ウォートンの沈黙の世界

加藤 くに子


  イーディス・ウォートン (Edith Wharton, 1862-1937) は、ヨ ハネの福音書の「初めに言葉ありき」の世界の住人としては珍しく、 言葉の限界に対する独自の深い認識を持ち、沈黙の世界の美と恐怖 を極めて見事に描く作家である。本稿では、『イーサン・フローム』 (Ethan Frome, 1911)を軸に、ウォートンの言葉の使い方の特徴、 沈黙の意味するものと沈黙の世界の背景にある意識を検証し、さら に、本作品の意義についても考察を試みたいと思う。

        T 言葉による描出方法の特質

 イーディス・ウォートンは、ニューイングランド地方に対して、 「露出した花嵩岩」(1) というイメージを強く抱いている。地表に多少 は顔を出すが、大部分は土に埋もれ、視界には入ってこない。すな わち、彼女の言う露出した花崗岩が作品の登場人物であり、その世 界が本作品を作り上げているのだという。これは言語表現において も然りで、花崗岩の露出した部分しか表現されず、地中の大部分は 存在は大きいにも拘らず言葉にならない。この言うべきことを全て 言葉にしないことが第一の特質である。そして、登場人物の生活は、 「荒涼とした縮図的なもの」(2) として取り扱わねばならないため、感 情移入を抑えるのだと語る。従って悲劇的素材を取り扱いながら、 感情を移入しないことが第二の特質になる。さらに、第三の特質と しては、客観性を高めるために時間の使い方に工夫を凝らす点が挙 げられる。

 第一の特質を考えてみると、 苛酷な気象条件下での「深く根を はった寡黙さと口下手さ」(3) が、主人公のイーサン・フロームを通し て見事に描かれる。イーサンは「寡黙で憂鬱な風景の一部」であり、 「凍えた哀しみの化身」で、「まるで彼の沈黙には隙がないよう」 (17) なのだ。「しかし、その沈黙のなかにはよそよそしさはなかっ た。行きずりの人には手のとどかない、精神的な孤独の深みに住ん でいるんだなと思っただけだ」(4) と語り手が言う。その理由は「個人 的な苦境の結果」のみならず、この地ですごした長年の冬の「深い 蓄積された寒さ」(14-15) のためだと語り手は感じる。村の人達も 「イーサンの寡黙さに敬意を払い」、「声をかけるのはごくまれなこ とだった」(5) と、極力言葉が抑えられた世界で生活は営まれてい る。

 第二の特質について、 主題の悲劇性からみて感情過多になりがち であるため、作者は常に作中人物と適切な距離を保ち、客観的記述 に努める。R・W・B・ルイス (R.W.B. Lewis) によれば、この作品は 1904年にニューイングランドのレノックスで実際に起きた事故に ヒントを得たもので、フランス語の勉学のため、当初はフランス語 で書かれ、それに多少手を加えて1911年に出版の運びとなったと のことである。(5) レノックスはウォートンが10年程所有していた 「マウント邸」の所在地で、この時間的経過と、温め続けた主題への 深い思いが、作者の中で醸成され、暴走を防ぎ、感情に流されない 説得力のある作品に仕上がったということができるのではなかろう か。

 第三の特質、つまり時間の取り扱い方については、二つの側面か ら考えてみたい。短期的な見方、言い換えれば、希望と絶望のサイ クルをみると、ほぼ一年に設定されていることである。まず、大学 で勉学に励み人生の門出を飾ろうと意気込んでいる最中、父親の事 故で農場に呼び戻されるはめに落ち入ったこと。次に、ズィーナ (Zeena) がイーサンの母親の看病という名目のもとにフローム家 に入り、母の死後二人は結婚し、その賢いズィーナと一緒なら、都 会で一旗挙げることも可能だと信じた矢先、妻は病に倒れる。さら に、若い希望の灯火としてフローム家に入ってきたマティー (Mattie) との愛を確認し、永遠の愛を誓うために心中を決意する が失敗に終わる。希望を持ち、夢を描き、それが挫折し絶望に変わる 周期がいずれも一年なのである。学業の中断、妻の発病、心中の失 敗と運命の分かれ道は、常に希望が見え始めた時であり、イーサン の人生に光が射すことは、わずかこの三度にすぎない。しかし、そ の希望の芽は、情け容赦もなくことごとく摘み取られてしまう。明 暗の対比は一度目より二度目、二度目より三度目と落差が増幅さ れ、クライマックスヘの序奏に相応しい構成の美を描く。

 長期的展望のもとに時間の問題を考えると、年月の飛躍が挙げら れる。『イーサン・フローム』では24年前の出来事が語られ、『無垢 の時代』(The Age of Innocence, 1920) では妻の懐妊から26年が 一気に飛ぶ。言葉を完全に省き、空白の長い年月を全面的に読者に 委任するかの手法に、想像力を駆使せよという作者の意図が凝縮さ れているかのようである。すなわち、時間的飛躍によって、言葉を 重ね、感情移入による効果以上のものを生み出し、客観的、理性的、 直接的に出来事の本質に入り込む。それが功を奏し、深い感動を読 者に与えることになるのだ。

 「露出した花崗岩」のイメージを純粋に言語的レベルで解釈する と、前述のイーサン・フロームに代表される寡黙さに帰着するが、 側面支援の手法として、情景描写が利用される。ウォートンは、「自 然であると同時に絵画を描き出すように悲劇を持ち出す手段を考え ねぱならなかった」(6) と語っているように、絵画的要素を風景描写が 担うことになる。ドリス・グランバック (Doris Grumbach) は、 「作品の色調は、厳しく、寂しく、衝撃的だ」(7) と語り、シンシァ・グ リフィン・ウルフ  (Cynthia Griffin Wolff)は、「荒涼さ」(8) を繰り 返し、グロリア・C・エリック (Gloria C. Erlich)は、「人里離れ た凍り付いた風景」(9) を強調する。これらの表現に対応するのが、 ウォートンの「露出した花崗岩」であり、風景描写が、抑えた言葉 の世界を補足することになる。夢を抱く時に必ず出てくる墓のイ メージと自然描写にそれが鮮明に現れる。

 不幸を暗示する墓のイメージは三度出てくる。最初は、マティー に愛情を抱き始め希望を持つ時で、次は、ズィーナが病院に出かけ 家を空けるイーサンとマティーの二人きりの晩であり、最後は、現 在の悲惨な三人の生活状況の描写においてである。「いつも一緒に ここにいれば、彼女はいつかはぼくの隣に眠るだろう」(50) と愛の 芽生えにより、不吉であった墓が幸福の継続と安定の暖かさの象徴 に代わる。二人だけの至福の晩に目にする墓石の文字は印象的だ。

イーサン・フロームとその妻エンデュァランス
   五十年間にわたって平和をともにし
      二人を記念してここに葬る       (80)

今宵の幸せと未来を暗示する碑文の対比、その碑文の妻の名を「忍 耐」としたのもウォートンの細部に亘るこだわりであろうか。イー サンとズィーナの夫婦関係では忍耐を強いられるのはイーサンの方 であり、逆転の発想で命名したところに主題への深い思い入れがう かがえる。さらに、「むかしは五十年というのは、二人で暮らすには とても長い年月だと思ったものだが、今では一瞬に過ぎるように思 えた」(80) と、先の不幸を予知するかの感覚をイーサンは持つ。最 後にヘイル夫人 (Mrs. Hale) は、「今みたいな生活だと、農場にい るフロームの人たちは墓場のなかのフロームの人たちとあまり変わ りがありませんものね」(181) と、顔に深い傷跡を残し、足を引き ずってしか歩くことのできないイーサンと、病気持ちのズィーナ と、車椅子の生活を余儀なくされているマティーの三人が肩を寄せ あう悲惨な生活を語る。こうして、希望と夢を、言葉を使わずに墓 を媒体に風景描写で予告し、破壊の方向性を示す。三度も繰り返さ れる墓のイメージが伏線として働き、変奏曲を奏でるかのように現 状へとつなげる。

 自然描写に関しては、この地の過酷な気候状況が冒頭から絵画の 如く鮮明に描き出される。

滞在の早い時期に、私は気候の荒さと、その地方の死んだような静けさ との対照に驚いた。十二月の雪がすむと、燃えるような青い空は、光と 空気の奔流を風景に注ぎ、風景はもっと強い輝きを送り返した。そのよ うな雰囲気は血ばかりでなく感情を刺激すると思うかも知れない。しか し、スタークフィールド (Starkfield) の緩慢な鼓動をさらに遅らせる 以外には何の変化もつくりださないようだった。私はもう少し長くい て、太陽の見えない日が何日も続いた後に水晶のような快晴が来るのを 見た。二月の嵐が忠誠を誓った村のまわりに白いテントをひろげ、三月 の風が加わってあらあらしい騎兵のように襲いかかる。(8-9)

冬の半年間は、死んだような静けさの中でスタークフィールドの 人々は、ただひたすら時を費やす。太陽を見ることのない日々と、 透き通る白さとまばゆい晴天の自然界の光と陰の対比や、激しい天 候と反比例するような忍従を強いられる村民の生活を通して、そ こで生き長らえることの熾烈さが、言葉を介さず、風景描写で強 調される。

        U 沈黙の意味

 イーディス・ウォートンには、言葉で表現できる範囲は人間の感 情の極めて狭い範囲に限られる、という強い信念があったように思 えてならない。ウォートンは自伝『ふりかえりて』(A Backward Glance, 1934) で、自らの人生を語るが、「彼女の回想から除外され たものは、苦しい時の記憶で、母親に軽んじられた子供時代や、不 幸な結婚生活や、モートン・フラトン (Morton Fullerton) との短 くも情熱的な付き合いのことだ」(10) とドナルド・マクウエイド (Donald McQuade) 編纂の文学史で解説されるように、自分の苦 痛に対して他人の同情をかう甘えは一切見られず、自伝においてさ え語る限界線を定めている。喜怒哀楽の全てに亘り、ある範囲まで しか具体的に表現しない、心の底から湧き上がる無上の喜び、その 反対の怒りや憎しみへの激情は、言葉で表現できる狭い範囲を超越 する。人間の愛憎の世界は、言葉で表せるほど生やさしいものでは なく、際限なく拡がり得るものとウォートンは考えているかの如く である。ウォートンにとって、喜びは際限なくはばたくものであり、 憎悪は地下深くに潜り込み四方八方に根を広げ、止まることがない ものなのである。その証に『イーサン・フローム』では、三人の主 要登場人物全てに、如何なる救いも与えず、情け容赦なく奈落の底 に突き落とし、希望のかけらさえ無い凄絶な世界での人生を強要す る。

 言葉に表現しない、または出来ない世界は、喜怒哀楽の広い世界 に存在するが、まず、愛という肯定的感情が支配する沈黙の世界を 考えてみる。マティーとイーサンの愛情に関しては、最後の場面に 至るまで、二人とも言葉による表現はない。マティーは、「ダンス曲 の一つをハミング」(67) することによって、 イーサンと二人きりの 晩を楽しみにし、イーサンは、「無言の痛み」(33) となっていた自 然への豊かな感性をマティーと共有できるようになり、「無言の喜 びの衝撃」(34) がマティーとの距離を縮める。このようなものを通 して「私達は二人の間の強いけれども、常に声にならない絆を受け 入れる」(11) とグランバックが説明するように、読者は言葉を介さずと も二人の愛情を確認していく。この言葉にならない沈黙の世界は、 無の世界とは完全に異なり、豊かで重要な意味を持つ。

 苦痛や憎悪といった否定的感情が支配する沈黙の世界では、如何 なる過程を経て会話が途絶え、沈黙に入っていくのかをイーサンの 妻の場合にみることにする。母親の看病でズィーナがこの地に来て 結婚する。すると、「やがてズィーナもまた黙り込んだ」(72) と、 病気で没した母親同様に言葉を失っていく。「ウォートンはかなり の期間、飲食障害、ヒステリー、偏頭痛、閉所恐怖症、喘息で苦し んだ」(12) と、作者自身も病気による苦痛の長い経験があり、病による 言葉の減少は、ウォートンの実感であろうか、イーサンの母親のみ ならず妻までを病で沈黙の世界に追いやる。そして、「ズィーナは結 婚当初よりも百倍も皮肉になり、不満もずっと多くなった。楽しみ といえば、彼に苦痛を与えることだった」(129) という状況になっ ていき、イーサンは苦痛を逃れるために妻の言葉を聞き流すように なり、やがて会話が途絶える。さらに、「ズィーナの頑固な沈黙」 (60) に怯える状況が生ずる。イーサンにしてみれば「彼女は彼から すべてを奪い取った」(118) ひどい女であり、「今妻は彼を支配し、 彼は妻を憎んでいた」(118) と、限界を超える忍耐がイーサンから 言葉を奪った。母親と妻の場合は病の悪化が、イーサンの場合は憎 悪が、マティーの場合は、そりの事故による身体の自由の喪失が、 言葉を奪い、沈黙の世界への引き金となった。

 さらに、声にならない言葉、言葉を必要としない会話は、具体的 な相手との意志疎通の手段に限定されず、そこにいない人、死者、 自然と様々な拡がりの中で沈黙の対話を構築する。ズィーナが出か けて留守のイーサンとマティーの楽しかるべき晩に、ズィーナの名 前を出しただけで二人の会話は途絶え、暗い雰囲気に変わる。 ズィーナの椅子が、ズィーナのいつもの習慣が、大きく二人にのし かかり、存在しないにも関わらず二人に悪影響を及ぼす。「その沈黙 のなかに、一切を明らかにする言葉が二人のあいだにかわされ た」(13) と、死者との対話の場面もウォートンは作り出す。魂と魂との 交信では、声を必要としないし、言葉も不必要になる。「まわりの人 の誰よりも自然の魅力に敏感」(33) なイーサンにとっては、自然と の対話はかけがえのないもので、「もっとも不幸なときでさえ、野原 や空が、強い説得力で語りかけてきた」(33) と、自然との対話が常 になされる。こうして沈黙の対話は、そこに実際にはいない人とも、 死者とも、自然とも可能になるのだ。

 このように、沈黙の意味するものは、当然一言で表現できるもの ではなく、何も無いということとはほど遠い、豊かで、激しく、強 烈な世界であり、沈黙の世界で交わされる会話も、言葉で表現する よりはるかに広大な領域があるのだとウォートンは語る。

        V 沈黙の世界の背景にあるもの

 「露出した花崗岩」の色調を浮かび上がらせるために、ウォートン は時間的飛躍や風景描写を巧みに利用して沈黙の世界を豊かに描出 しているが、その背景には作者の二つの重要な意識が隠されている ように思われる。それはウォートンの結婚観と子供の存在に関する 深い思いである。

 イーサンとズィーナの冷たい結婚生活は、ウォートン自身の生活 の投影だと、ルイスは次のように言う。

イーサン・フロームは、ウォートンの個人的状況を描いている・・・彼女 がよくやるように、登場人物の男女は入れ替えた。イーディス・ウォー トンのように、イーサン・フロームは何歳も年上の病気持ちの伴侶と結 婚し、彼はイーディスが夫テディ (Teddy) に縛られていたとほぼ同じ 年月、結婚に縛られている・・・イーディス自身の状況に対する常に変わ らぬイメージ、すなわち、「終身刑の判決を受けた囚人」へと、イーサン の運命は運ばれる。(14)

実質的には12歳の年齢差があり趣味の異なるウォートン夫妻の耐 え難い日々が、7歳年上の妻を持つイーサンに置き換えられている のである。さらに、夫が正気かどうかを疑うようになるイーディス の生活が、ズィーナが口を閉ざしていく過程に移され、イーサンが 妻の正気を心配するくだりに描かれる。

 ウォ一トンは仲むつまじい夫婦より、うまく噛み合わない夫婦の 描き方において長けていて、より現実味がある。彼女の結婚観を概 観するために、まず両親の関係から見てみたい。両親は幼い彼女の 目には次のように映った。「背が高く素敵な父は、いつもとても優し く、力強い腕で危なげなく私をとても高く持ち上げてくれた」とい う父親への記憶に対し、豪華なドレス、装飾品、香水といった細部 の記述の後、「他のぼやけた非人間的な母の特徴は、いまのところ、 これ以上はっきりしたものはない」(15) と言葉少なに、母親の人間性を 浮かび上がらせる。母親に軽んじられた子供時代は自伝から省かれ たことは前述したが、ウルフも『言葉の饗宴』(A Feast of Words: The Triumph of Edith Wharton, 1977) で母親の冷たさを詳細に 論じているように、 二人の兄とは15歳以上も年が離れていること もあってか、夫婦手を取り合って子供を慈しみ育てるという暖かい 家庭の雰囲気は伝わってこない。

 ウォートン自身の結婚も、情熱というよりは、年齢と社会的習慣 により余儀なくされたかのようである。イーサンの場合は、「もしも 母が冬ではなくて春に死んだのならば、 こんなことにはならなかっ たろうと考えることがよくあった」(70) と、冬の寂しさの中でイー サンは一人取り残されることに耐えられず、ズィーナを引き留め結 婚する。ウォートンの場合は、19世紀後期のニューヨークの上流階 級という社会的慣習によって、イーサンの場合は苛酷な気象条件に より、共に個人の意志を越えた環境の強いる、言い換えれば、運命 的、脅迫的状況下で結婚生活に入ったといえないこともない。

 ウォートンの結婚観は、『無垢の時代』に最もよく示されていると 思う。主人公のニューランド・アーチャー (Newland Archer) は、 エレン・オレンスカ (Ellen Olenska) への愛を諦めて、メイ (May) と25年の余、ニューヨークの上流社会で理想的家庭を営 む。しかし妻の死後、「結局、自分の人生はあまりに不毛だった」(16) と 感じ、「彼は突然、幾多の悔恨を処理せねばならず、言葉にならない 生涯の思い出に息をのんだ」(17) と、外見的完壁さと内面的充実感との 落差を語る。ニューランドは独身時代に、結婚を「海図のない海を 旅する航海」(18) に例えて考える。しかし、この海は得体の知れない広 さと深さで、いつ無力の人間を飲み込んでしまうかも解らない暗黒 の海のイメージに繋がるものであり、安らぎの海ではない。さらに、 「たいていの結婚は、物質及び社会的利益のためになされるのであ り、無知と偽善による退屈な関係だ」(19) と、共に助け合い幸せを構築 していくという本来あるべき健全な結婚観とは異なる。富と名誉が あり長年平穏にすごしたかに見える夫婦間においてさえ、意識のず れは大きく、二人が豊かな会話を交わし、深い理解のもとに年月を 重ねる理想的結婚生活は描かれていない。定かではないが、両親像 がアーチャー夫妻に移されているのかもしれない。

 結婚生活を通して情熱が冷めていく様子は、「二人の前夫」("The Other Two" 1904) で語られる。ウェイソーン (Waythorn) は、 再再婚の妻を「古い靴のようにゆったり」(20) していると感じ、これは とりもなおさず、自分一人が強烈に彼女に影響を及ぼしているので はなく、三人の夫によって構築されてきた柔軟性溢れる妻の現在の 姿なのだと理解するに到る。「アリス・ハスケット――アリス・ ヴァーリック――アリス・ウェイソーン――順番に変わっていった それぞれの名前に、わずかな秘密、わずかな個性、わずかな知られ ざる神がすんでいるひそかな自己を残していったのだ」20 と、妻に対 する自分一人の胸に秘めた理想の偶像が壊れていく過程が語られ る。イーサン・フロームの場合と異なり、この作品では、会話の減 少よりも、疑惑が二人の距離を広げる。

 ウォートンの作品では、結婚生活によって信頼関係を深めていく 作品が極めて少ないばかりか、外見上は理想的に見える二人であっ ても、生活を共にすることによって距離が開いていく場合が圧倒的 に多い。最悪の夫婦関係は「選択」("The Choice" 1910) に見るこ とができるであろう。新興成金の夫に憎しみを持つ妻は、愛人に自 分の気持ちを、「日々、一時一時、私は夫の死を願うの・・・毎夜、夫 が死ぬ夢を見るかも知れないという恐れから眠ることが出来ないで いるのよ」(21) と告白する。夫の死を願いつつ、結局は溺れかけた夫は 助かり、助けに飛び込んだ愛人が死ぬ。愛人の命を代償にして夫が 生き長らえるこの皮肉に、夫婦が生活を共にすることによって、生 み出される憎悪の最たるものを見る気がする。この短編の翌年、不 毛の結婚生活と精神的荒廃の代表作と考えられる『イーサン・フ ローム』が世に出る。イーサンの耐え難い沈黙の世界の背景には、 幼い頃から芽生え、成人の後には、自分の結婚を通して構築された ウォートンの根深い結婚への不信感が存在する。

 ウォートンの子供に対する意識は如何なるものであろうか。 『イーサン・フローム』を救いの無いものにしている原因の一つは、 彼女が夢を託す子供を登場させていないことではなかろうか。 ウォートンは常套手段として希望を未来に、特に子供に託すことが 多い。『夏』("Summer" 1917) では、チャリティがハー二一に別れ を告げた後に、彼の子供を身篭もっていることに気付く。彼女は胎 児を守らねぱという母性に目覚め、その子のために生きる道を模索 し始める。(22) 『無垢の時代』では、ニューランドがエレンを諦め妻の、 もとに留まるのは、妻の懐妊を知ったからなのである。「二人の前 夫」では、娘へ豊かな愛情を注ぐ妻の姿に夫は魅力を感じる。(23) 子供 を希望的に取り扱わない「ジェーンの使命」("The Mission of Jane" 1902) でも、「ジェーンは 遂に夫婦を結びつけた」(24) と、子供に重要 な役割を担わせているのだ。

 このように、ウォートンは子供の存在意義を強調する。子供へ愛 を注ぎ、未来を彼らに託すのは不自然なことではない。第一次大戦 下のパリで、彼女は子供達の救出に尽力し、ベルギーからの難民の 子供のための施設を作る。これは子供達の未来を非常に尊んでいた 証と考えて間違いないだろう。 しかし、子供達に託す夢が大き過ぎ はしないか。子供を重要視しすぎではなかろうか。ウォートンは冷 たい母親のもとで、溺愛されることは無かった。さらに結婚でも子 供をもうけなかった。無きものに憧れるのが人の常ではあるが、彼女 の場合、自分で子供を育てる経験がない分、夢と期待が膨張し、救 いをその未知の存在に託す傾向が助長されたと解釈することはでき ないだろうか。受胎によって人生に開眼するという安易な構図に、 その傾向は否めないような気がしてならない。

 このウォートンの子供に対する認識という点からこの作品を眺め てみても、興味深いものがある。イーサンは兄弟がなく、両親と三 人暮らしで、ズィーナにしてもマティーにしても帰る家は無い。さ らにイーサンとズィーナの間にも子供はいない。子供が登場しない という点だけから考えても、不幸な結末が予測されるであろう。 パーシー・ラボック (Percy Lubbock) が「イーディスの邸宅は完 壁だけれども冷たい、幼い子供がバタバタ駆け回る音、犬が跳ね回 る音、音楽、ゲームの音は決してしてこない」(25) と語るが、作品の中 でも冷え冷えとした家の雰囲気が圧倒的で、唯一出てくる猫も、不 幸の使者としての不吉な役割を担っているに過ぎない。ウォートン の不毛な結婚観と、過大視しがちな子供の存在意義を概観すること により、この沈黙の世界の色調がさらに鮮明に浮かび上がり、荒涼 さの理解が深まる。

        W 作品の位置づけ

 晩年のウォートンは、生きることは死に次ぐ哀しいものだが、「見 る目、聞く耳がある人々には、眼前に現れる世界は日々の奇跡に満 ちている」(26) といった諦観の境地に達する。ウォートンの人生におい て、長年の苦悶の末とはいえ離婚が成立し、愚行の最たるものであ る第一次大戦を目撃し、その救援活動に苦戦は強いられたものの、 心ある人達の協力のもと、本来の文筆で世界に惨劇を伝え、子供達 の救援活動においても何らかの成果を得た。しかし、これは、72歳に なったウォートンがたどり着いた境地であり、この作品が世に出た 1911年には、この心境にはほど遠い状態であった。その証拠に『イーサ ン・フローム』では、生きることは死に次ぐ哀しいもの、という意 識は出てこない。現世の愛の成就を諦めたイーサンとマティーは、 死に夢を託す。ここでは死への強い憧憬が見られる。しかし、 ウォートンは二人を死によって救済することはない。生を与えられ た以上、生きることは義務なのだとウォートンは考え、24年に亘 る、共に暮らしてはならない悲劇的な三人の共同生活を強いるの である。

 この作品の評価には賛否両論がある。否定派は、作品の「救いの無 さ」を指摘し、「偉大な小説家が持つ、深い共感、微笑みかける優し さ、愛情深い寛容さで人生を見る能力に欠けている」27 とウォートン を非難する。具体的には、ダイアナ・トリリング (Diana Trilling) が、「無慈悲な作品」と呼び、ライオネル・トリリング (Lionel Trilling) は、「冷酷であるばかりでなく不自然な作品」と評する。28 ブレイク・ネビアス (Blake Nevius) に至っては、歴史の記録者的 扱いしかしていない。(27) 「『イーサン・フローム』はニューイングラン ドを知らない女性の作品」(28) と酷評するF・O・マシーセン (F.O. Matthiessen) の書評に、「その地で十年を過ごした後に書いた作 品」(29) だとウォートン自身は強く抗議している。

 肯定派の代表格は、ルイスとウルフであろう。ルイスはこの作品 が、「執筆前数年の精神的動揺の激しい時期のイーディス・ウォー トンの個人的生活の部分的投影」だとし、『イーサン・フローム』 に、「彼女は非常に深く激しい感情を注ぎ込んだ」(30) と続ける。後者 は誤解を生じやすいので、補足すると、前述したように、ウォート ンは感情移入は極力避けた。しかし、殺伐とした作品の色調、 ニューイングランドの苛酷な冬の景色に、ウォートンの感情が深く 描き出されているのである。登場人物達への感情移入は注意深く抑 えられているので、著者の言とルイスの解釈との矛盾はない。さら にこの作品が、「彼女の精神生活の真実の記述になり始めた」画期的 作品で、これが「主要な転換期」(31) になったのだ、とその重要 性を語っている。ウルフは、この作品は、「小説に描きたい感情と小説自身 の本質との双方において、抑制力が見事に示されている」31 もので、 ルイスの言う「転換期」を「荒涼さを表す最後の作品」という表現 で示し、この後はこれほど寂寞とした作品は書かなかったとその意義を 語る。

 ルイスのいう精神的動揺とは、モートン・フラトンとの出会いと 別れを指し、1907年、45歳のウォートンは、夫からは得られなかっ た女性の真の喜びを知り、別れの深い悲しみを通して人生の真実に 近づいていく。ウルフはその経過を「この小説はフラトンとの恋愛 の総決算として書かれ、ウォートンが自認するように、彼女はこの 経験によって著しく変わった」(32) と語り、ウォートン自身の「私はつ いに人生の美酒を飲み干した」とか、「私は何度も何度も暖まったの で、人生の続く限り再び完全に冷え切ることはないのだ」という言 葉を引用して説明する。さらに、「再び完全に冷え切ることはない」 という言葉に関して、これは単なる楽観主義的予測や、愛の思い出 が永久に残るということではなく、現実を正確に認識する目が養わ れたことを表していると言う。ただウォートンは、世の中には「完 全に冷え切っている人々」が存在することをニューイングランドの 地で目にして、この作品に総括したのだとも言う。(33) エリックは、フ ラトンとの出会いを、「生涯彼女を保護するものにはならなかった」 とはいえ、「ウォートンの人間性を深めた」(34) と評価し、この出会い がウォートンの人生に大きな影響を及ぼしたことは疑う余地がないと考える。

 ウォートンはこの作品を「大きな喜びと、充分なゆとり」(35) を持っ て描き出したと語る。荒涼としたこの作品を楽しんで書いたという 点に、ウォートンの本心がうかがえるだろう。「夫テディと恋人 フラトンヘ分けられた忠誠心を、彼女の苦痛の記述が偽装した。三 人の主要登場人物の人生の終わることのない侘びしさは、このロマ ンチックな三角関係から脱出することができない彼女の感性を反映 するもの」(36) というキャロル・J・シングレイ (Carol J. Singley) の 解釈には真っ向から異を唱えたい。感情の整理がついたからこそ、 客観的視点で楽しんで書けたのではなかろうか。ルイスやウルフが 語るように、この作品は文学的手法や、主題の選び方において一つ の転換期であるのみならず、彼女自身の人生の分岐点としても考え ることができそうである。客観的に極めて鮮明な対比を用い、死に よる救いすら許そうとせず、悲惨な生活の中に三人を放置する、そ こに一つの人生の総決算を見る気がする。 極貧と苛酷な気象条件の下に、精神的荒廃とあまりにも皮肉な運命を並べ、情け容赦なく希 望の芽を摘み取り、打ち砕いていくその強さから、人生の区切り、 気持ちの切り替え、生き方の転換が見えてくるように思われる。『イー サン・フローム』は、淡々と、言葉少なく、時間的な飛躍を駆使し て、沈黙の世界の恐怖を、想像の世界を伴って、見事に描き出して いるということができるであろう。

        注

 (1). Edith Wharton, "Introduction by Edith Wharton," Ethan Frome (1911; New York: Penguin Books, 1993), p. xvii.
 (2). Ibid., p. xviii.
 (3). Ibid., p. xxi.
 (4). Edith Wharton, Ethan Frome (1911; New York: Penguin Books, 1993), p. 14. 以下この版による引用は括弧によって頁を示す。尚、引用 文は、富   本陽吉他訳『イーサン・フローム』(荒地出版社、1995) を借用 させていただいた。
 (5). R.W.B. Lewis, Edith Wharton: A Biography (1975; Fromm Inter national. 1985), p. 308.
 (6). Edith Wharton, "Introduction by Edith Wharton," p. xx.
 (7). Edith Wharton, "Introduction by Doris Grumbach," Ethan Frome (1911; New York: Penguin Books, 1993), p. vii.
 (8). Cynthia Griffin Wolff, A Feast of Words: The Triumph of Edith Wharton (1977; 2nd ed. New York: Oxford Univ. Press, 1995), p. 157.
 (9). Millicent Bell ed., The Cambridge Companion to Edith Wharton (New York: Cambridge Univ. Press, 1995), p. 105.
(10). Donald McQuade et al, ed., The Harper American Literature Vol. 2 (New York: Harper & Row, 1987), p. 781.
(11). Edith Wharton, "Introduction by Doris Grumbach," p. xii.
(12). Gloria C. Erlich, "Preface," The Sexual Education of Edith Wharton (Berkeley: Univ. of California Press, 1992), p. xi.
(13). Edith Wharton, The House of Mirth (1986; rpt. Scribner Classics, 1997), p. 332.
(14). R.W.B. Lewis, p. 309.
(15). Edith Wharton, A Backward Glance (1934; New York: Charles Scribner's Sons, 1964), p. 26.
(16). Edith Wharton, The Age of Innocence (1920; New York: Collier Books, 1968), p. 358.
(17). Ibid., p. 357.
(18). Ibid., p. 43.
(19). Ibid., p. 44.
(20). Edith Wharton, Roman Fever and Other Stories (London: Virago Press, 1983), p. 74.
(21). R.W.B. Lewis ed., Short Stories of Edith Wharton 1910-1937 (New York: Charles Scribner's Sons, 1968), p. 354.
(22). Edith Wharton, Summer (1917; New York: A Bantam Classic, 1993), p. 170.
(23). Edith Wharton, Roman Fever and Other Stories, pp. 55-56.
(24). Yoshie Itabashi & Miyoko Sasaki ed., The Complete Works of Edith Wharton, IV (Kyoto: Rinsen Book, 1988), p. 68.
(25). Percy Lubbock, Portrait of Edith Wharton (London : Jonathan Cape, 1947), p. 46.
(26). Edith Wharton, A Backward Glance, p. 379.
(27). Millicent Bell ed., p. 2.
(28). Ibid., p. lO.
(29). Edith Wharton, A Backward Glance, p. 296.
(30). R. W. B. Lewis, p. 308.
(31). Cynthis Griffin Wolff, p. 157.
(32). Ibid., p. 156.
(33). Ibid., pp. 156-157.
(34). Gloria C. Erlich, p. 116.
(35). Ibid., p. 295.
(36). Carol J. Singley, Edith Wharton: Matters of Mind and Spirit (Cam bridge: Cambridge Univ. Press, 1995), p. 108.

大学院学生(1998)

The Chukyo University Society of English Language and Literature
Last modified: Oct 12, 2000

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