William Dean Howells (1837-1920)は、人生の真実を平凡な 日常生活の中から拾い上げ、如何なる人も体験できる事柄を通して我々に語りかけてくれる。The Rise of Silas Lapham (1885) の主 人公 Silas Lapham は、典型的凡人として描かれ、経済的には全て を失うが、道徳的には成長する。これは没落を通して精神的成長を 遂げるという楽観的人生観に貫かれた作品であり、アメリカ版教養 小説の代表作の一つだという世評が高い。本稿では、一般的評価と は異なる主人公 Silas Lapham の懐疑的人生観を探る。人生を信じ ないが故に、必死に人生にしがみつき世俗の栄達を夢み実現する。 しかし、物欲に押し流されて他人を犠牲にする愚を避けるため、長 年かけて手にした物質的栄華を全て放棄する。Lapham は根底にお いて、人生を肯定しきれない故に財産は失うが、その運命を甘受す ることにより心の安らぎを得る。これは彼の懐疑的人生観の故であ る、という視点からこの作品を捉えてみる。
I
Howells に対する論評は大きく二分する事ができる。一つは
"Optimism" にもとづく楽観的人生観であり、世界及び人生の意義、
価値に関して、悪や反価値の存在を認めつつも、現実をありうべき
最良の世界、人生とみなす考え方である。いま一つは
"pessimism" から引き出される悲観的人生観である。それはこの世を苦と悪に満
ちたものとみなし、人生に何らの希望を抱かない考え方である。
それでは Howells がなぜ前者の代表格としてみなされるに至っ
たのか。彼は Criticism and Fiction (1891)
で "Our novelists ... concern themselves
with the more smiling aspects of life, which
are the more American"(1) と語り、「人生のほほえましい側
面」に目を向けることを強調している。この
"smiling aspects" が 誤解を招く言葉で、人生の醜い、汚い面から目を背ける楽観主義者
だというレッテルを張られるもととなった。 その主張の筆頭は、
Henry Louis Mencken
で、Prejudices: First Series (1919) の中
で Howells を穏健な順応主義者だと決めつけ、こき下ろしたので
ある。Henry James (1843-1916) も Howells
は人間の悪に対する 認識が不足していることを強調する。それに異を唱えたのが
Kenneth S. Lynn であり、魅惑的で複雑な作家にほほえましい側
面しか認めないことの愚を次のように指摘している。
...the inability to see anything but the "smiling aspects" of a fascinatingly complex writer constitutes one of the notorious blind spots of our modern criticism. (2)
Edwin H. Cady は、人生のほほえましい側面についての言及は、 ドストエフスキーとの比較において出てきた言葉にすぎず、彼の主 張を正しく理解すれば、彼は楽天主義者ではないことが歴然として いると次のように語る。
In the light of the evidence, neither the "smiling aspects" phrase nor any other can justify the view that Howejjs was too blind, too timid, or too fatly optimistic to feel or confront the mysteries of iniquity and of tragic loss in the world.(3)
そしてアメリカの楽観主義を象徴する人物を探す時でも、それは Howells 以外の人でなければならないという。
If it really is necessary to interpreters of the immediate Ameri- can past to support their various mythologies by finding some- one to symbolize irresponsible optimism, that symbol should be some figure other than William Dean Howells.(4)
Cady の "smiling aspects" についての見解では Howells は悲観的 作家だとまで言い切っている。
Is there, then, a fundamental contradiction between Howells's practical pessimism and the intent of the passage which con- tains the "smiling aspects" phrase? A careful reading of the context will, I think, show that no such contradiction really exists.... That is not to say that Howells had the outlook of a major tragedian or that all the works of his artistic maturity were somber in tone. Yet his important novels were mainly pessimistic and critical in tone and intent.(5)
しかし、本稿では Howells が楽天主義者かあるいは悲観主義者 かということを問題としているのではない。相反する見解があり、 悲観主義的傾向に目を向けつつも、Howells は懐疑的人生観に のっとった極めて平衡感覚の優れた、良識ある作家だと論証してい きたいのである。もちろん、作家の人生観がそのまま本作品の主人 公の人生観に置き変えられるとは思わない。しかしながら Silas Lapham が Howells の人生観の一部を担っていることは否定でき ない。代表的俗物として Lapham を描きながら、人生とは単純に肯 定できるものではなく、全面的には信じ切れるもめでもないと Howells は語る。目分の引け目、生きることへの疑惑と不信感、選 沢の際における迷いが、潜在意識として働き、Lapham の人生の方 向を決めていく。この生きることを危ぶみ、疑いを持っ考え方、こ の世に生を受けたことは全面的に肯定できるものではないという考 え方を、本稿では「懐疑的人生観」と名付ける。
U
Lapham が人生を危ぶみ、疑いを持つに至る理由を考えてみる
と、まず彼自身の性格、そして彼の引け目に起因する諸々の精神的
負荷をあげることができよう。
Lapham の性格の第一の特徴は「正直さ」で、"I don't know I was a general" (6) と、招待状に記された称号にまで、自分は gener- al ではなく colonel だと訂正する程の嘘をつけない性格である。第 二は「勤勉さ」で、彼は与えられた状況に黙々と励み塗料の世界で 財を成す。第三は「内向性」で、"Their father did not like company" (p.26) とあるように、少なくとも社交的でないことは明白 だ。このような性格の根底に彼の土着性がある。彼は兄弟が西部に 出てしまってもニューイングランドに執着する。
I hung on to New England, and I hung on to the old farm, not because the paint-mine was on it, but because the old house was --and the graves.(p.7)
彼は塗料があったからではなく、古い家と墓のために自分が生まれ た農場にしがみついたのだと語る。この彼の土着性、農場ひいては 塗料への思い入れは、目に見える物に対する執着心の強さを物語っ ている。彼は学問、文化、芸術、社交的交友関係といったものへの 関心はない。人生の岐路で自分を救ってくれる安全弁としての諸々 の無形の財産を持っていない。彼にとって信じられるものは目に見 えるものでしかないからだ。人生を信じ、努力の先を夢見ることが できれば、ゆとりを持って生きることができる。しかし、塗料以外 には目もくれない。これこそ彼が人生を信じていない証であり、疑 いがあるから塗料業という、物を目の前にした商売に邁進する。彼 の土着性を基礎にした正直で勤勉で内向的な性格が、人生の不安と 疑惑を隠すために有効に作動し、Lapham は塗料の世界で大成功を 治める。もちろん、"The Colonel had no card but a business card" (p.31) と仕事以外は当然のごとく目を向けず、"I suppose his range of ideas is limited" (p.67) と Tom が語るように視野 の狭さは否めない。さらに "Besides himself and his paint Lapham had not many other topics" (p.110) と解説されるよ うに、塗料という商売に関したことを除けば彼には何の趣味も話題 も無い。それ以外の世界を切り開こうとは全く考えない姿勢の基礎 には、物以外信じることができない彼の性格と人生観がある。
"At times the Colonel's grammar failed him" (p.38) と学問 に対しても興味は無いが、教師を妻にしたことに対して強い誇りを 持っている。"'I got married. Yes,' said Lapham, with pride, 'I married the school teacher'" (p.9) と新聞記者に語り、"If it hadn't been for her...the paint wouldn't have come to anything" (p.14) と妻がいなければ塗料業もどうなっていたかわ からないと言ラ。"Lapham was proud of his wife, and when he married her it had been a rise in life for him"(p.49) と 彼にとって結婚は生活向上を意味し、二人で力を合わせて仕事をし ている間は問題は起きない。商売が軌道に乗り、ボストンに出て商 売が拡大して行くに従って諸々の問題が生じてくる。当然彼の人生 観との矛盾は拡大し、収拾が付かない状況へと追いつめられてい く。しかし、事業の失敗により財産全てを失った彼は、最終的にま たもとの農場に落ち付く。一見挫折の人生に見えようが、彼の性格 と彼の土着性を考えると、物しか信じられず、生き方における不信、 疑惑をぬぐいきれない「懐疑的人生観」を持っていた Lapham の当 然の終着駅なのかもしれない。少なくとも心安らかな日々に戻った ことは間違いない。
V
Lapham の人生観構築に寄与した諸々の精神的負荷の主因は、彼
の引け目だと言えよう。引け目とは、他に比べて自分が劣っている
と感じて持つ心の弱みで、もちろん、引け目を持たない人間はいな
い。誰もが多かれ少なかれ引け目を持って暮らしている。しかしそ
れが深く心に染みつき、年月かけて育まれ、人生の岐路に大きな影
響を及ぼすようになれば、それは単なる引け目でなく、その人の人
生観になる。 まず、Lapham がどのような引け目を持っていたか、
次に、その引け目が人生の岐路にどのように作用し、どんな決定が
なされるか、それは彼のどのような考えに基づくものなのかを具体
的に見ていくことにする。
その要因の一つは、カナダ国境に近いアメリカの最北辺に誕生し たことに対するものである。
...I was born in the State of Vermont, pretty well up under the Canada line--so well up,in fact, that I came very near being an adoptive citizen; for I was bound to be an American of some sort, from the word Go!(p.4)
最初から「ひとかどのアメリカ人」になろうと気負っていたわけで、 引け目があるから野心を持ち、その実現に向けて邁進することにな る。
次に父親の恵まれぬ人生を土台に自分は成功を収めたが、大部分 の人はそうはいかないと語る。
I've had my share of luck in this world, and I aint a-going to complain on my account, but I've noticed that most things get along too late for most people. It made me feel bad, and it took all the pride out my success with the paint, thinking of father. (P.10)
大多数の人にとって人生とは実り多きものではないという意識、さ らに、父親が塗料を発見し、自分はそれを商売の軌道にのせ、財を 得たのだという、父親の恵まれない人生の上に自分の成功が形作ら れたという意識も深くこびりついている。事業の成功が父親に負う というこの気持ちの裏に、いま一つ、兄弟が西部に出ていったため に、 農場で手に入れた富を独り占めにしたという思いもある。塗料 の商標に彼の深層心理が表れている。
And if father hadn't had such a long name, I should call it the Nehemiah Lapham Mineral Paint. But, any rate, evgry barrel of it, and every keg, and every bottle, and every package, big or little, has got to have the initials and figures N. L. f. 1835, S. L. t.1855, on it. Father found it in 1835, and I tried it in 1855. (P.10)
この商標に Lapham の誠実さと父親への感謝の気持の深さが表れ ているのみならず、父親への負い目も見ることができるであろう。
それだけではない。せっかく授かった男の子を亡くした衝撃があ る。後の Tom への肩入れの遠因がここに内在しているのかもしれ ない。さらに、南北戦争に志願兵として参加し、戦友の命と引き替 えに自分だけ生き延びたという苦い経験もある。他人の犠牲の上に 現在の自分があるのだという意識は、生涯彼から離れない。
このように諸々の誘因が精神的負荷となり、彼の人生に影響を及 ぼしていく。引け目を持つがゆえに、その気持ちを跳ね返すために、 彼は仕事に没頭する。単なる金儲けの手段としてではなく、父親の、 そして一族の夢の実現のために努力する。それは、"He believes in mineral paint, and he puts his heart and soul into it."(p.20) とあるように、Lapham にとって塗料は単なる仕事以上のものであ り、彼自身も "That paint was like my own blood to me."(p. 16) と言う。妻 Persis も "his paint was something more than business to him; it was a sentiment, almost a passion."(p.50) と語るように、父親の果たせなかった夢の実践者として、Lapham には塗料業に対する深い思い入れがあり、あらゆる努力を惜しま ず、事業は隆盛を極める。
ここでもし彼に人生への信頼感が根付いていたとしたら、この成 功を喜び、感謝の気持ちで日々を送ればすむものを、彼はことある 度に自慢話をする。成功者は自慢話を好むものだが、何と単純素朴 な人物かと誤解するほどに彼は度が過ぎる。"I wonder what papa is going to say next!"(p.56) と娘の口を通して、または Tom の口を通して幾度となく語られる。もし楽観主義者であるな らば、成功者としての自分の人生を素直に受け入れ、程々に止める。 しかし彼はそれをしない。極度の自慢話は彼の引け目への反動であ り、人生を信じ切れない証であり、成功への疑問、危ぶみ、人生へ の危惧ではなかろうか。
そう解釈する理由は Lapham の経済的没落過程を追ってみると 明らかになるように思われる。最初の挫折は、上流階級への参入に 失敗したことだ。念願のコーリー家の晩餐会に招かれたことは、娘 達のために階級的上昇志向を持つ Lapham にとっては大きな喜び だ。上流社会のマナーに疎い Lapham 家の人達は、マナーの本を読 み漁り、服を新調する。しかし、Lapham は手袋をはめるべきか否 かにさんざん気をもむ。すなわち、手袋という何でもない物、たい して重要でないものにまで神経を尖らすことは、階級的負い目への 裏返しとしか考えられない。彼は階級意識に執着するがゆえに細部 にまでこだわり完壁をきそうとする。さらに、パーティーの話題に ついていけない焦燥感に悩み、飲み慣れない酒を飲み過ぎて醜態を 演じることにもなる。もし自分に自信があり、階級的劣等感が無け れば自然体ですごせたものを、劣等感が強いため、無理に勧められ るままに酒を飲む。さらに、翌日、自分の醜態を思い出した彼は、 後悔と自己嫌悪に襲われ、Tom に自分がいかに振る舞い、席上の 人々はどのように思ったかを執拗に問う。ここにも彼の劣等感への 反動が見られる。また、もし人生に自信があり、あるべき人生を信 じ切ることができれば、こうも執拗に自己嫌悪には陥らないであろ う。根底に人生への不信感があり、失敗するかもしれないという危 倶があるから、その方向に進み、更に、後悔を深める結果となって いったといえるのではなかろうか。
二つ目の挫折は、ボストンの高級住宅地の Back Bay に新築中の 屋敷を火事で焼失したことだ。失火の原因は自分のタバコの火の不 始末ではないかという焦燥と、火事という不慮の出来事による ショックに加え、 その原因が自分にあり、それも最も経済的に困っ ている時期に発生するという重なる不幸に対しての自己嫌悪であ る。さらに、その火事が保険期限の切れた直後のことであり、何の 補償も得られないという追い打ちをくう。人生を信じたくても信じ られない状況が展開する。
最後の挫折は、経済面で営々と築きあげてきた成果を、全て失う ことだ。かつての共同経営者の Rogers を救うために、Lapham 自 身の事業が破産の危機に陥る。必死に奔走し、事業の建て直しに腐 心するが道は開けず、事業の損失を埋めことができる唯一の方法 は、 他人を犠牲にする計画に荷担することだった。しかし、長い苦 悩の果てに彼は、West Virginia にある塗装会社を手放し、長年住 み慣れたボストンの South End の邸も売却し、Vermont 州にひき こもる道を選ぶ。"Not the accident of rank or status, but resting under strain proved the man"(7)と、階級とか身分ではな く緊張下の試練がその人間を証明するとあるとおり、Lapham は苦 渋の末全ての責任を甘受する。
この人生節目の決断を迫られる時点の判断基準に Lapham の人 生観が見事に表れる。事業で大成功を治め、がむしゃらで、自慢好 きな、楽天家に見える人物の根底にある懐疑的人生観が、闇雲に突 走ってきた彼の人生にブレーキをかける。彼の性格と拭いきれない 劣等感、多くの人達への負い目が彼を深い内省の世界へと導く。決 して道にはずれることはしていないと信じつつも、Rogers を切り 捨てることが出来ない Lapham は、自己欺瞞の悪魔の囁きや物欲 を払拭し、心の声に従う。悲観的人生観の持ち主ならば、早々と諦 めたであろうし、楽観的人生観に貫かれた人間なら、Rogers を切 り捨てたであろう。しかし、彼はやるだけのことはした。それでも 心底では人生に対して確たる信頼を持ちきれなかった。ゆえに妻の 願望に耳を傾け、彼の道義心が前面に出てくる。最後の Sewell 牧 師の言葉に、道徳的な悪についての深い認識が記されている。
We can trace the operation of evil in the physical wor1d,...but I'm more and more puzzled about it in the moral world. There its course is often so very obscure; and often it seems to involve, so far as we can see, no penalty whatever. And in your own case, as I understand, you don't admit--you don't feel sure --that you ever actually did wrong this man.(p.364)
Lapham は道徳的観念からいえば、精神的加害者になっていたのか もしれないが、そんなことは考えてもみなかった。しかし、彼は人 生を信じ切れなかったために、すなわち、懐疑的人生観を持つ故に、 熟考する。そして後悔しているかと尋ねる牧師に対して次のように 答える。
About what I done? Well, it don't always seem as if I done it, ... Seems sometimes as if it was a hole opened for me, and I crept out of it. I don't know,... I don't know as I should always say it paid; but if I done it, and the thing was to do over again, right in the same way, I guess I should have to do it.(P.365)
自分のしたことに対して何の後悔もしていない。経済的に成功した のも束の間、全てを失う。さりとて、この世を苦と悪に満ちた希望 を持てないものとは見ていない。すなわち、悲観的人生観を抱いて いる訳ではないと言えよう。彼は懐疑的人生観を持つが故に経済的 には没落するが、精神的負荷をなす諸々の引け目は消え去るのであ る。
一般的に Lapham の判断基準は道徳観だといわれる。これは当 然のことだろう。Howells は文学の目的として道徳性を否定しな かったし、十九世紀という時代的制約の中で道徳面を排除すれば、人 生の真実は描けないことになる。その道徳観の上に、彼の人生から 生まれでた不確実性、疑惑、不信が加味され懐疑的人生観ができあ がっていった。
W
William Dean Howells は中西部のオハイオ州の片田舎に生ま
れ、文才を持って世に出、南北戦争の間は、イタリアのヴェニスで
領事としてすごす。帰国後、 ボストンの有力誌
Atlantic Monthly に二十九歳で関与し始め、1871年、編集長になる。退職後の1880年代
は小説を矢継ぎばやに発表し、80年代後半から批評家としての活躍
も目覚ましかった。晩年は、ハーバード、イェール、コロンビア、
プリンストン、オックスフォードの各大学から名誉博士号を授かっ
たのみならず、アメリカン・アカデミーの会長を務め、文壇の「大
御所」として君臨し、八十三年の人生を全うする。
このような経歴から、彼の楽観的人生観を強調する批評家は多 い。しかし、果たして、そんなに短絡的に考えて良いものだろうか。 人間を信じ、人生を楽天的に考えることが出来れば、あえて「人生 のほほえましい側面」という言葉を口に出し、強調する必要があろ うか。人生の意義が判らず、何がためにこの世に誕生したかの確信 が持てないが故に、当たり前の人生を当たり前に描くことに徹したと は考えられないだろうか。
Howells はボストンで、ニュー・イングランドの上品な文学伝統 が根幹をなす Atlantic Monthly 誌に携わり、ニュー・イングラン ド以外の出身者として初めての編集長になる。文芸欄を担当し、リ アリズム文学の啓蒙に努め、海外の新しい文学を紹介し、Mark Twain (1835-1910) や Henry James に作品発表の機会を提供す る。このように彼は文学に対する深い思い入れを実現するために、 努力と挑戦の日々を送る。
The Rise of Silas Lapham の出版に前後する頃の Howells の人 生は多忙を極めている。この作品の上梓は、彼が四十八歳で人生の油 が乗り切った時期で、これに前後して、A Modern Instance (1882)、 Annie Kilburn (1889)、A Hazard of New Fortunes (1890)と作 品を発表した。しかし、1882年頃から愛娘 Winifred に原因不明の 病が現れ、ついに1889年3月に二十五歳の若さで此の世を去る。才能 豊かで将来を宿望されていた娘の死における Howells の苦悩と絶 望は大きく、彼のその後の人生に深い傷を残す。1886年には、シカ ゴのヘイマーケット事件が起き、Howells は世論に逆らって、逮捕 された無政府主義者の減刑運動に奔走し、必死に彼らの弁護をす る。このように、Howells の人生は、この時期、一般に言われる楽 観主義からかけ離れたところにあったのである。
もちろん、作品に彼の暗い人生観が色濃く投影されるのは、愛娘 を亡くした後の1890年代であり、それも小説ではなく詩において である。しかし Howells は自分の人生を通して、人問は運命に翻弄 されるものだという気持ちを強めた。もちろんこれらの具体的事柄 は、The Rise of Silas Lapham の出版後とはいえ、その芽は早く から内在していた。この作品が出版された年には娘は二十一歳で、すで に病に冒されていたのだ。
次に、彼が南北戦争に実質的には関与せずにすごしたことは、 彼
の中で引け目になっていたと思われる。コーリー家のパーティで
酔った Lapham が、戦友のお陰で命拾いした戦場での逸話を生々
しい描写で皆に切々と語るところに、その気持が表われている。こ
の Lapham の引け目は Howells の引け目でもある。そのため
Howells は Lapham に戦死した戦友の娘に事務所の仕事を与え、
長い間生活の面倒を見させるのだ。
Howells が懐疑的人生観を持つに至った人生における主要な出 来事としては、娘の病とその死、南北戦争への不参加による引け目、 社会的事件への関与によって受けた人生への無力感、危機的状況に あるアメリカ文学に対する憂慮、トルストイの影響等々が考えられ る。アメリカ社会が資本主義世界に拡大を続ける中で、その楽観的 世界観に則り、アメリカのほほえましい面を信じ、楽観的人生を謳 歌した、というにはあまりにも錯綜した人生体験があった。「人生 のほほえましい側面に関心を示す」などと書いたために、多くの誤 解を生んだ。これはおそらく彼の願望であったのだろう。実質的に は彼は心底に懐疑的人生観を持っていたために、諸々の社会活動に 手を出し、小説を通して、当たり前の、平凡な生活を追求し続けた。
X
ではHowells は小説を単なる創作として人生とは別個のものと
して書いた作家だろうか。彼の文学論、上昇志向、階級意識につい
て考えてみる。彼の文学論については、登場人物の口を通して語ら
れている。まず、小説の存在意義は人生をあるがままに映し出すこ
とだと語る。
The novelists might be the greatest possible help to us if they painted life as it is, and human feelings in their true proportion and relation, but for the most part they have been and are altogether noxious.(p.197)
そして、小説は平凡なことを盛り込むことが大切で、それが出来る 者が真の小説家だと次のようにいう。
The commonplace is just that light, impalpable, aërial essence which they've never got into their confounded books yet. The novelist who could interpret the common feelings of common- place people would have the answer to 'the riddle of the painful earth' on his tongue.(p.202)
この平凡さの追求は、Criticism and Fictions で一部が紹介されて いる
通り、Ralph Waldo Emerson (1803-82) から引き継がれた
アメリカの典型的考え方で、"The American
Scho1ar" (1837) の 次の箇所を Howells
は強調する。
I embrace the common, I explore and sit at the feet of the familiar, the low. Give me insight into to-day, and you may have the antique and future worlds.(8)
Wilson O. Clough も "America was, in a very real sense, the laboratory for a reconsideration of the common man" (9) と平民 について再考するめの実験室がアメリカだと述べ、"the common man" を強調する。この考えに基づく文学論がパーティーの場面で の会話で、これは正に彼自身の意見の表れといって差し支えないだ ろう。
上昇志向に関しては、 Lapham は高級住宅地 Back Bay に邸を 新築するが、Howells もまたこの作品を執筆中に Back Bay の住人 になったことが次に記されている。
When he returned to Boston in late summer of 1883, Howells took up temporary residence in a rented house at 4 Louisburg Square. Then in August of 1884 he bought the house at 302 Beacon Street and became a resident of Back Bay.(10)
Lapham の階級を上ろうとする意志は Howells 自身の声かと間違 うほどに時を同じくしている。さらに近隣の状況をみると"his neighbor only two doors away was the venerable Oliver Wendell Holmes" (11)とあるように、詩人、随筆家として著名な人の 邸が軒を並べる名実ともにここが Boston の一等地なのだ。
作品執筆中の Howells の生活はどうかというと、"Howells seems a more complicated and troubled man during his residence in Boston"(12) の言葉そのままに、決して安泰な日々をむさぼってい たわけではない。そして Lapham と同様に社会及び階級への疑問 を抱いていた。
Howells appears to have resisted, unsuccessfully, a number of painful questionings about the inequities of Boston, and Ameri- can, society during the writing of The Rise of Silas Lapham.(13)
このように文学論、 上昇志向、階級意識と見てくると、Howells
は 自分の意見や人生観と作品を切り放して考える人間ではない、とい
うことがわかる。従って彼の人生観と Lapham
の人生観は別個の ものではなく、Howells の生き方の色濃い投影として
Lapham の 人生観が浮上するのである。
このように William Dean Howells は、人生における真実を描 くために、平凡な生活に焦点をあて、極端なものは避けた。彼の文 学に対する深い思いが The Rise of Silas Lapham を生み、その主 人公 Silas Lapham にHowells は、自分の人生観、文学観を丹念に 織り込んでいった。
Lapham は、カナダに近い片田舎の農場から身を起こし、塗装業 で大成功を治め、ボストンに進出する。しかし、上流社会への参入 に失敗し、高級住宅地に新築中の邸を火事で失い、営々と築き上げ、 隆盛を極めた塗装業も人手に渡る。他人を巻き込む悪事に荷担しさ えすれば、難局を乗り切れる状況になるが、彼はそれを拒否する。 Lapham は、他人の犠牲の上の成功を信じ切れるほど楽観的人物で はなく、人生は一筋縄ではいかない、また単純に信じ切れない、不 確実性の多い、疑いに満ちたものだという懐疑的人生観のもと、不 当とも思えるその運命を甘受して出身地の農場に引きこもる道を選 択する。この彼の懐疑的人生観を形成するに至る二大要因を考える と、一つには、彼の土着性に根ざす物質主義及び彼自身の正直で、 勤勉で、内向的性格があり、いま一つは、劣等感や引け目に起因す る諸々の精神的負荷をあげることができる。Lapham の人生は一見 挫折の人生に見えるが、そうではなく、彼は落ちつくべき所に落ち ついたにすぎない。 彼が楽観的人生観の持ち主で、人生を闇雲に 突っ走っていたら、高級住宅地の大邸宅に住み、上流階級の社交界 で背伸びをし、他人の犠牲の上に商売の販路を拡大するという虚飾 の世界で暮す可能性もあった。しかし彼は人生を全面的に信じ切 れないために、その愚は犯さずにすむ。また悲観的人生観の持ち主 であったならば遭遇できない社会階層の人達と出会い、経済的繁栄 を謳歌することもできた。しかし、最終的には、彼の生来の土着性 に引き寄せられて帰るべき所に帰り、誰はばかることなく心安らか な生活を送ることになる。
本稿は、Lapham の懐疑的人生観の原因から掘り起こし、彼の人 生観の構築過程を追った。次に Howells の人生を概観し、Lapham が作品の中の存在に留まらず、Howells の意志の表明の一つである ことも確認した。Lapham 同様に Howells は、懐疑的人生観に基づ く甚だ平衡感覚の優れた良識ある作家で、生涯通して心からの叫び を丹念に小説に織り込んでいったということができるであろう。
注
(1). William Dean Howells, Criticism and Fictions: and Other Essays
(New York: New York Univ. Press,1959), p.62.
(2). Kenneth S. Lynn, William Dean Howells: An American Life (New
York: Harcourt Brace Jovanovich, Inc., 1971),
p.3.
(3). Edwin H. Cody, The Realist at War (1958; rpt. Westport: Green-
wood Press Inc., 1896), p.135.
(4). Ibid., p.138.
(5). Edwin H. Cody and Louis J. Budd ed.,
On Howells: The Best from
American Literature (Durham: Duke Univ. Press, 1993), p.19.
(6). William Dean Howells, The Rise of Silas Lapham (1885; New York; Penguin Books, 1986), p.177.
以下、この版による引用は括弧に よってページ 数を示す。
(7). Wilson O. Clough, The Necessary Earth: Nature and Solitude
in
American Literature (Univ. of Texas Press, 1964), p.48.
(8). Ralph Waldo Emerson, Ralph Waldo Emerson: Essays & Lectures
(New York: The Library of America, 1983),
pp. 68-69.
(9). Clough, p.39.
(1O). Kermit Vanderbilt, The Achievement of William Dean Howells,
(Princeton: Princeton Univ. Press, 1968),
p.102.
(11). Ibid., p.103.
(12). Ibid., p.138.
(13). Ibid., p.138.