気がする」(AI 274) というウォー トンの倫理観からすると、溺死を免れ、財産を失った夫と別れる道 は閉ざされたことになる。残された道は、あてどもない苦痛と孤独が支配する 生活だけだ。

 結婚に対するウォートンのこの悲観的な考え方は終生変わらな い。結婚に対する憧れや、結婚によって幸福を掴む、といった図式 は存在しないに等しく、『歓楽の家』のリリー・バートは結婚しなけ れば生きてはいけないのに、心底で結婚を嫌悪しているが故に幾多 の機会を逃し、孤独に死んでいくことになる。しかし、結婚を積極 的に求め努力する作品が無いということではない。The Custom of the Country (1913) と "The Other Two" (1904) がその好例である。 しかし、愛情に基づく結婚というよりは、経済的豊かさを求めての結婚 で、アンディーン・スプラッグとアリス・ウェイソーンは、愛情の 何たるかを知らない、環境への素早い順応力を持っ怪物的存在とし て描かれていて、ウォートンの例外的な作品にすぎない。

 では、ウォートンのこの悲観的結婚観はどのようにして育まれた のであろうか。生まれつきの性格、母親との冷たい関係、自分の結 婚の失敗、鋭敏過ぎる感受性、豊か過ぎる知性と実務能力(生活力、 経済力、決断力)、と諸々の要因が考えられるが、結局はそれら全て の複合作用によるものであろう。

 幼年時代のウォートンがどのような少女であったかというと、 「イーディスは本来内気であった」 と同時に、  「ある名状しがたい恐怖感を持っていた」(Lewis 24) ということである。彼女が敬愛する「父 親でさえ、その恐怖感から彼女を守ることは出来なかった。彼女は 夜灯りを点し、子守りの女性と一緒でないと眠ることが出来なかっ た」(Lewis 25) ということに加えて、「深刻な神経障害」や「恐怖 の発作」(Erich 19) もあったということだ。Cynthia Griffin Wolff もウォートンには、「幼年時代における信頼感の欠落感から受け継 がれた悲観主義的感覚」があり、「この悲観主義がウォートンに不幸 な女性の苦境を探求するよう導いたのだ」(97) と語っている。すなわち、 生まれつき具わっているものに加えて、母親との確執が後々まで尾 を引き、結婚観においても悲観的なものが色濃く出たと考えられ るのだ。

 この母親との関係はウルフのみならず、 Gloria Erlich も指摘す る点で、 乳母からは豊かな愛情を受けたが、「彼女の心には母親は存 在しなかった」(17) と言っている。ウォートンの幼年時代における母親の 思い出も漠然としたもので、装飾品や服装の記述だけが際立ってい る。(BG 26) 「社会のあらゆる基礎である人間関係の絆の中で も、本質的なのは母親と子供を結ぶものだ」(OWB 113) というこ とで、「母親にとって娘を失うこと、娘にとって母親を失うことは、 女にとって本質的な悲劇だ」(OWB 237) といわれるほど母親と娘 の絆は強いものであるはずなのに、ウォートンの場合は違ってい た。 「父権性のもとでは、典型的に母親の生命が子供と引き換えに なった。別個の存在としての母親は、自分が産む子供と対決する運 命にあるようだ」(OWB 166) ということのためであろうか、母親 が37歳で授かったイーディスは、母親にとって「喜ばしからざる驚 き」(Wolff 12) であり、愛情を注ぐ対象ではなかったようだ。 この母親不在感と母親の保守的で厳格な養育態度がウォートンに大 きな影響を与え、精神的安定感を得られないまま成人していくのだ が、この「母娘の関係の修復はほぼ不可能に思われた」(18) とエ リックが見ているように、母親との確執は母親の死後までウォート ンの中で尾を引くことになる。「『母親がいない』と感じた女は、生涯 母親を求めるものかもしれない――男にすら」(OWB 242) ということで、 母親をモデルにしたと考えられる様々な女性が、作品に数多く登場する ことになる。この冷たい母と子の関係は、ウォートンの結婚観に まで冷風を送り続けていたのだ。

 エリックによると、「イーディス・ウォートンの結婚は、最初は穏 やかな友好的なものだったが、性的関係においては決して満足でき るものではなく、時の経過と共に次第に負担になっていった」(116) という。主因はウォートンの高い知性と文筆活動が夫 Edward Wharton の理解を得られなかったことだ。そのため、夫と の精神的距離は広がるばかりだった。夫の病気に関しては、「彼女は 夫に対して、効果的な精神医学的助力に努めたが、次第に結婚生活 が耐えがたい牢獄に思われてきた」のであり、最終的には、「何年に ものぼる苦痛に満ちた熟考の末、1913年フランス法の下で離婚とい う形で28年に及ぶ結婚を解消した」(117) のだ。このような状況で 楽観的結婚観が生まれる訳がない。

 鋭敏過ぎる感受性に関しては、生まれつき持っていた恐怖感が第 一に挙げられる。その他、「摂食障害、ヒステリー、偏頭痛、閉所恐 怖症、ぜんそくで長い間、彼女は苦しんだ」(xi) とエリックが語る ように、ウォートンは繊細な感受性の故に様々な病で苦しむ。もち ろん、その反対に人一倍豊かな感受性の故に美的感覚や絵画に対す る造詣は深く、その面での才能は、初の出版物である家の内装を 扱った、建築家オグデン・コドマンとの共著 The Decoration of Houses (1897) に結実する。その他、繊細な感性が詩や小説に豊か に描かれていくことになった。しかし、結婚観に関しては、この細 やか過ぎる感性が負の作用を及ぼしたことは間違い無い。

 生まれつきの利発さに加えて、幼少時から死ぬまで続くおびただ しい量と広い分野に亘る読書によって、豊かな知性が育まれた。 さらに、結婚後ニューヨークとニューポートに家を購入し、マサ チューセッツ州レノックスに「マウント邸」を建て、フランスにも 二軒の邸を構えるなど、後には経済的問題で手放すことになったと しても、当時の女性としては極めて実務能力に長けていたことがわ かる。室内装飾や庭園設計にも卓越した才能を発揮し、並みの人間 にはない行動力と管理能力を有していた。もし彼女が現在生きてい たら、有能な女性実業家になっていたに違いない。このように、 知性と実行力に長けた人間が、結婚に夢を託すだけで生涯を終る ことは決してあり得ないだろうし、楽観的結婚観を持っていなかった としても不思議ではない。

 こうした様々な理由の複合作用で、ウォートンは悲観的結婚観を覆 すことなく生涯を送るわけだが、これは彼女の人生観においても同 様で、「人生は死に次ぐ悲しいこと」(BG 379) であり、彼女の碑文 に刻まれたラテン語は、「ああ十字架よ、唯一の望み」であった。

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 本作品執筆当時のウォートンの生活で最も重要な出来事は、 自伝 『振り返りて』では触れられていないが、モートン・フラトンとの出 会いと別れである。彼はウォートンより三歳年下で、ニューイング ランド生まれ、ハーバード出身で、聡明なタイムズ誌のフランス特派 員であった。Henry James (1843-1916) が1907年の10月にマウント邸に 連れてきたことから二人の関係は生じる。他の 女性との問題を抱えた、芳しくない噂もある人物だったが、ウォー トンは夢中になる。同年12月、ウォートンがパリに戻り、その後 「数ヶ月間、二人の友情は熱狂的な恋愛に変わり花開いた。」(Erlich 86-7) 45歳のウォートンは、彼によって夫からは得られなかっ た性的満足感を得たのである。五月には「私は貴方の呼吸する空気の一部で す」、「あなた、私はあなたに夢中です、離れていたり何日間も会え ないとがっかりして、貴方についていきたい気持ちでいっぱいで す。愛しのモートン、貴方が私のために創って下さった世界はとて も素晴らしいので、他の世界とどのように折り合いをつけていくか を考えると辛いんです」(LEW 144-5) と書き送るほどになってい た。1910年まで続く彼との恋愛はウォートンにとって、「私はつい に人生の美酒を飲み干した、私は知る価値のある最良の事を知っ た、私は何度も暖められたので、死ぬまで再び完全に冷え切ること はないだろう」(Erlich 75) という程強烈な体験となったのである。

 『振り返りて』には無いもう一つの重要なことは、夫婦関係の悪化 である。「1908年の冬、58歳になったテディは、頭痛と癇癪を伴な う神経抑鬱症でひきつけを起こし始め」(LEW 122-3)、不眠症や躁 鬱症でも苦しむようになっていた。1909年にはウォートンはアメリ カに帰国しなかったが、11月にパリの彼女のもとを訪れた夫の症状 は極めて悪く、それのみならず、彼女の信託資金の5万ドルを使い 込み、愛人の為にボストンに家を購入し、投機でも失敗していた。 (LEW 123) このようなことが判明したことに加えて、ウォートン にはフラトンとのこともあり、夫婦仲は絶望的となっていく。

 結婚当初二人の関係は、テディが13歳年上であったため、イー ディスは「従順で無力な『子供』」であり、形骸化しながらもそのよ うな状態が長年続いていた。しかし、イーディスが病気がちになり、 小説家としての名声が出て、フラトンとの出会いで恋愛の真髄を知 るという大きな変化の中で、その均衡は大きく崩れていく。「その役 割は逆転し、テディは(イーディスに)まといつく無力な連れ合い になった」(Wolff 399) のだ。しかし、社会的体面や病気の夫を見 放すことはできないという倫理的問題もあって、離婚にこぎっける ことが出来たのは1913年であった。

 加齢による長年の体調不良に加えて、1910年3月には、ウォート ンの師であるヘンリー・ジェイムズが「自滅的憂鬱症」(LED 122) になる。1910年6月に兄ウィリアムの死を見取ることができるほ どに回復することにはなるのだが、長いこと仰ぎ見てきた先達の恐 怖感、絶望感、孤独感を目の当たりにして、ウォートンは激しい動 揺を押さえることが出来なかった。

 「選択」は、1913年に出版されることになる『田舎の習慣』の執筆 の合間に、具体的には「1908年の5月、イーディス・ウォートンが アメリカに戻る途中の船上で書かれたもの」である。この時期は、「モー トン・フラトンとの恋愛の最中」であり、「この筋はフラトンとの恋 愛のみならず、彼女自身の経済的状況を写している。というのは、 テディ・ウォートンは、コーバムのように、妻の財産の受託者だっ た」(Wright 43) ので、余りに現実生活との共通点が多いため、単 行本としての出版は1916年まで延期されることになった。

 『イーサン・フロム』と「選択」は、「イーディス・ウォートンの 心的動揺の激しい年月の所産の一部」(Lewis 308) であり、上記の ような「彼女の人生で最も重要な三人が・・・混沌とした状態」(Wolff 398) にある時期に書かれた作品であるため、ウォートンの心底の 深い想いが込められたものとなり、その訴えることにも強いものが ある。しかし、ウォートンがこのような困難な時期を、何とか乗り 切ることが出来たのは、やはり著作という仕事があったからだ。 も ちろん、子供の頃から書くことが好きだったことは事実だが、書く ことに「頑とした切迫感を持っていた」(xii) とウルフは家庭環境を からめて説明し、エリックもまた、彼女の家庭に創造的エネルギー の源泉を置いている。On Lies, Secrets, and Silence には「Tillie Olsen が、『書く女はすべて生き延びるものである』と言っている」 (256) とあるが、確かにウォートンは書くことで、辛い現実に踏み 止まることが出来た。心労のみならず、肉体的不調による苦悩の 日々を過ごしながらも、著作という行為が、ウォートンにとっては、 現実逃避の、さらには精神浄化の道に繋がっていったのだ。Shari Benstock も著作活動は、「苦悩から彼女を解放する感情浄化の一方 策」(458) だったと語ている。

 以上、イーディス・ウォートンは、己の人生の先が見えない暗中 模索の時期に、イザベルの口を通して思いの丈を吐露し、精神生活 の破綻を思わせる皮肉な結末によって、生きることへの疑問を投げ かけた。また、経済的に破綻し、事故による大きな傷跡が肉体に 残っていようが、穏やかな精神で生き長らえることが出来るのだと イーサンを通して語る。

 ウォートンは第一に、 人としてこの世に存在する限り、どのよう な災難が降りかかろうとも、それを回避したり、それから逃避した りすることは許されず、正面切って立ち向かわなけれぱいけないと いう。第二は、頭の中で構築される想念が形態化し、現実世界を作 りあげていくため、邪心を持てば必ずや報復が待っている、すなわ ち、罪と罰の概念を精神面にまで拡大して、心にしかと刻み込むよ う示唆する。第三は、人生は自分自身との対決であり、他人の目に 映る外観には、何の意味も無い。従って、如何に内面生活を充実さ せていくかが人生の課題なのだと語る。この三点のメッセージを補 強するのは、幾多の苦渋を経て構築された、キリスト教の概念を超え た彼女独自の倫理観なのである。作品では、イザベルの精神世界を 打ち砕き、イーサンを貧困の極地に追いやりながら、実人生では ウォートンはそれらの作品とは正反対に、自分の苦い経験によって 獲得していった人生の知恵の一つ一つを作品に投影し、書くことに よって人生の足場を踏み固め、生きていく自信をつけていったので ある。

        引用文献

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.... ed. The House of Mirth, 1986; rpt. New York: Scribner Classics, 1997.
Erlich, Gloria C. The Sexual Education of Edith Wharton, Berkeley: Univ. of California. Press, 1992.
Lewis, R.W.B. Edith Wharton: A Biography, 1975; rpt. New York: Fromm International 1985.
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Lubbock, Percy, Portrait of Edith Wharton, New York: Applenton- Century-Crofts, 1947.
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Singley, Carol J., Edith Wharton: Matters of Mind and Spirit,
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Wolff, Cynthia Griffin, A Feast of Words: The Triumph of Edith Wharton, 2nd ed. 1977, rpt. New York: Oxford Univ. Press, 1995.
Wright, Sarah Bird, Edith Wharton A to Z: Essential Guide to the Life and Work, New York: Facts On File. Inc. 1998.

大学院修了生

The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Oct 12, 2000

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